(前回最後の一行) 突然お腹に異変が発生! ギュウギュウ言っている。も、もれそうだ…!

 

  T氏もどこかに民家でも無いか探してくれたが、オアシスを出るまで間に合いそうもない。そうだ、さっき迷路みたいな所でカフェと書かれた看板を見た気がする。迷路のようだったのでスムーズに辿り着けるか不安だったが、今はもうそこに賭けるしか無い。刺激を与えないよう前屈みの状態で気持ち小走りしながら必死の形相でカフェを探すこと5、6分。僕が見たあの看板が遂に見つかった!

 

 そこは庭園風のオープンカフェだったので、注文はT氏に任せて僕はダッシュでトイレに駆け込んだ。幸い用を足したら腹は無事治まったのだが、ここ、トイレも手洗場も水が全く出ない。ピンチ再び。紙は初めから期待してなかったが、普通イスラム圏なら洗浄用のホースとかあるはずだが。カバンの中にはペットボトルが二本。半分ぐらい入ったミネラルウォーターを取り出し、インドのような「手桶洗浄」の代わりにしたのだが、この後で手も洗えない状況は致命的だった。背に腹は代えられず、カバンの中のもう一本のペットボトルを取り出す。まさか人生において、オレンジジュースで手を洗う場面があるなんて…。とりあえずピンチは乗り切れたものの、ショックが大きくてその後カフェの席に戻っても何も飲む気が起こらなかった。

 

 ともあれ、ルアージュに乗ってトズール市内に戻った。市場に差しかかると、声がかかった。

 「そこの二人、後で来るって言ったよな! さあ、来てくれ。」

見るとベルベル族の衣装を売る土産屋。そう言えば今朝断るつもりで「後で」と言ったっけ。店主は手慣れた手つきで僕の頭にベルベル族のターバンを巻いてくれたが、特に欲しい物は無かったのでサヨナラした。

しかし市場を出た時、現地人の中に気になる服装をした人達がいた。足元までの長いオーバーコートでフードをかぶるようになっている。ちょうどスターウォーズの映画の中でジェダイの騎士や、砂漠で屑鉄拾いをしていたジャワス等が着ていたのと同じ服である。これはバルヌースと言い、元々ベルベル族の伝統的な上着だそうだが、今は特に民族の分け隔て無く、この地域一帯のアラブ族も愛用している。あの服はちょっと欲しいなと思い、先程の店に戻りたくなったが、着用する場面が無ければかなり大きな荷物になるだけだと気付き、やめた。

 宿に戻る帰り道、街角で行列ができた店を発見。ショーケースに沢山の食材が並び、自由にトッピングしてホブス(アラブ世界の平たいパン)に包んでもらうテイクアウトの軽食屋だった。豆系の料理が多く、どんな感じの味かわかるものが少なかったが、見た目美味しそうなものを何品か包んでもらい、これを夕食にした。

年の瀬の雰囲気などかけらも無いが、今日は大晦日。ほんの僅かでも雰囲気を感じようと思い、僕達は日本からカップ麺を持って来ていた。年越しそばのつもりである。イスラミックなモザイクタイルの貼られたホテルの部屋で二人、割り箸片手に蕎麦をすする。ま、中国に住んでいた時も年末年始はただの休日で雰囲気も何も無かったのだが。

 「我々は正月早々、サハラ砂漠に入るんですね。」

蕎麦に付いた天ぷらを頬張りながら、T氏はそう言って笑った。旅もいよいよ大詰め、明日はザカリアの車で更に南下し、サハラ砂漠の村クサルギレンに向かうのだ。満腹になった僕達は少し横になり、明日の段取りについて話していたが、突然T氏の言葉が途切れた。見ると彼は食べ終わった蕎麦のカップを枕元に置いたまま、自分のベッドに大の字になって寝息を立ていた。まだ年は明けていないのだがな。今日はトズール市内からネフタ・オアシスを歩き、廃墟探検にトイレの一件といろいろあったので、疲れているに違い無いのだが、雰囲気無くても年越しだし、明日はサハラだし、興奮もあって眠れなかった。そうこうしているうちに時計は12時を回ろうとしていた。さ、そろそろ寝ようかな。そう思った矢先であった。

 

ドドドドーン!

 

えっ、爆弾でも落ちたのか? 凄まじい音に一瞬我を失った。

 

そしてブアァァァー!

 

というサイレンのような音。一体何事だ! 慌てふためくヒマも与えず、爆音は途切れること無く響き続けた。その正体が楽器演奏だということに気付くまで大分時間がかかった。きっと太鼓とチャルメラ系の金管楽器をかき鳴らしているのだろう。恐らく五人以上の大合奏で、すぐ近くの部屋から扉全開で行われている辺りまでは状況把握できてきた。鼓膜が振動しまくっている感覚を覚え、頭が破裂しそうである。安眠どころか、部屋に居られるレベルではない。てぃ、Tさん? ともかくこの事態を仲間と共有しようと隣のベッドに声をかけたのだが、T氏は気持ちよさそうに寝返りをうっており、この大爆音の中でも目を覚ます気配は微塵も無い。

 

 何てことだ、今この状況で苦しんでいるのは僕一人か。うるさいと文句を言いに行くべきだろうが、廊下に出たくない。ドアを一瞬開けた時の音の濁流に押し流されそうになった。日本以外では元旦なんてただカウントダウンして大騒ぎするだけのイベントでしか無いのだろう。この国的にはこうやって騒ぐのが常識なのかも知れず、旧正月に中国で爆竹がうるさいからやめろと言うような、多勢に無勢の議論を振りかざすことになりかねない。とりあえず音の濁流をかき分けるようにして一階まで降り、部屋を替えてもらおうとフロントに向かった。しかしフロントは電気が落とされ、スタッフは誰一人そこにいなかった。さほど大きくないホテルだ。部屋を移ったってこの騒音から解放されるとは思えないし、そもそも今の部屋ではT氏がぐっすり眠っている。

 行き場を無くした僕は一人、中庭に行って座り込んだ。時計を見ると午前1時を過ぎようとしていた。日本は朝の9時か。みんなもう正月特番でも見ながらお節を食べている所だろうか。僕は携帯を取り出し、実家そして婚約者に電話をかけて新年の挨拶をした。日本の様子や正月の雰囲気を少しだけ聞けて元気をもらえたのか、けたたましい音に少しは冷静になれるようになった僕は再び部屋へと戻った。布団に潜り込んでもどうにかなるわけでもないが、とりあえずあと30分だけ目をつぶって耐えようと思った。30分過ぎてもこの爆音が収まらないのなら、不本意ながら覚悟を決めてドンチャン騒ぎの中に混じってやろう。狂ったように楽器を鳴らし続ける連中のバカ面を写真に収めてやろう。そう思った時、何かが吹っ切れたかのように気持ちが落ち着いた…。

 

 その後はよくわからない。音楽が先に止んで静寂が戻ったのか、音が止むより先に僕が眠りに着いたのか、30分耐えるつもりが三、四時間耐え続けていたのか全然記憶に無いのだが、気がつくと朝を迎えていた。

 「うーん、よく寝た。あ、新年ですね。おめでとうございます〜。」

T氏がムクッと起き上がると呑気にそう言った。思えばトイレの一件から夕べの爆音までロクな年末年始ではなかった。アジアや中東を旅するのがどんなに好きでも、やっぱり年越しは日本で過ごすに限る。次に旅に出る時は正月の時期は避けるぞ、絶対に。窓の外に光る元日の日の出に僕はそう誓ったのだった。