定刻通りにやって来たトズール行きの電車に乗ってからはT氏とおしゃべりしながら長く揺られていた。外は変わらずオリーブ畑の林が続く。近くの席に座る小学生ぐらいの女の子がシノワ、シノワと歌っている。確かフランス語で中国のことなので、僕達を中国人と見なし、からかい半分、構ってほしい半分に歌っているのだろうと思い、特に相手にはしなかった。夕焼けが眩しく感じ始めた頃、女の子は僕達に一言、「トズール」と告げていなくなった。相手にしないでゴメンな、教えてくれて感謝。

 夕焼けが夜の闇に包まれ始めた頃、僕達はトズール駅に降り立った。

 

T氏が予約していたホテル・カリムは外装も内装も、部屋の中もイスラム風のタイル貼りになっていて鮮やか。

中庭も洒落ていた。

 

 

 翌朝、事前に手配していた車がやって来た。今日はトズールをちょっと離れて西部の渓谷地帯タメルザを回る。フランス人も一人同行するんだ、真面目そうな運転手のザカリアがそう言うと、やがて黒い髪に無精髭の男性がやって来て人懐っこく挨拶してきた。フランス人にしては容姿が周りのチュニジア人に似てるなと思ったら、彼はチュニジア系フランス人とのことだった。ザカリアとは仲が良さそうで、助手席に座るとアラビア語やフランス語で楽しそうに盛り上がっていた。

 さて、渓谷ツアーの手始めは、鉄道好きのT氏がずっと楽しみにしていた観光列車「レザー・ルージュ」乗車である。

 「出発する時は左側のスペースを確保するといいよ。そっち側の景色がいいんだ。」

駅で切符を購入した僕達にフランスの彼はアドバイスをくれたが、彼自身は駅舎に入らず、近くのカフェに腰を下ろしてくつろぎ始めた。恐らく何回も乗っているのだろう。

 しばらくしてホームにやって来たレザー・ルージュ、昔のヨーロッパの映画に出てきそうなレトロな装飾が施されている。かつてこの国を治めていた国王の御召列車を改造して観光列車にしたらしい。

交通目的ではないので、渓谷地帯を周遊したらこの駅へ折り返し、乗客を入れ替えていくシステムだ。車内はもちろん外国人観光客でいっぱいだが、国内各地から来た観光客も結構いる。

晴れ渡った空の下を列車がゆっくり走り出し、長いトンネルを抜けると、窓から覗く我々の鼻先に岩の絶壁が現れた。

最初は近過ぎて全容が掴めなかったが、その幅がだんだん広がって、やがて広大な荒野となった時、その巨大絶壁が列車に沿って延々と続いていることが確認できた。何千、何万年もの間、雨風や川の氾濫で摩耗され、地層のラインをはっきり残して、ここまできれいにカットされた絶壁が自然にできたなんて。これがアフリカ大陸のスケールってやつか? 

列車は途中途中のポイントで停車してくれるので、乗客は自由に降りて写真を撮れる。近くにいた地元民グループを撮ってあげたり、一緒に写ったりなどして和気藹々と絶景を楽しんだのだった。

 

 列車を満喫した僕とT氏はザカリア達の元に戻り、渓谷オアシス散策へ。砂色の平原をしばし走ると、行く手に岩山が現れた。かつてシェビカ村と呼ばれた廃村のあるこの一帯、岩山の中にオアシスが点在している。乾き切った岩々の隙間の一郭にだけなぜか清流が流れ、椰子の木と花々が生い茂る、そんな自然の神秘を感じられる場所だ。

迂闊にもここでデジカメが電池切れ。絶景を前にしながらツキの悪さを悔やんだが、しょうがないので携帯カメラで撮る。

どこからか湧き出した水が大きな滝となって流れ落ちる先はエメラルドブルーに透き通った深い池。美しかったが日本の観光地のように柵は無いので、歩いていると時々ヒヤッとした。

 僕達が満足気に車に戻ると例のフランスの彼から印象を聞かれたが、まるで自分の国の素晴らしい所を見てもらえたかのように喜んでくれる。いくらリピーターと言ったって、自身がほとんど観光しないのはいいのだろうか。ま、好人物に違いは無いのだが。

 

 

 続いてやって来た旧ミデス村にはオアシスもあるがやや少なく、ひたすら険しい岩山が立ち並んでいた。天気が曇り出したこともあり、先程の旧シェビカ村とは打って変わってその風景は単色に近かった。元々は一つの岩山だった所が深い谷で分断されている。崖っぷちに立ってみると、その深い、深い谷底に恐怖で身震いがしてきた。一瞬でも体勢を崩したらどこまでも真っ逆さまだ。勇気を出してここからの全貌を見渡してみると、この谷は川の流れた跡のようにくねくねと湾曲している。向かい合う反対側の崖とこちら側の凹凸はパズルのピースのようにぴったり合いそうである。こんな岩山が二分するような大洪水でもあったのだろうか。もちろん一度でこうなったわけではないだろうけど、長い年月の間、頻繁に洪水があって削れ続けた結果なのかも知れない。

 実はこのタメルザという渓谷エリア、先程から聞く村の名前はみんな廃村なのだが、これら村は大規模な洪水に飲み込まれて消えた。美しきオアシスは時として牙を剥く。今は残った人々により新生タメルザ村が形成され、人々は渓谷観光に携わる仕事をしているらしい。その村人と思しき人々が所々で土産物の露店を出しているので、旧ミデス村も決して淋しい所ではない。一部が紫色に光る鉱石やアンモナイトの化石等がよく売られていた。そう言えばマグレブ諸国って化石やら隕石やらがよく見つかる場所としても知られていたな。

 

 更にここは、アルジェリア国境から僅か1キロ手前の場所にある。10年前に内戦もあった彼の国だが、特に緊張感は全く無かった。情報量少ない国だけに結構興味があり、どこかからひょこっとアルジェリア側に入れないものかな、なんて冗談も出てしまった。僕達がビザ無しで向こうに行くのはムリだが、向こうからチュニジア側に商売に来るのは普通にあるようだ。ある土産物の露店ではアルジェリアの国旗をモチーフにしたグッズが売られていた。サッカーの応援団が首にかけていたり、みんなで両手に掲げたりする同じ図柄の長細い布はタオルマフラーと言うのだろうか、店先でそれがふと目に付いた。ナイロン製でアルジェリア国旗の図柄と同国代表チームの写真がプリントされていた。そんなにサッカーファンではないけどコイツは買いだな、そう思った僕は早速値段交渉を試みたが、この売り子、最初の売値から1ディナールたりとも負けようとしない。諦めて帰る素振りをすれば、普通はちょっと待てと呼び止めて値下げしてくれそうなものだが、この売り子は売値に不満なら買わなくていい、という様子だった。ちょっとは負けてよ、とぼやいたら「オレ達はアルジェリア人だぞ!」と強くアピールされた。そう易々と客には譲らないぞ、という意味なのか、無用に利益を取った価格にはしてないぞ、という意味なのか。金額的には折り合えなかったけど、この品に今後出会うことはまず無いと思い、結局彼等の売値で購入した。いずれにせよアルジェリア人、あまり商売っ気が無い人々のような印象を覚えた。そんなこんなで渓谷散策を楽しんだ僕達がトズールの街戻った時はもう陽が落ちていたのだった。