がら空きのスピードボートに乗り込み、三人並んで席に座る。中は蒸し暑いが、開いた窓から入ってくる風が心地よい。ボートは間も無く出発したが、五分もしないうちにマーレに立ち寄り、そこでストップ。このボートの行き先はマーフシ島というローカル島で、フルレ島発ではあるが乗客のほとんどはマーレから乗る。ちなみに僕達の行き先はマーフシ島ではなくグリ島なので途中下船するのだ。桟橋からは十数人の乗客が乗り込んで来た。外国人もいるが意外と現地人の方が多い。

この時、サングラスに髭面のちょっと強面な男が現れて料金を回収し始めた。切符ではなく直接現金払いなのか。昨日予約してくれた旅行会社のスタッフからは大人10ドル、子供5ドルと聞いていたので25ドルを渡そうとすると、男は首を振った。

「大人は15ドル、子供は10ドルだ。」

話が違い過ぎるので昨日予約をした時にちゃんと料金を聞いたことを言い、予約した時の担当者名を言った。 それは違うぞ、と男は言いながらも渡した25ドルを回収ポーチに入れるとそのまま引き上げて行った。とりあえず外国人には一回上乗せ料金で凄んでみようという魂胆か。危うくぼったくられる所だった。天国のように謳われるこの国でも、リゾート客が利用しない場所ではやはりこういう事が普通に行われているのだろう。スタッフが予約の時にわざわざ電話に出た担当者の名前まで控えたのにはこういう事例が多いことを物語る。

 ともあれ新しい乗客を乗せたボートは再び出発。すると操舵席の方にいた係の人が開いていた窓を次々と閉め始めた。せっかくの海風が閉ざされ、うだるような熱気に包まれた船内に僕を含め乗客達は皆一様にイヤな顔をする。しかしその後ボートのエンジンがこれまでに無い爆音を響かせたかと思うと、まるでイルカが飛び跳ねるような勢いで水面をいきなりジャンプ。スピードボートが本領を発揮しだした。なるほど、窓を閉めないと確かにびしょ濡れになるな。ザッバーンと豪快に水をかぶる窓を見ていると涼しくなってきた。

 

グリ島迄は30分ぐらいで着くようだが、この辺でそろそろ説明した方がいいかも知れない。圧倒的多数の旅行者がこの国で過ごすようなリゾートライフではなく、なぜ僕がローカル島なる所にこだわってこの船に乗るのか。これは単純にビーチリゾートで過ごすことだけを目的とした人々は気付かない、もしくは興味も無いことかも知れないが、リゾートのある他の国々とモルディブとでは大きく違う点が一つある。

この国のリゾートは基本的に無人島に建設されており、マーレに到着した旅行者はすぐにこれら無人島リゾートへ移動する。なので極端に言うと、彼等は空港の係官とリゾート従業員以外のモルディブ人に全く出会うこと無く入国し、滞在し、帰国することが普通なのだ。この異様な受入体制ができたのには、この国が1965年にイギリス保護領から独立して以降、ディベヒ民族主義を掲げる閉鎖的な独裁体制と天国のようなリゾート国家を両立させてきた長い歴史と関係している。とりわけ30年に渡る独裁を敷いたガユーム政権時代、外国文化の排除と、観光資源による外貨獲得という相反する思いを実現させるべく、地元民が住むエリアと外国人が過ごすリゾートエリアを隔離と言ってもいいぐらいに住み分けた。そのため買い物でちょっと立ち寄るマーレを例外として、基本的に外国人が地元民の住む島に立ち入ることは厳しく制限された。

しかし2008年に民主化を求める動きが吹き荒れ、総選挙でガユーム政権が崩壊。民主化運動のリーダーであるナシード氏が大統領に就任した。この頃から地元民の住むローカル島への訪問が緩和され始め、各リゾートから最寄りのローカル島を訪ねる日帰りオプショナルツアーも登場した。新婚旅行をプランしていた2013年当時はこれらオプションの参加も考えていた。しかし旅行中止になって間も無く、モルディブでは政治的な混乱が発生。親ガユーム派のクーデターによりナシード大統領が亡命を余儀なくされ、後に政権に就いたガユーム義弟のヤミーン大統領により独裁体制への露骨な回帰が進められようとした。しかし2018年の総選挙でその野望が崩れ、民主派政権が返り咲いた。今やローカル島の訪問は普通の選択肢となり、リゾートにこだわらない旅行者には待ちに待った時代の到来となった。

そんなわけで政情も落ち着き、よりこの国の空気を感じられるローカル島の訪問や宿泊が実現できそうなこの時期こそチャンスと思い、一度は中止したモルディブ旅を再プランした次第である。

数あるローカル島の中でも代表格であり、このボートの終着点でもあるマーフシ島には沢山のゲストハウスができて早くも観光地化していると聞く。僕の思いとは裏腹に、普通にリゾートで過ごしたがっていた妻なーこを説得するには、まだ観光地化されきっていない素朴さと綺麗な海を併せ持った島を提案する必要があった。そこで目を付けたのが、マーフシ島手前にあるグリ島だったってわけだ。以上、説明終わり。

水しぶきではっきりは見えないが、ヤシの木々が生い茂る小さな島があちこちに点在している。この辺はマーフシ島もグリ島も位置する南マーレ環礁と呼ばれるエリアである。右に左に揺れながら絵に描いたような南の島の幻想的な風景を眺めていると、エンジンの音が小さくなり、やがて停まった。満席の船内はしばし静まり返る。

「グリ島で降りるのは君達かい?」

荷物係の船員に声をかけられてハッとする。もう着いたのか、そしてここで降りるのは僕達三人だけなのか!甲板でしーちゃんが滑らないよう手を繋いでゆっくり降り、荷物を受け取る。心地よいそよ風と柔らかな波の音にやっとモルディブにやって来た実感が湧き出る。

ネットで予約したフドゥベリ・インからの送迎スタッフが待っており、手押しのリヤカーに荷物を積み込むと素足のままで案内してくれた。これらプチホテルはビーチに最も近い一郭に長屋のように密集しているがまだまだ少ない。これからできる宿やカフェの工事の音が時たま聞こえる。宿の部屋は決して大きくはないが、ベッドが大きくてゴロンとするとそのまま動く気が失せてしまうので、ちょっと島内を散策することにした。