翌朝、陽の昇ったイシククル湖をもう一度見たくなり、湖畔を散歩。

その穏やかなさざ波を滑るように吹き付ける波風はやはり少し肌寒いが、水平線が見えないほど眩しく強い陽の光が照り付け、「暑寒い」という奇妙な体験をする。


 昨日と同じテーブルでイワンと合流して朝食。意外だったのだが、近くのテーブルには日本人の中高年ツアー グループが食事をしていた。彼等は結局僕達が出るのとちょうど同じぐらいの時間に大型バスに乗ってここを出て行った。昨日は湖にもコテージ周辺にも日本人 らしき人は一人も見かけなかったのだが、彼等はいつ頃からここにいたのだろう。あの湖の冷たさを我慢して泳いだのだろうか。イワンが車を持ってくるまでの 間、彼等は僕の近くでバスを待っていたので、その時声をかけてもよかったのだが、どうせ数分後にはハイ、サヨナラなので、結局無言で見送ったのだった。

 緑の並木道、銀色屋根のモスク。元来た道を戻るように車は一直線道路を走る。この車はCDが 聴けないので、終始イワンのスマホから連結されたユーロビートが鳴り響いている。特に会話も無く、僕は車窓の風景をボーっと眺めていた。基本はアルマティ 市内に到着するまでずっとこの状態だ。それにしても眺め甲斐があったのはイシククル湖。どこまで行っても僕の視界についてくる。8時に出発してから完全に見えなくなるまでざっと二時間が経過してしまうほど、最後の最後までその存在感を見せつけるのだった。

ただ、帰り際僕は一か所ちょっと寄ってみたい場所があった。ここチョルポン・アタ、北に隣接するチョンキミン国立公園を抜けると、そのすぐ北は カザフスタンなのだ。もしこの公園越えによるカザフ入りが可能なのであれば、それが一番近道なはずなのだが、その国境は抜けられないとのことなので、やむ なく一日かけてアルマティに向かっている。ま、それはいいとして、このチョンキミン国立公園という所、旅行雑誌のシルクロード特集で取り上げられるキルギ スの典型的な絶景が見られる場所らしい。白銀の山々と、ふもとに広がる蒼い草とカラフルな花々。そして行き交う駿馬の群れ。ひょっとしたら、公園の入口だ けでも帰り際に寄ることができないかな。そう思って事前に旅行会社にコースに加えてもらったのだ。

 

 かくして立ち寄った公園入口。何とそこは草木もほとんど無い岩山の絶壁であった。もちろん入口から早々絶 景を見られるなんて思ってはいなかったが、想像していた風景とはあまりにかけ離れていた。ただ、岩山の谷間を縫うように激流の川が二本流れており、ちょう ど僕の足元の下で合流していた。自然は毎回同じ顔を見せるわけではないってことか。

 


 その後はひたすら荒野を走り抜け、やがてカザフスタンとの国境に入った。行きと同様イワンとしばし別れて の手続き。ほとんどこの国境を通過する者がいないのか、カザフの入国審査官は持ち場を離れてタバコを吸ってくつろいでいたので、オーイ、と声をかけてスタ ンプを頂く。前回イワンとしばしはぐれてしまった反省から、今回はカザフの入国審査を抜けた所でしっかり待つことにした。暑いけど、ここから動かないぞ、 と決め込んで待っていた所、カザフ側から妙な車が現れ、国境を越えようとした。軽トラに石油タンクらしきものを積んだ超小型タンクローリー。しかもやって 来た時からガッタン、プッスンとエンジンから危険な音を発しており、ちょうど僕が待つ国境ゲート辺りで全く走れなくなった。運転手やら国境警備員やらが車 を囲み、ボンネットを開けて、どうしちゃったんだ、と困っている様子。しまいには一人の男が車体の下に潜り込み、溶接を始める始末。これはいつ爆発しても おかしくないのでは? 僕と同じように連れを待っている様子の入国者達も怖がって一歩、二歩と後ずさり。後ずさりし過ぎて、ドンとぶつかった壁に描かれていたのはプーチン大統領 と握手して満面の笑みを浮かべたナザルバエフ大統領の肖像画であった。笑ってないで、何とかしてくれぇ。元はと言えばアンタが売ってるものでしょ? なんてシャレにもならない悪態をつきながら、もうあと15分ほど待っていると、やがて救世主の如くイワンの車がやって来た。別の意味で危険なこの国境から無事脱出できた僕は何だか急にトイレに行きたくなり、カザフ側に入って早々公衆便所に駆け込んだ。

 

 やはりこの国に入ると道が広くなり、安定した舗装道路となる。だが果てしなき荒野であることに変わらず、 もう何時間か車に揺られ続けていた。やがて見えてきたのは「アブラズィヤ」という看板。そう、カザフ到着後に昼食を食べたレストランに再びやって来たの だ。この数時間ずっと無言で運転し続けていたイワンに、空港着後はどうするのかと聞いてみた。相当な距離であるし、きっとアルマティ市内の友人か親戚の家 にでも泊めてもらうのかな、と思ったが、元来た道を通ってビシケクの自宅へ帰るのだという。

 「それは大変だ。明日はゆっくり休まなきゃね。」
 「いや、明日はキルギス国内で仕事だ。」

  「いつもそんな感じなの?」

  「時期によってさ。今は書き入れ時だよ。オレも妻と娘がいるからね。」

イワンはそう言って笑った。

 

 車がアルマティ市内に入ったと同時に車線は増え、渋滞寸前の車の量に遭遇。この国は日本の中古車が流行っ ているのか、すれ違う車のハンドルの位置は左右半々。運転している人の顔も日本人に似たカザフ系と、金髪のロシア系が半々。何ともコスモポリタンな空間が 楽しい。しかしカザフに入ったら、ついでに現地の絵葉書やCDは無いかちょっと探してみたくなった。イワンに話すと、時間があまり無いので、ショッピングモール一か所しか探せないぞ、と言われた。そんなわけで街中のモールに立ち寄ってくれたのだが、ここは全店家電製品ばかり。CDは見つからなかった。ま、カザフのCDは既に何本か持っているので、今回初訪問の二か国ほど熱心に探しているわけではなかったから、早々にあきらめがついた。

 夕食は結局時間的に制約があったので、モール向かいのファーストフード風の店でテイクアウトし、空港に着 いてから食べるということになった。昼食を摂った「アブラズィヤ」と同じく、ピラフやサラダ等をその場で選び、トレーに乗せて店内で食べるスタイルであっ たが、テイクアウトと言えばスチロール製の箱に詰めてくれるようだ。これもカザフ料理と言えるのか微妙だが、とりあえずペリメニと呼ばれる餃子風の料理と 焼きうどんのような麺をゲットしたのだった。

 

 少し渋滞に巻き込まれハラハラしたが、何とか無事アルマティ空港に到着した。着後すぐに免税店でカザフの 絵葉書を探すのを手伝ってくれたイワン。麺をテイクアウトしたのにフォークをもらってくるのを忘れた僕に、オレのを使え、と自分の分のフォークを差し出し てくれたイワン。この道中あんまり会話で盛り上がることは無かったが、申し訳無い、と思うぐらい良い仕事をしてくれた。そんな彼は僕と固い握手を交わす と、そのまま来た道を折り返し、七時間近い帰路の道へと消えていった。

 様々な人種が行き交うアルマティ空港。しかしカザフ系であれ、ロシア系であれ、彼等の別れを惜しむ表現 は、とてもイスラム圏とは思えないほどストレートだ。正に映画のラストの別れのシーンや、二人の愛が実った時の抱擁のシーンが同時に数か所で発生してお り、目のやり場に困ってしまう。見たくもないドラマを無理矢理見せられている感じだ。とりあえず僕は先程の弁当を取り出し、今のうちに腹を満たすことを優 先した。

 

 一人旅でもない、ツアー旅行でもない、両者のいいとこ取りを狙ったつもりだったが、やや駆け足だったよう な気もする。それでいて日程と距離感が読めず、実質ほとんど車移動ばかりでそれぞれの土地をじっくり楽しみきれなかった感もある。仲間と一緒の旅なら、疑 問に思ったことをもっと追求したくなっただろうし、もっと地元民の中に入り込み、もっと人々の写真なども撮っていたに違い無い。常に運転手は一緒だったの で旅ならではのドキドキ感は普段の旅より少なく、刺激は小さかったかも知れない。新婚旅行中止の直後に降って湧いた旅のチャンスだったため、行先をあまり じっくり考える時間が無かったということもあるが、本当に今回の中締めは中央アジアで良かったのかな? 他のまだ見ぬ国々を差し置いてでも本当に見たい所だったのかな? と、ネガティブな方向に考えてしまうこともあった。特に旧友であるMに 会える見込みが無くなったキルギスについては。ただ、これは反省ということではない。これが等身大の自分だ、と改めて認識する旅だったのだ。こんな自分は 一人旅も、ツアー旅行もあまり満足いかないのだろう。それでは知人と一緒の旅がベストかと言うと、それもまた微妙。良くも悪くもアジア旅は一旦の中締めで あり、次に行く時は妻子と一緒になるか、子供がある程度成長してから、になるかも知れない。残ったまだ見ぬアジア・中東20カ 国を自分の身の丈に合わせて楽しみ、これまで通り現地の空気を感じていくにはどうしていけばよいのか、今回の中締めで一つ大きな宿題をもらってしまった。 時間はあるので、ゆっくり考えていこう。ま、そうは言っても、いずれ旅に出るチャンスが到来する時は、きっとまたいきなりであり、考えるヒマも無く出発と なるのだろうとは思うが…。  (完)