4,5年前からテレビでは識者がよく語っていた。
「いつ関東大震災級の大地震が起こっても不思議ではない情況」と。

いつかあるのかもしれないし、ないのかもしれない、と漠然と思っていたが、まさかそれが現実になるとは・・・。

金曜日の午後3時頃はいつもの通り事務所にいた。課長以上の人達が出張や休暇で少なく、静かな事務所だった。週末だし、このまま静かに終わればいいね、なんて近隣の同僚とは話していた。

その時、ズン、ズン、ズン、と、メリーゴーランドにまたがっているような上下の揺れを感じた。
あっ、地震!しかも立て揺れ。これって、確かおとといも同じような地震があったな。宮城の方が震源地で震度4ぐらいだった。しばらく静かに揺られていたが、ちょっと長くないか?しかも揺れはだんだん強くなってきている。おいおい、何これ?と、思わずしゃがんで、机の下に入る態勢に入ろうとした。そして・・・。

ギシギシギシ・・・、窓のブラインドから激しい揺れの音が響き、強い揺れが止まらなくなった。これだけ強い揺れは今まで体験したことが無い。みんな慌てて机の中に。外に出るより中の方が安全なので、机の下に入って安全を確保してください、と放送が入る。ほんとに外より大丈夫?この建物古いし、崩れない?強い不安を感じながらも放送と建物を信じ、治まるまで机の下にいた。

大丈夫かな?立ち上がって再び席に座る。しかし間もなくまた次の揺れが・・・。余震だからさほど大きくはないだろう、と思ったが、またもや強く、長い揺れ。。部署の女性社員が泣き出した。これで死ぬんじゃないか?なんて縁起でもないことが頭をよぎる・・・・。

やがて揺れが弱まり、再び席についてネットを見ると、やはり宮城が震源地で都内は震度5だった。職場の誰かがネットからテレビ中継を見始め、東北方面を襲う津波の惨事に皆背筋が凍る。。。。
しばらくすると、職場の安全担当者が我々のいる6階にやってきて、外の公園に避難しろと言う。連絡体制がきちんとしていないのか、7階はもう全員避難しました、6階の人はまだいたんですか?みたいな口調であった。

公園に向かってゾロゾロ歩く。しかしその公園ってすごく小さいので、あっという間に人々で埋め尽くされ、我々は道路にあふれ出てしまう。しばらくその場で同僚達とダベって不安を紛らわせていたら、会社に戻れとの指示が出る。

席に戻ると時々軽い揺れが起こる。やはり外にいた方が気が楽だったか。その後会社は4時15分で解散という連絡があった。但し電車はStopしているので帰るか、残るかは個々の判断に任せる、だって。一部の同僚は会社泊りを覚悟していた。僕は新宿まで歩けば、途中タクシーでもつかまえられるんじゃないかと思い、同じ方向の同僚2人と一緒に18時半に会社を出た。

不安なのは交通だけでなく、両親と電話連絡がつかないことであった。意外にも海外からの国際電話は割合つながり易く、一部の同僚は海外拠点のスタッフから日本の自宅に電話させて安否を確認していた。

外には沢山の群衆があふれ出ていた。道路を埋め尽くす車は一歩も動けない情況。線路に沿って秋葉原、御茶ノ水、水道橋、と順調に歩く。飯田橋には祖母が住んでいる。そこに泊っていくという手もあるが、同僚二人が一緒な中、ここでハイ、サヨナラってわけにもいくまい。新宿まで歩こうと言ったのは僕だ。ただ両親の安否を知ってるかもしれないと思い、少しだけ立ち寄る。残念ながら両親とはやはり連絡がついていないようだったが、夕飯だけでも食べていけと言われた。同僚の一人は自宅が四谷でもうすぐなので、一人帰ることになり、もう一人は一緒に祖母宅でハヤシライスをご馳走になった。

元気を取り戻し、同僚と二人で引き続き歩き出す。時間的な理由か、新宿に近付くにつれ人は若干少なくなっていた。途中喫茶店では「トイレ使えますので、ご利用下さい」と店主が呼びかけていた。さすが日本である。

歩き始めて3時間近く。やがて新宿駅到着。その時母から電話が入る。両親二人共それぞれ出かけていたそうで、帰るのに難儀していたそうだが、何とか無事帰宅できたらしい。ひとまず安心し、中野駅行きのバスに乗ろうとした所、近くにいた警察がスピーカーで「京王線が復旧しました」と言っているのを聞く。駅構内に入ると改札前に人々がごった返している。みるみるうちに僕達の後ろも人が集まり、戻るに戻れなくなった。もう乗るしかあるまい。京王線は効率的に一本ごとに一定数の群衆だけ改札に通しながら対応していた。何とか僕達も乗ることができ、無事吉祥寺へ。

さすがに足が痛くなってきた。同僚と別れ、12:20やっと自宅に到着。部屋の中に飾っていた各国の民芸品やCDが一部落っこちていたのと、テレビが台から落下していた。幸い壊れていなかったのでしばらくはこのテレビ、台の下に置いて見ている。


ASIAN FOREST




ASIAN FOREST

都内では当日家に帰れず、職場泊だった人も多かったようだ。皆さん、本当に大変でした。まだ停電や物不足、余震に原発といろいろ不安も残りますが、気持ちを強く持って、難局を乗りきっていきましょう。仲間そしてそのご家族の無事、それに東北の犠牲者がこれ以上増えないことを祈り、金曜の顛末報告を終わります。