ミャンマーの友達タンダちゃんが留学で来日してから早一年。成田空港まで迎えに行き、翌日地元の吉祥寺にも遊びに来てくれたが、その後は授業にバイトに多忙を極め、たまに電話で連絡することはあっても会うことはなかなかできず。今回やっとのことで一緒に食事することになり、高田馬場のミャンマー・シャン料理店「マイソンカー」でシャンカウスエ(シャンそば)を食べながら、今回のサイクロンで家族が皆無事だったことを確認して胸を撫で下ろした。

高田馬場にはJMCC(日本ミャンマーカルチャーセンター)がある。タンダ来日前からここを紹介するという話をしていたので訪ねることにした。同時にJMCCでは今、サイクロン被害の義援金を集めており、僕も少し寄付をしようと思ったのである(何人かの知人の分も預かっていた)。授業をやってる所だったが、早速寄付金を所長JMCCさんにお渡しした。この時たまたまNHKが取材に来ており、僕が寄付金を出す所を撮影されてしまった。後日ニュースだか何かで、かわいいミャンマー人の女の子連れ立った僕がオンエアされるかも知れない。

この時間帯は上級ビルマ語クラスの授業行われており、JMCCさんがふとタンダに、このクラスでビルマ語話してみないか、と誘った。明日は課題が忙しいから早めに帰るなどとのたまっていたタンダ、意外にも興味を示して早速教室の輪に入るや、すっかり先生に変身してしまった。授業が盛り上がってる中、僕はビルマ語が全くわからないので、台所の方でミャンマー料理作りに勤しむティンさん達とダベっていた。明日、被災地の状況報告会があり、その席で振舞われるカレー料理を作ってるらしい。

授業が終わる頃にJMCCさんのご主人Oさんがやって来て、一緒に食事しようという話になった。タンダはさすがにこれ以上長居はできないということで、帰ることになったが、僕とO氏・JMCC夫妻、そして先程のクラスにいた久しぶりの華チャさんの四人でお店へと移動した。あ、華チャさんは今月25日にHAPPYなことがあるらしい!

行く先は今高田馬場で恐らく最もDEEPと言われる幻のミャンマー料理店。かのミャンマー通O氏さえも、一人で行くのは勇気がいるらしい。そこは住宅街のとあるマンション3階の一室。外から見るだけでは、そこが飯屋だなんて誰もわからない。店名すら書かれていない。しかし扉を開くと、そこは薄暗いカラオケパブのような空間にギッシリとミャンマー人が陣取っており、その中の誰かがビルマ語バージョンの「乾杯」をカラオケで熱唱していた。店内にミャンマーを意識した装飾は全く無いが、客とカラオケがモロにこれぞミャンマー!と言える装飾であった。

僕達の座った席には四人の男女が座っており、O夫妻とも親しいようだった。うち一人は派手な化粧に超ミニスカのかなりギャル系しているミャンマー人で、最初この店はカラオケスナックだから、こうした女性が付くのかと思ってしまったが、フツーに客であった。この子の他の三人は、似ていないけどこのギャルの姉だという色白の落ち着いた美人女性(よく席を外してしまうのであまり話できなくて残念!)、物腰柔らかいイケメンのミャンマー好青年、そしてミャンマーには行ったコトないのに、なぜか周囲のミャンマー人とツーカーの仲になっており、見事に空気に溶け込んでいた日本人女子学生という、不思議なメンバー構成であった。

何せ絶えることなくカラオケの歌声が響き渡る店内、隣の人の声もほとんどかき消されてしまい、あまりじっくり話すことはできなかったが、みんなノリはいいので、特に何があったわけでもなく、いきなりワーッ!、キャーッ!、と騒いでは乾杯したり、ハイタッチなどしたりして、ワイワイ盛り上がった。他のテーブルのミャンマー人たちも、目が合うとお互い笑顔を交し合い、なんか和気藹々な雰囲気もあり、こんな店に子供を連れてきている者もいたりして、非常にアジアンな世界!そうこうしているうちに時計は12時。僕はこのDEEPなアジア空間で、誕生日を迎えたのだった。