今週土日はずっと家でゴロゴロ(正確にはPCの前でネットサーフィン)で終わってしまいそう。こんな感じで何もしないまま一年はあっという間に過ぎてしまうんだなぁ。。休みの日が忙しくてあちこち駆け回って充実してる人はいいなー。って、やること無い時はそんな風に思ってしまう。他の仲間もやること無くてゴロゴロの週末ってあるのかな?

そんな時は見ずに溜まってる映画のDVDを見ればいいのでは?と思うのだが、なかなかそうしようとしないのはなぜだろう。映画は長くてずっとテレビの前に拘束されるからかな。テレビが小さすぎて見る気しないからかな(実際普通の番組も見ないな)。

先週末はここから小平市の多摩自転車道路まで往復二時間歩いてみた。結構いい運動になったので毎週やろうかと思ったが、今日は雪も降ってるのでお休み~。で、普段の通勤の風景をちょびっと書いてみる。

朝は家を出てから三鷹駅まで歩き、東西線に乗って出勤する。駅まで歩く時、出くわす人は毎日ほぼ同じ。まず中学校の前を横切る時、そこの交差点に緑のジャンパーを羽織ったおばさんがいつも立っている。ま、僕が小学校の頃にもいた「緑のおばさん」の類であろう。時々掃除しながら、時々交差点に立ち、またしばらくすると掃除を始め、といった感じで交差点付近を常に行ったり来たりしている。交差点に立つ時は「おはようございまぁす、行ってらっしゃい!」と通行人に大きな声で挨拶をする。ここまでなら、なかなかさわやかないいおばさんであるに違いない。

しかしこのおばさん、なぜか挨拶する対象を選んでるのだ。声をかける相手は決まって子供、年寄り、女性、障害者のみ。つまりスーツ着て通り過ぎる男性に対しては無視、と言うか怪しい奴を見るような目でジーッと睨むのだ。例えば、僕の前を女性が歩いており、僕の後ろにサラリーマン、続いて老人が歩いていたとする。この一行が交差点を通り過ぎると、「おはようございます!・・・(ジーッ)、・・・(ジーッ)、おはようございます!」といったリアクションをとる。何だか毎朝ここを通るの、ユーウツになってくる。挨拶するんならみんなにしてほしい。一度向こうから来たサラリーマン風の男が、先にこのおばさんに挨拶したところ、おばさんはきちんと挨拶を返していた。ならばもしかしたら、僕の方から挨拶すれば、挨拶を返してくれるのかも知れない。でもそれをやったら翌日から通る度に挨拶をしなくてはならなくなる。別に知り合いでもないのに毎日そこまで気を遣うのも億劫なので、毎朝我慢して睨まれている。逆に、おばさんは毎朝大変なサラリーマンに気遣いさせるのは悪い、と思って挨拶を控えてるのかな?

出勤時はみんな大急ぎ。僕も歩くのが遅い方だとは思ってないのだが、そんな僕が全力で早歩きしても追いつけない人がいる。いつも後ろから僕を追い抜いていくオヤジ。元競歩の選手だったんじゃないか、と思うようなスピードである。そしてもう一人、後ろからパタパタと走ってくる足音。いつも駆け足で追い抜いて行く女性がいるのだが、僕を追い抜いたところで疲れるのか、急にノロノロ歩き始める。なのですぐに彼女に追いついてしまうのだが、追いつくと彼女はまたちょっとだけ走り、すぐにまたノロノロ歩く。そして僕が追いつくとまたちょっとだけ走る。走るなら走る、歩くなら歩く、どっちかにしてくれぇ~って感じ。

向かいからも人は来る。勝新太郎に似たオヤジが車椅子に乗った子供を押してくるのだが、何を急いでいるのか、決まって車椅子を押しながら猛ダッシュで駆けてくる。狭い歩道だってのに、危なっかしくてしょうがない。駆けると子供が喜ぶからやってるのかも知れないが、車椅子ってことは何らか障害を抱えた子供。どこかにぶつかったら子供だって危ないだろう。それにダッシュすりゃ車椅子だって凶器だ。通行人にでもぶつかったらたまったもんじゃない。何とかならんものかな。みんな急いでるのはわかるけど、毎朝そんなに汗だくになって走って通勤するのなら、ちょっとだけ早く出ればいいのにね。

通勤電車に乗る時にはもう当たり前となっている整列乗車。普通に二列に並び、降りる人が降りた後、左側に並ぶ人は扉の左から、右側に並ぶ人は扉の右側から乗るのが普通。しかし扉がピッタリ列の前に来るように電車が停まってくれればいいのだが、時として列から大幅にずれた場所に停まる時がある。そんな時、例えば列よりも左側にずれて停車した場合は、面倒でも左側の列の先頭の人は扉の左側まで歩き、列ごときちんと移動できるよう誘導するべきである。右側にずれて停まった場合は右側列先頭の人にその義務がある。

しかしそれを面倒くさがってか、例えば扉が左側にずれた場合、左側に並ぶ人があまり移動しようとせず、自分から近い扉右側の方にへばりつく時がある。そうすると左側に並んでた人が皆そいつの後ろに続き、右側に並んでいた人は本来乗ろうとしていたポジションを奪われることになる。しかもガラ空きとなった扉左側には、元々列に並んでなかったヤツ等がスイスイ乗り込んだりしている。これすっごく迷惑。結局順番もメチャクチャだ。先頭に並ぶ人はちゃんと空気を読んでほしい。

空気を読む、と言えば最近「KY」という言葉で略されるが、従来の空気を読めない、と「KY」とでは若干意味が違っているような気がする。例えば、ある人の結婚祝いで集まり、出席者は皆結婚した本人からいろいろ話を聞きたいのに、参加者の一人がその本人をないがしろにして、一人で自分の仕事の自慢話を延々とし続けたとすれば、そいつが「空気が読めないヤツ」であった。確かにそういう人はいささか迷惑である。ところが「KY」が定着して以降は、カラオケで歌うジャンルが皆とちょっと違うだけで「KY」らしい。これって、単に皆が同じでないとならず、違う人を排除するってだけの意味じゃない?呼び名はいろいろ変わるけど、これって日本人永遠の短所だよなー。「KY」って言葉自体はただの言葉遊び。あと半年もすれば死語になるのだろうが、異なるものを排除する風潮は昔から何も変わってないような。