どこかの路上で車内の数人が降りると、なぜかその場所に数人待っている人がいて、必ず入れ替わりに乗り込んでくるので、窮屈さが変わること無く時間は過ぎていく。車内は家族や恋人同士の話し声だけならまだしも、スマホをスピーカーモードにして通話する者も結構いて騒がしい。こうした通話方法はこちらでは一般的なようで、タバコを吸うかのように水平にしたスマホを口元にかざして通話する人をよく見かける。
さっきまで街中に沢山貼られていたクルド愛国同盟のタラバニ議長の肖像画が見当たらなくなり、代わりにクルド民主党の黄色い旗とその指導者でターバンを頭に巻いたバルザニ議長の肖像画が目に付くようになる。いよいよエルビル州に入ったのだなと感じる。やがて田舎のホームセンターのような商業施設の前で車が停まったのでトイレ休憩かと思ったら、車内の全員が荷物を担いで降り出した。エルビル市内に着いたのか? 半信半疑で彼等に続くが、ここがどの辺なのか見当が付かない。そこへタクシー運転手が声をかけてきたのでエルビル中心地である城塞に行ってもらうことにした。
やがて辿り着いた城塞と隣接するシャー・ガーデン・スクエア。その近くの交差点に面したビルの何フロアかがロード・シティ・ホテルという宿になっている。エルビルに着いた初日、城塞観光のついでに手頃な宿は無いか探していたらここに辿り着いた。当日泊まったボート・ホテルは城塞からあまりに離れており、スレイマニア方面から戻った後にまた泊まる気になれなかったのだ。このビルの一階にホテルのスタッフルームがあり、年配のオーナーに明後日の予約を頼むとシングル一泊20ドルで応じてくれた。ところが今日になって再びスタッフルームを訪ねると、先日のオーナーはおらず、そこに居合わせた若いスタッフからシングルルームが埋まっていてツインルームしか無いから50ドルだと言われた。彼はそう言った直後に宿帳をパラパラめくり、あるページにオーナーが書いたと思われるメモを見つけ、そこで初めて僕の予約の件を知ったようだった。
「今日急に団体が泊まりに来たからシングルが無くなってしまって…。」
彼の言い訳は言い訳にすらなっていないが、僕もこのタイミングで宿泊を取りやめて他の宿を一から探している時間も無い。
「それは僕の過失じゃないんだから、20ドルで対応してよ。」
とりあえず交渉した末、その空いているというツインルームを33ドルに下げてもらって折り合いを付け、泊まることにした。
さて、僕のフライトは明け方出発なので1時にはチェックアウトする。後は12時頃まで寝るだけなのだが、夕食がまだなのと若干やり残したことがある。ここはホテル前に広がるこのカイサリ・バザールで全部済ませようと思い、再び外に出た。

収集癖旺盛な僕はアジア旅を始めてから各国のいろいろなものをコレクションしてきたが、最低これだけは絶対入手すると決めた必須アイテムとして最終的に絞られたのは音楽CD、絵葉書、頻繁に使われる紙幣、そして地元新聞の四つとなった。しかし2010年以降はあらゆる媒体のデジタル化が進み、よりによって四つとも手に入れづらい時代になってしまった。旅仲間の中にはどこの国にもあるし、かさばらないし、廃れることの無いという観光地マグネットを集めている人がおり、僕もそうすればよかったなんて羨ましく感じることもあるが、今更それをコレクションし始めても遅過ぎる。イラクに来てからとりあえずCD、絵葉書、紙幣は入手した。だがこの国を後にするタイミングだというのにまだ地元新聞を手に入れていない。バザールの通路に沿って並ぶキヨスク的な売店ならきっとどこかにあるだろうと思っていたが、それらしき店舗を当たってもそんなの無いよと首を振られる。本屋や文房具屋を見つけては地道に聞いてみる。
「大手新聞社はちゃんとサイトがあるから、みんなそこでニュースはチェックしてるよ。紙では見ないなぁ。」
彼等は皆そう答える。イラクもやはりそういう時代なんだな。
「うん、それは知ってるけど、世界中の新聞を集めてるんだ。」
本当はアジア限定だがちょっと誇張して言ってみる。彼等はほほう、と軽い驚きと共に頷いた。
「このサイトの新聞社は市内にあるから、直接行ってみたら紙の新聞も手に入るんじゃないか?」
確かにそれは最後の手段として確実な方法かも知れないが、今の僕には時間が無い。大通りに面した箇所だけでも延々続くバザール、ふと雑誌を並べたある露店の隅っこに新聞が売られているのに気付いた。やっと見つけた達成感一杯の思いで早速購入すると、これはクルド語で書かれた地元エルビルのローカル新聞だった。本当はその国の大手新聞にこだわっているのだが、もうそんな贅沢は言ってられない。紙の新聞を見つけられただけでもラッキーな時代なのだから。
さて、次は夕飯といこう。迷路のようなバザール内部に入って飯屋を探していると、偶然初日にケバブを食べた店を見つけた。だが残念ながらもう店じまいのようだった。陽が沈んだとは言え、意外と閉店が早いのだな。結局その後も半ば迷子になりながら飯屋をあちこち探しているうちにやっと一軒見つけたのだが、そこもまたケバブ屋だった。イラクではケバブに始まりケバブで終わるのか。だがそうも言ってられまい。早速中に入って席に座ると、注文を取りに来た店員はケバブね? と、ただ確認するように簡単に聞くだけだった。ま、それしかメニューが無いのだろう。
五、六分後にやってきたそのケバブは、皿の上に何と三本。
これまで食べた店のケバブは一本だけだった。周りを見回すと近くの席で食べている人のケバブも三本だったので、この店では三本がスタンダードなのかも知れない。焼いた野菜と一緒にホブスにくるんで食べるスタイルなので、一本でも結構なボリュームなのだが、三本はさすがにきついレベルであった。だがイラク滞在も最後ということで頑張って食べ切った。この時打撃を受けたのは胃袋より懐。ここの食事代は1万3,000ディナールで、一本なら5,000ぐらいだからそのまま三倍弱という思わぬ出費となってしまった。空港までのタクシー代は残るのだろうか。
とにかく急いで宿に戻ろう。飯屋を求めてバザール内のあちこちを歩き回ったものだから、先程新聞を買った場所からも大分離れてしまっており、迷路のように行ったり来たりを繰り返す。多くの店のシャッターは閉まり、目印にしていた店もどこだったかわからなくなっていた。掃除の時間帯なのか、白いタイル張りの通り道に石鹸水が撒かれ、デッキブラシで磨き始めている中、何度も滑りそうになる。地元民は皆サンダル履きで滑りにくいのか、僕だけが何度も滑ってよろけるので、注目を浴びたりちょっと笑われたり。そんな道沿いの一郭からふと漂う甘そうな香り。近くの屋台で売られていたドトゥルと呼ばれるシロップに漬けた揚げパンだった。旅立つ前にクルジスタンの料理を知っておこうと本で予習してきたにもかかわらず、この三日間で出会ったのはほぼケバブばかり。最終日にやっと本に載っていた料理の一つであるこのドトゥルにお目にかかれたので、ぜひとも食べてみたい気持ちもあったのだが、残念ながらそうする条件が全く揃っていなかった。これ以上何も入らないぐらい満腹だったし、イラク・ディナールも底尽きてきたし、早くホテルに戻らないと明日の夜までまともに寝れる場所は無いし、そもそも今の僕はホテルへの帰り道さえ定かではない。
そんなこんなでしばらくこのバザールをグルグル彷徨ってしまったが、何とかシャー・ガーデン・スクエアが見え、ホテルに戻ることができた。
次なる国サウジアラビアのジェッダに行くには、今晩ここエルビルからLCCの直行便があるのだが、どういうわけか今年の6月からネットでチケットを申し込んでもずっと満席状態で、結局この路線の予約はできなかった。そこで今回のスケジュールに一番合致した迂回路として浮かび上がったのは、ヨルダンのアンマンを経由してジェッダに向かうロイヤル・ヨルダン航空だった。ただこのフライトは明け方の4時エルビル発。従い1時にはチェックアウトするため、さっさと寝なくてはならないのだ。ドバイに着いて以降、次の飛行機に乗る一日前から事前チェックインがWEB上でできたので、寝る前にやっておこうとヨルダン航空のサイトにアクセスしてみるが、予約番号をいくら入力してもエラーになる。本当に予約はされているのだろうか。このまま空港に行ってスマホのWEB画面を見せればスムーズにチェックインできるのだろうか。そもそもホテルを出たらWi-Fiが繋がらないのにこの画面まで辿り着けるのか? って言うか、その前に今手持ちのイラク・ディナールで空港まで行けるのだろうか。ぎりぎり空港まで行けたとして、到着後に空港税なんて取られないだろうか。仮にディナールが余ったら外貨に戻せるのだろうか。ベッドに横になると、次から次へと不安が飛び出してきて眠れない。
まぁ待て、落ち着くんだ。USドルがまだ20ドル残っている。タクシー代が足りなかったら最悪これで何とかなるだろう。とにかく今晩をもって外務省が渡航規制するエリアから抜け出すことができる。もっとWi-Fiが繋がる世界に行ける。ここまで全て予定通りだ。あと少しなんだから頑張ろう! なんて好きでやってきたくせにそんな屁理屈を言い聞かせ、いつしかぐっすり夢の中。
アラームで1時に目覚めた僕はホテルをチェックアウト。すぐ近くで客待ちしているタクシーがいた。これで空港まで行けないかと、端正な顔立ちの運転手の前に差し出したのは、せいぜい市内のタクシー代程度の6,000ディナール。それでは行けないと首を振られるのは予想通り。結局20ドルの出番がすぐに回ってきた。それを見た彼が一瞬眉をしかめたのでヒヤっとしたが、単純に今日のレートを思い出せないだけの表情だった。彼がどこかに電話すると、今日のドル換算レートが音声で流れ、きちんと計算して約2万ディナールのお釣りをその場で返してくれた。なかなか律儀な運転手である。
車内に流れる軽快なクルド・ポップスを聴きながらオレンジの街灯だけが光る真夜中の通りを走ること約20分。途中の検問でセキュリティ・チェックを受けた後に車を降りると、そこは空港ゲートと呼ばれる建物だった。ここに来た時もそうだったが、実際の空港はまだ少し離れた所にあり、この建物で搭乗や出国等の諸手続きをするのだ。ここの係員達は割と優しく、出国手続きもスムーズで、ヨルダン航空の搭乗券も難なく手に入った。そのまま無料バスに乗り込み、実際の空港へと向かう。そんなこんなでいよいよ搭乗ゲートまでやって来たのだが、イラク・ディナールを外貨に戻す銀行のような場所がやはり見当たらない。この時間だからもうクローズしているのか。ゲート近辺にはちょっとしたコーヒースタンドしか無かったので、ここの店員に外貨を換金できる場所を聞いてみると、彼はここで換金できる場所はもう無いと言い、更にたったそれだけならここでコーヒーを飲んでちょっと買い物すればいいんじゃないか、と笑った。そうか、日本円にすればせいぜい2,000円弱だしな。こうして手元のイラク・ディナールはアイスコーヒー一杯、チョコレートケーキ、ポテトチップのプリングルス、そしてスニッカーズになった。この地に到着した時は外務省規制地域にやって来た背徳感と共に入国したが、この地を立つ時は真夜中にこんなカロリー満載の軽食を食することへの背徳感と共に出国することとなった。
こんなに早いタイミングにやって来れるとは思わなかったイラク。たった三日間の弾丸旅だったこともあり、何となく通り過ぎただけという感覚は否めない。現地人は外国人への興味も無くはないし、根は優しいものの、観光客をほとんど見たことが無くどう接していいかわからない上、多くは英語がわからないため、向こうから率先して話しかけてくる場面は少なかった。こちらが物を買おうとしたり、何か聞こうと話しかけたりすれば言葉がわからなくてもみんな親切に接してくれるし、日本人だと言うとみんな一様に日本人グッド、グッドと褒めて歓迎してくれる。が、それ以上の印象的な出会いは少なかった。旅対策を練るのに精一杯で、いろんなことに興味を持って地元民に問いかける積極性やコミュ力がやはり足りないからか。一番声をかけてきそうな若い世代の人々から興味を持たれない年齢になってしまったためか。なんて、ネガティブに考えて相変わらず自分を責めてしまうのだが、訪れた場所も大都市ではなく、観光名所というわけでもなかったし、これが限界だったのかな。僕が再びイラクを訪ねることはもう無いと思うが、今回訪ねた地域が近い将来もしクルジスタンとして独立してしまったら、僕はまだイラクには行っていないということになるのだろうか? ま、独立するにはまだまだ沢山のハードルもあるし、そんなこと考えてるヒマがあったら、機内でもう少し寝ておこう。アンマンまでは約二時間。着いてから次のフライトまでも四時間以上空港で待たなくてはならない。













































