わが家は茨城県です。
あの日、偶然にも仕事は休みで子どもと一緒に家にいました。
そして、SWHつながりでお知り合いになったあーたん&ママさんと一緒でした。
きっと息子とふたりきりだったら恐くて動けなくて泣いてたと思います。
一緒にあーたんママさんがいてくださってとても心強かったです。
ほんとに恐かったです。
急いでサンデッキに飛び出して息子をぎゅっと抱きしめたまま外で地震がおさまるのを4人で待ちました。
数十メートル先のお宅の瓦が崩れ落ちるのを見ました。
わが家のお隣の大谷石(塀)も少し崩れました。
経験したことのない揺れの大きさに、頭が真っ白になりました。
長い長い揺れでした。
おさまったと思って家の中に入ると、また揺れが・・・。
でも、息子と一緒にいられて本当によかったです。
あの時間、保育園はまだお昼寝の時間でした。
保育園のお友だちも先生方もきっと大変なことになっていたと想像します。
地震のあった日の夜は、パパは職場で泊まり込みになりました。
とても心細かったけど、息子と一緒に夜7時半にはベッドに入りました。
余震が多く、体の力が抜けずなかなか眠れなかったです。
何が起こったかわからない1歳の息子は、どんどん暗くなっていくお部屋で泣くこともせず、母にぴったりとくっついていました。
まだ夕日が落ちる前に、その日買っていたバナナマフィンとマカロンをふたりで食べ、くっついて歌を歌ってなんとか平静を保っていました。
でも、息子はほとんど言葉を発しませんでした。歌も歌いませんでした。
一度も泣かなかったけど、きっと異常事態は感じていたんだと思います。
わが家は次の日のお昼には電気が復旧し、夕方には水道も復旧しました。
わりと早くライフラインが復旧したのでわが家はかなり恵まれている方です。
家の中も壁紙に亀裂が何か所か入っていたり、ピアノが50cmくらい動いていたり、本棚の本が落ちたくらいでそれほど大きな被害はなかったです。
周りの状況がわからなかったときにあの亀裂を見た時はショックでしたが、翌日テレビをみて愕然としました…。
東北の震災の被害が甚大だった方々に比べたらなんでもないです。
ただ、ガソリン不足が深刻です。
市内中、給油待ちの車でどこも大渋滞です。
安心して燃料の確保ができないと仕事もできませんし、通常の生活にはとうてい戻れません。
断水や必需品不足で困っている家族や友だちがいても助けに行くこともできません。
1日でも早く平和な日々が戻ってきますように願っています。






と思いました。
ってパンだらけの自分の
をかずやに見せたら、
(笑)