というわけで今回はこのテーマでの第6弾、20世紀から21世紀へと移り変わった2000年代に入りたいと思います。
この年代の前半に出生数、率が一度目の底をつき、年代後半から10年代前半にかけて若干の上昇または横ばいの推移を辿ることとなります。実際、2004年には東京都の合計特殊出生率が1.00となるわけです。短大、専門卒含め大学など高等教育機関への進学率が更に進んだ時代で、社会において当初より高いスキルが求められる時代となったことなどによる女性の高学歴化などによる晩婚化・未婚化が進み、それによる出産年齢の遅れがデータに表れました。70年代後半以降の出生数が本格的にに減少した年代も結婚・出産適齢期となり、所謂小母化もこの年代の終盤から本格化することとなります。1990年代後半から生産年齢人口の減少、つまり本格的に働ける人が徐々に減り始めた時代で、それによりパイが増えることよりも限りあるパイの奪い合いが本格化することとなります。
世界的にはアメリカやフランスなど植民地支配などの影響で移民を多く取り入れられる国家の合計特殊出生率が比較的上になった反面、移民を取り入れることが困難なドイツやイタリアで低減傾向となっていました。
デジタル化、特にインターネットが若い人を中心に多くの人に行き渡り、それに伴い情報収集の簡易化が進み生きる選択肢が更に増加、またあらゆる面で集中が進み、生き残り戦略を図られるようになる時代で、これは日本国内に限らず世界的な傾向になります。
例えば航空業界では所謂三大アライアンスがこの時代の前後に誕生し、大半の大規模航空会社がスターアライアンス、スカイチーム、ワンワールドのどれかに属することとなる。またそれに伴い航空会社同士の合併や持ち株会社化が進むこととなる。日本においても大手航空会社の日本航空と日本エアシステムが合併したのがこの時期です。
自動車業界においても本格的な連携が進むようになり、OEM供給などを行うケースが増加し始めた。また、環境への配慮が問題となったこともあり、低排出ガス車両であることが大前提となった。また、長らく登録車売上NO1だったカローラが遂に陥落するなど、自動車に求められるニーズが更に分散した時代となった。
流通業界においては、ジャスコなどのイオングループがダイエーやサティなどといった大型スーパー企業を吸収するなど、大規模化による効率化が進むことになります。コンビニエンスストアもこの時代を境にセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートのおおよそ3つを中心に動くこととなります。また、モノからサービスへのシフトに伴う第二次産業用地の再開発が進むことになります。例として私の住む神奈川では大和にあったいすゞの工場がショッピングモールに変わったことなどが挙げられます。郊外に大規模アウトレットモールが次々に完成したのもこの年代で、通販などの発展に伴い、ショッピングにもエンターテイメント性が求められる時代となりました。また、デパートや百貨店という業態が古臭くなり、各地で閉店ラッシュが始まりました。
スポーツ業界においては1999年のJ2創設などを境に地方への分散が更に進むことになります。特にプロ野球界では2004年はそれまで東京ドームを本拠地に置いていた日本ハムが新たな需要を求めて北海道に移転、同年シーズン中は近鉄とオリックスが合併を発表、それに伴い創設された楽天が東北の宮城に本拠地を置くこととなり、地域の顔となります。2001年の札幌ドームの開業など2002年W杯開催などを見据えた大型スタジアムが完成、また前述の日本ハム移転により東京ドームのスケジュールに余裕が出来たことから4大ないし5大ドームツアーなど大規模コンサートを行うアーティストが増加した。
モーニング娘がこの年代の前半に全盛期を迎えると、解散せずに卒業などでメンバーを入れ替えるシステムが大きな話題となる。年代終盤にはAKB48もブレイク、握手会などのファンとアイドルの距離が近いシステムが話題となり、次の年代で更なる隆盛を迎えることになります。また、それまで20代までに解散などをしていたジャニーズのアイドルグループも、SMAPを筆頭に30代、40代でも活躍するグループが現れるようになる。この年代にはNEWSやKAT-TUN、HEY SAY JUNPなどがデビューし同年代の女性などを中心にそれぞれ人気を集めることとなります。
行政面においては合併特例法の制定に代表されるように集中が進んだ時代で、市制施行や政令市への移行の下限がこの時に限り引き下げられました。北海道や長野県、東京都や大阪府などのように殆ど合併しなかった都道府県もあるなか、新潟県や富山県、鹿児島県など大半の市町村が合併に関わる地域も多かったのが特徴です。タワーマンションがこの頃から充実し始めたこと、都心部の利便性の見直しや共働き比率の増加などにより都心回帰が進むことになる。人口が100万人を超えることを見越して前年代に政令市となった千葉市は花見川区など旧来の団地があった地域などで減少したこともあり頭打ちになった一方で、東京の千代田区や中央区や神奈川県の川崎市(特に武蔵小杉擁する中原区など)タワーマンションが建設された都心周辺の自治体では人口が増加、特に減少していた都心部ではV字回復が本格化し始めました。関西においてはユニバーサルスタジオジャパンが開業した年代で、それにより既存の遊園地は廃止または生き残り戦略が図られることとなります。関東においても東京ディズニーシーが開業するなど新規のエンターテイメント施設が増加し、娯楽がますます多様となった時代でした。
一方でネットでの投票がまだ進んでいなかったこともあるが、娯楽人気の分散が進んだことにより地方競馬を筆頭に公営競技が次々に廃止となった時代でもあります。例えば高崎、足利、宇都宮の三ヶ所あった北関東競馬もこの年代で全廃となりました。
印刷技術の簡略化などに伴って2001年をピークに郵便物の数が減少、その一方で増加していた年賀状の発行枚数がピークを迎えた年代で、次の年代以降デジタル化により漸減傾向となる。新聞業界においてもこの年代から発行部数が頭打ちとなり、次の2010年代以降は同様の理由で漸減傾向となります。
このように、生産年齢人口の減少やデジタル化によって右肩上がりを続けていた国内需要が概ね減少し、よりグローバルな需要開拓が求められる時代となりました。そうなると、人に求められるスキルがより高くなり、輪をかけて教育コストが掛かるようになったのが2000年代であります。
次回、最終回は2010年代から現在の2020年代前半に至るまで出生と文明の変化を軸にまた解説していきたいと思います。この年代になると、あるアイテムを軸に生活が一変するわけです。それは、スマートフォン、略して"スマホ"の存在が大きな鍵を握ります。これは日本に限らず世界的な傾向となります。続く。
