それがどんな手話であっても安心感があるのですね。
日本手話しかわからなくても、アメリカなどに出かけてアメリカ手話と出会うと、わからないのに、なぜか不安を感じません。
ところが、日本語など音声言語で話されたとき、わからない状況は同じでも不安を覚えることが多いです。
それは、アメリカ手話の場合、何度も出会うほど分かるようになるという確信があるからでしょうか。
それと比べて音声言語は何度も出会ってもわかるようにはならないです。
だから、同じ会話でも手話と音声言語でのやりとりはスタートした時から違いが出ています。
でも、すれ違いはどちらかというと手話の方が多いような気がします。
理由は、音声言語は明らかにすれ違いがわかりやすいので、筆談などでカバーできます。
手話だと、大体は分かるのに、ちょっとした言葉のすれ違いで全体の意味のやり取りがすれ違ってしまうことが多いです。
手話同士だからお互いに自分お手話くらいはわかってほしいというけれど、自分の手話のミスに気づかないです。
音声言語はフィードバックがあるので自分の発言のミスを確認しやすいけれど、手話の場合、フィードバックの方法がなく、相手の反応で判断するしかないです。
手話ができても、確認する方法はさまざまあるけれど、最初からスレ違いやすいことを認識しておけば、ストレスを感じないで済むかもしれません。
そんなことを感じました。

