東インド会社とは

 

17〜19世紀にヨーロッパ諸国がインド・東南アジアの物産の直接輸入と植民活動に従事させた特許会社の総称。国家的な独占企業体で,イギリス・オランダ・フランスの3会社が有力であった

【イギリス】1600年エリザベス1世の特許状で会社を設立。チャールズ2世時代には近代的な株式会社の形態をとる。当初はモルッカ諸島で香辛料貿易に従事していたが,1623年のアンボイナ事件(アンボイナの虐殺)でオランダに敗れて以来,綿布をあつかうインド貿易に専念した。カルカッタ・マドラス・ボンベイの3拠点からムガル帝国内部に進出し,私兵を有して独自の現地外交を展開しながら,1757年プラッシーの戦いでフランス勢力を駆逐した。1765年ベンガル地方の徴税権の譲渡を受けてからは,貿易の利益よりも植民地統治の政治的権力を行使する機関にしだいに変貌した。その後自由貿易要求が高まる中,1813年には茶以外のインド貿易の独占権が剝奪され,33年には貿易活動自体が停止されて純然たる統治機関となった。インド大反乱後の1858年にインドの統治権はイギリスの直接支配下に移されて,東インド会社は機能を停止した。

【オランダ】1602年各市府の商業会議所を合同して会社を設立。世界最初の近代的株式会社の性格をもつ。1619年オランダ東インド総督が会社の根拠地としてバタヴィア(現ジャカルタ)に商館を建設し,独占権を与えられて駐在した。香辛料貿易や植民地経営に従事し,17世紀前半には最盛期を迎えた。18世紀になると,イギリス・フランスの圧迫と植民地経営の失敗から,会社は領土をオランダ政府に移譲して1799年に解散した。

【フランス】1604年に設立されたが不振で,64年コルベールが再建して18世紀には隆盛となった。イギリスと争って敗れ,1796年に解散。
 以上のほか,デンマーク・スウェーデンなども,会社を設立した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版

 

東インド会社 Wikipedia

 

イギリス東インド会社 世界史の窓

 

オランダ東インド会社 世界史の窓

 

※今回は、現代日本の支配構造と直接関係する、オランダ東インド会社、イギリス東インド会社、ジャーディン・マセソン商会及びその周辺のみ取り上げます。

 

1611年~1623年までは、英国も日本と貿易をしていましたが、アンボイナ事件以降はオランダが日本との貿易を独占します。(客家経由でアジアとの交易はありました。)

イギリス東インド会社と江戸幕府
http://historiajaponica.com/2016/11/04/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%A8%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B9%95%E5%BA%9C/

 

イギリス東インド会社は幕府との関係は限られていましたが、明治維新以降は再び日本に大きな影響力を持ちます。イギリス東インド会社は米国の原型にもなっており、その人脈は今なお日本に影響を与えています。

 

 

 

 

 

 

イギリス東インド会社の北米支社として出発したアメリカ合衆国

https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/a2a8f1c317e732b9479b82f98212fc54

※東インド会社のDNA(性質やプログラム)はアメリカに引き継がれています。ちなみに、満州の国旗は、ネオ満洲計画や世界連邦運動のスポンサーのハプスブルグ家も関わっています。

 

東インド会社のドンは、黒い貴族ジョバンニ・キャボットの子孫のキャボット一族ですが、歴史を紐解くとフランシス・ドレークの海賊ネットワークも取り込んでいることがわかります。このキャボットは、シェルバーン(ロスチャイルドよりクラスは上)や日本の麻生にも繋がります。

 

ボストン茶会事件を起こしたモンロー主義のボストンキャボット(ジョージ・キャボットから続くボストン・バラモンのキャボットファミリー)は別の系統なのでご注意ください。マヨさんによると、ボストンキャボットがEの筆頭格だそうです。

※念のため書いておきますが、私はABCDEのどの勢力とも関係ありません。

 

アメリカ独立戦争も学ぶ必要があります。これがわかるとFEMA計画の本質や、今のアメリカの内戦危機が理解できます。日本と米国の静かなる内戦が連動しているのも興味深いです。

(実は第二次世界大戦も、国境を越えた派閥争いでした。)

 

さて、本題に戻ります。

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝5 ― イギリス東インド会社の正体
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=166766

 

 

 

 

 

・レヴェント会社
16世紀末~19世紀初めイギリスの地中海貿易を独占した貿易商人の組合。 1581年女王エリザベス1世から特許状を下付されてトルコとの貿易に従うため設立されたトルコ会社と,83年ベネチアからワイン,干しぶどう,オリーブ油などを輸入するために設立されたベニス会社とが,92年合併して成立。近代的な株式会社への過渡的形態である合本制をとった。貿易のおもな対象はコンスタンチノープルとその周辺で,アレッポとスミルナに支店を設けた。毛織物をおもな輸出品として地中海貿易を進め,17世紀には非常に栄えたが,イギリス東インド会社,フランス人商人,密輸業者などの妨害のため次第に衰え,18世紀にはなんとか続行したが,1825年解散した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

・マーチャント・アドベンチャラーズ商会
イギリス中世末期から近世にかけて毛織物(未仕上げ広幅織)輸出を独占した貿易商人で,マーチャント・アドベンチャラーズ組合(冒険商人組合)を組織した。14,15世紀に台頭しステープル商人を後退させ,またハンザ,イタリア商人など外国商人を駆逐して,イギリス毛織物工業の発達を促した国民的商人である。ロンドン,ハル,ヨーク,エクセター,ブリストルなど国内各地の拠点におのおの独自の組織を形成していたが,1564年エリザベス女王からの特許状によって統一的な組合を形成した。
出典 株式会社平凡社/世界大百科事典

 

東インド会社は、諜報ネットワークもすごかったみたいです。そもそも、近代諜報ネットワークの元になったのが、タクシスの早馬やイギリスのロンバート街の海賊投資組合の機関誌といわれています。(紀元前から諜報機関はあったでしょうけどね。)

 

【スパイ考】東インド会社の紅茶スパイ

https://ameblo.jp/karmannfish/entry-12325488710.html

 

徳川幕府と東インド会社

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0700J_X00C13A9CR0000/

令和に入り、新日英同盟が始まり再び徳川が表に出るかも。

 

1609年(慶長14年)、日本(江戸幕府)に進出したオランダ東インド会社はマウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍(大御所)徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められた。以後、オランダ東インド会社はオランダ総督を「国王」とするフィクションを維持することになる。http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-246.html

 

大航海時代の駿府の家康公

https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/study/05.htm

 

大坂の陣 オランダに記録 東インド会社駐在員の書簡     

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21HBG_R20C16A9000000/

 

江戸時代徳川幕府は、イエズス会とは距離を置きつつ、オランダ東インド会社と関わりを持っていました。江戸時代に日本が鎖国していたというのは嘘です。

オランダや客家を通して、世界中の情報が集められていました。江戸時代すでに、欧米の銀行家が日本に拠点を設けていたという説もあります。

 

オラニエ公=オランダ=プロテスタント同盟側=メーソン=東インド会社側となり、後ろに付いた南朝側が官軍になります。欧州の情勢が一段落ついた後に明治維新が起こります。
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-225.html

 

ジャーディン・マセソン商会と明治維新

 

ジャーディン=マセソン商会 世界史の窓

 

フリーメーソン-30  ジャーディン・マセソン商会
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html

 

22087、明治維新の長州閥はジャーデンマセソン仲介にロスチャイルド財閥と確実に連携!
https://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/41629f3995b6726042b41964e9a78e50

 

明治維新で大きな役目を果たしたグラバーの背後にはアヘン戦争の仕掛け人の大商社、ジャーディン・マセソン商会がいました。ジャーディン・マセソン商会の背後にはイングランド銀行とイギリス東インド会社がいました。当時日本に関与した東インド会社の人間に、フリーメイソンが多くいたのも興味深いです。

 

ショッカーの皆様シリーズ再開! HSBCとスコットランドについて
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1199.html

 

HSBC•香港上海銀行 東インド会社→ジャーディンマセソン商会→麻薬利益送金部門としてHSBC創立。現在実質上中国の中央銀行 日本日銀、米国FRB、欧州ECB、中国HSBC。頂点スイスBIS

 

サッスーン財閥とジャーディン・マセソン商会

https://kabukachan.exblog.jp/22125528/

サッスーン一族を殲滅したのが、初代ロスチャイルドの親分ヘッセンの親戚で、イスラエルの産業全体や日本の原発を管理するアイゼンベルグといわれています。

 

英国東インド会社によるアヘン貿易の真相 by ユースタス・マリンズ

https://satehate.exblog.jp/8777131/

 

ジャーディン・マセソン・ホールディングスはケズウィック家が所有していますが、長州ファイブのイギリス留学を支援しました。それにより長州閥に強い影響力を持っているのでグラバーの影響が強い三菱や安倍首相の血脈に深い関係があると思われます。

https://twitter.com/RapelTheBabylon/status/1163239897639116801

 

明治維新の日本側代理人の核は、マセソンファイブ岩倉使節団です。

 

やはり、イエズス会、東インド会社、フリーメイソンの背後にいる黒幕は、集団ストーカーの黒幕と一致します。坂本龍馬、岩崎、三菱の流れも含め、日本の軍産複合体、核利権、医療利権、もともと医療利権も麻薬利権の延長線ですからね。既得権益とは怖いものです。

 

集団ストーカーは、国境を越えた特定勢力の植民地拡大ステルス侵略プログラムであり、既得権益を維持・拡大するシステムでもあります。結局は、この勢力に辿り着くのです。

 

欧州の2大支配勢力:古代ローマ以来の貴族系とフェニキア以来の金融系
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/08/000888.html

 

そして、米国独立戦争と明治維新による日米の派閥争いが、現在の静かなる戦争にまで繋がっているのです。日本と米国は、すでに静かな内戦に突入しています。

 

隠された日米戦争
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9


太平洋戦争は帝国陸軍vs天皇・海軍の戦争だった!
https://nueq.exblog.jp/20859870/

 

 

歴史と共に、諜報&侵略プログラムは受け継がれる

日本国内の集団ストーカーは、最終的に2つの勢力に集約されます。それはそのまま、国境を越えた派閥争いの結果でもあります。明治維新と戦中、戦後、近代の歴史を学べば、黒幕は自動で浮かび上がって来ます。

 

結論をいえば黒幕は、大英帝国とローマ帝国の中枢貴族、および両帝国の傀儡勢力です。

日本は、大英帝国とローマ帝国に両建てで(米国経由で)二重に植民地化されているにすぎません。イギリス東インド会社と円卓会議人脈は300人委員会に引き継がれます。

 

 

タビストック人間関係研究所とカイザーウェルヘルム研究所も、この人脈が大きく関与しています。指向性エネルギー兵器やブレインマシンインターフェースの開発に関わる企業や大学も同じグループに集中しています。

 

集団ストーカーは、いきなり近代に生まれたわけではありません。歴史の連続があります。

くどいですが、この犯罪は嫌がらせではなく、超国家的勢力のステルス侵略プログラムです。5Gや人工ウイルスも侵略兵器と考えれば、その本質がよくわかります。

 

 

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