世の中には勘違いが蔓延している。
ここ百年特に気になるのは
「宇宙はなぜ数学の言葉で書かれているのか?」とか
「宇宙は数学そのものである」なんぞ
という言葉をよく考えずに謳う阿呆が多いことだ。
そりゃおまえ当たり前だろ。
人間が勝手に宇宙を「数学という基底」で展開しているのだから。
言いかえれば人間が宇宙を、ひいては自分の頭の中を「数学物理」を基準に整理しようとしているのだから。
そりゃ数学、物理は絶対でしょうよ。
数学物理「自身」の内ではね。
そんなこたよく考えれば不思議でもなんでもない。
神聖でもなんでもない。
そうしようとしてるのだからそうなっているにすぎない。
ん?
ああ、
別に物理、数学を否定したりしないよ?
数学物理が崇拝されるのは
「予測性」と「共有性」が高いから。
未来の振る舞いを予測し、皆がそれを一義的に理解する。
それが有意な時は多いし、その時は大いに使えばいい。
問題はタイミング。
決して勘違いめさるな、用心めされよ。
彼らはあくまで自身を証明できない。
彼らは唯一絶対の真理にはなりえない。
確かに彼らは今のところ宇宙を展開することに成功してきている。
だが結論はでていない。
全てを完全に展開できるかはわからない。
展開してみなきゃわからない。
「数学、物理の世界」
それは人間という点における近似空間にすぎないかもしれない。
この世界と一部分接しているだけかもしれない。
いいかい。
科学者達が科学に執心なのは、
完全だからじゃない。
不完全だからおもしろい。
不完全だから研究するのだ。
だから真の科学者は「科学即世界、科学即真理」なんて思ってはいない。
科学は一つの手段、一つの視点、一つのしっかりしたジャンル。
そうして分析した宇宙は一つの確かな「側面」に過ぎないとしっている。
「科学万能、科学こそ真理。」
ば~か。
そんな発想は
科学の恩恵で文明生活を営んでる人間が、
科学者にでもなったつもりで自身の阿呆さをさらしてるに過ぎない。
科学という経典を抱いた新興宗教徒に過ぎない。
科学も一つの視点、宗教も哲学も、全ては同等、格差などない。
あなたが何を基準に宇宙を展開するかは自由。
狂信者になることなかれ。
かといって妄信者にもなることなかれ。
ではよい旅を。