雑貨屋さんから転職!農業への道^^v きのしたしゅうじです。

雑貨屋さんから転職!農業への道^^v きのしたしゅうじです。

はじめまして^^

雑貨屋さんを23年していましたが、
この度、転職しまして
農業始業
いやいや^^;
農業の修行をしています。

これからどうなることやら。。。。乞う期待です。
自分も期待です、

Amebaでブログを始めよう!
SMAPの騒動は日本だけじゃくな海外のメディアも取り上げる大きなものになりましたね。

私とSMAPとの出会いはバラエティ番組の
「夢がもりもり」
森脇健二と森口博子とSMAPの番組です。
1992年スタートかな24年前ですね。

香取君なんかはとっても無邪気だったことを覚えてます。
内容は、アイドルなのに、コスプレしたり、コントがあったりと
とっても面白かったですね。
たぶん、そこでSMAPを知って、そのうちどんどんいろんな有名なアーッティスとさんの
楽曲を歌って、スターになっていった。
そんなイメージですね。

でもすごいのは、24年間。
いろんな事件があったけど、続けてきている点です。
しかも、音楽、バラエティ、ドラマ、映画、舞台、MCなど活躍のステージはどんどん広がって
5人が5人(森君は脱退してしまってるのであえて5人)ちゃんとした芸能界でのポジションがあるという点
他のアイドルにはない、なしえなかったものをやり続けている点は凄いです。

誰と誰が仲がいいとか仲が悪いって言う話すら、練りに練られたネタじゃないのかな?って思うほどのまとまり感もいいですね。
それに、どのバラエティ番組でも、常に素手喋ってるのかな?!本音でしゃべってるんんだろうな!って思えるところも、見ていて安心だし、緩い空気が好まれる昨今、絶妙にマッチしていたと思う。


さて、今回の問題
内容は、深く掘り下げるつもりもありません。
だって、私が取材したわけでもないし、本当のことはどんな時も、当事者しかわからないんだから。ただ、自分はこうじゃないのかなって、いう推察はありますが。

自分が思ったことの一つは、今回解散していたらどうなっていたのかな?ってことです。
中居君はMCの仕事は多分激減するだろうし、そうなったとき芸能活動はできるのかな?できなくなったとき、中居君のファンはどんな行動をするのかな?ファンが行動を起こしても何か変わるのかな?ファンは行動しなくて何も変わらずに消えてしますのかな?大物芸能人は自分を犠牲にして中居君を救うために体を張るのかな?芸能界から消えてい行く中居君は何を第二の人生として渡来していくのかな?

僕はサラリーマンでした。部長からその下に降格した時に、仲の良かった同僚も部下も何もできません、当たりま恵です。それが会社ですから。逆に降格人事に反対してね。なんて頼めないし、頼む気もなかったですね。会社から首になっても、もらえるお金の件とかでもめるかもしれないけど、首を撤回はなかなかできないものです。

でも、会社と芸能界とは違うものだと思います。芸能人は事務所【会社】の商品といっても過言ではないかもしれません。商品が価値があり、売れているのに首にしたり、責任を取らせることはないんです。

しかし、商品ですが心のある人なんです。
だから、難しいですね。
商品に意思が無ければいいんでしょうが、人には心も気持ちももちろん意思があります。
事務所がこう考えるとか、人事をこう考えると行ったことと
アイドルの生き方は別にして考えないと悲しい結末があるんだなって、思いました。

スマスマの3分間の会見を見ました。
SMAPの良さは会見では一切なくって
企業の謝罪会見位のテンションで寂しさを感じました。
あの5人は一番SMAPのアイドルとしての良さを知ってるし、知ってるからこそ
見ている人に謝罪のほかのプラスアルファーを提供してほしかったです。
これから、どんな厳しい道が待ってるのかはわかりません。が、テレビに出ている以上
自分の冠番組である以上、メッセージが欲しかったです。

でも、それも難しいですね。
会社の商品ですから。
今回ばかりは、意思ではなく
商品として話したんだと思い。
逆に、メンバーの苦しい思いを察しました。

一般社会も
芸能界も
生きていくのは半端なく厳しい時代ですね。
先日の新幹線の事件ですが
当初は新幹線で火災、2人が心肺停止と報道されてました。
それを聞いた時に、火災?心肺停止?
と疑問に思い
もしかしたら、テロかな?
何らかの事件だろうと思いました。

生まれてから1っ回も新幹線の火事はなかったし
アメリカでのテロ以来、日本の新幹線でテロが起こったら大変なダメージだろう
そして、テロはやろうと思えば簡単にできちゃうんじゃないかって思ってました。

続報でテロではなかったので安心しましたが
やはり、火事ではありませんでした。

何か聞いた時、そのままの情報をそのまま受け止めるのでなく
本当のことはないかを、肌で感じられる感性と知識は最低持っていることが
これからの世の中を生き抜くうえで大切と感じます。



SBCラジオの中継に農産物直売所に来られていた波多陽区さんと初めてお会いしました。
穏やかで明るく楽しい方で本当に素敵な方でした。
一般の関係者でもない私と写真を撮ってくれたりサインを下さったり。空いた時間にたくさんお話しして頂き、とっても楽しかったです。



これからの更なる活躍を期待してます!
差し入れのやさい美味しかったかな?
前在籍していた会社の先輩や後輩と電話でお話しした。
退社して5年。
色んな事が沢山変わっていて
人生の曲がり角だったり
厳しい状況だったり
5年と言う歳月の長さを実感した。
この5年は自分にとってもあっという間と言うほど充実していた反面
物凄く内容が濃くて10年以上にも匹敵するそんなイメージです。
子供が小学1年生から5年生になる位いろんなことがあった。
ただ、出不精で、住んでいるところからはほとんどでいていない。
前の会社の時には週の半分以上がが出張、ホテル暮らしだったことを考えると
大分変わったなっておもう。

5年前と今と変わった事と言えば
今は大半を自分で考えてお仕事ができているという事かな、
っていうか、そうしないと仕事が回らないからですが・・・
前は、与えられた仕事をいかにクリアーするか、いかに会社が望む以上の仕事をするか
で頭を使っていた。
頭を使うことは変わりはないし、今も昔も全力で頭を使っているつもりですが
使うタイミングが変わった感じです。

どちらも大切なので、昔の感覚も忘れてはいけないと電話をしていて思ったりもした。

さて、今日も盛りだくさんのお仕事。そろそろ畑へ行ってきます。
明日は仲間とやっている夢かなえ隊の田んぼの稲刈り。準備をしっかりして明日に供えます。
今日は、不思議な感覚の一日でした。
そんな今日の人間によってナンバリングされた日付は2014年3月2日

今日は、農作業の合間を縫って、かねてから楽しみにしていた、立川談慶さんの落語を聞きに
飯田平安堂へ行きました。行く前、テレビを見ていると、かねてから挑戦したかったマラソンをやっていた。びわ湖毎日マラソンです。ちょうど30キロ手前で苦しそうな川内選手が先頭集団から遅れていった。実況でも、今日の川内選手は中盤前でかなり苦しそうで、厳しいのでは?と言う解説が繰り返し流れていた。応援しつつ、男系師匠の落語は14時からなので、テレビを消して平安堂へ向かった。
ちなみに私は阿南高校時代陸上をやっていて長距離をしていました。今では鍛えていない体は太ってしまいました。でも、あのころを思い出して軽く走ってみたいと夢見て、4月の天竜峡10キロマラソンや5月の中川ハーフマラソンそして、10月の風越山登山マラソンに出ようと思ってます。無謀だということはわかっていますが。

そういった思いとは裏腹に、談慶師匠の落語は14時からで、あと10ッ分で開演。テレビを消して、川内君に頑張っての気持ちをテレビ越しに送り、我が家で始めて収穫したトマトをもって車に乗り込みました。今日のアップルロードは日曜日と言うこともあり、いつもより混んでいて平安堂飯田店についたのは1っ分前。
急いで、店内にはいり、落語会場を目で探すと、小説と雑誌の狭間の平場の奥にステージがありその手前に椅子がたくさん置いてあり、すべてまん席になってました。椅子の数は8×6列くらい立ち見は20人弱、よくも店内でこれだけの人を収容できるな!などと感心しました。

そんな中、店長登場。談慶師匠の紹介と本のセールスがありました。私はもともとの仕事が販売関連だった事と本屋好きだったので本屋さんの店長t歩いう人種を若干一般の偏りは知っています。その常識同様、笑いや間、おちもでゃんとある前説でした。流石です。
そして、談慶師匠登場!おお。男前じゃないですか。
私は、談慶師匠の「大事なことはすべて 立川談志におそわった」と言う本を先月の八戸一人旅の前に、衝動買いして、そのたびの中で読ませてもらいました。八戸一人旅は、10年以上前の自分の気持ちをある方に直接伝えるのが目的だったり、東京で前の会社の友達に会ったり、前の前の会社の友達のお店に行ったりもしました。旅行中は、大学を卒業してからのサラリーマン時代21年くらいの事をいろいろ思い出しました。いい旅でした。そんな旅のお供のほんの一冊でした。そして、本を購入する時に、サイン会があるけど来られますか?と言う店員さんの質問があり、私はなんとなく行きますと言ってサインの引換券をもらい、住所連絡先をかきました。
そんなわけで、談慶師匠のサイン会&落語に来たのです。

談慶師匠は9年以上も前座をしていて、9年の間にいろんな苦労や失態がありそれでも、。。。は、本を読んでみてください。ただ、私との共通点は、私は大卒後は言った企業で、9年間も同じ場所(秋田)で転勤もなく過ごしました。出世する同期は。1,2年で全国を転々として、東京や名古屋大阪のような大きな店舗で仕事をしています。私もチャンスはあったのですが、そのたび失態や上司の逆鱗はたまたお門違いの努力でそんなチャンスを逃してきていました。だから、読んでいて、以上に共感が持てました。そして、その時の上司の事は、一生の大切な恩人だと思ってます。それに、その9年間は無駄どころか、私の宝物です。

さて、師匠の話は、フリップを使ったり、クイズだったりして「お血脈」を楽しく聞かせてくれました。世界三大宗教の16億人はキリスト教、8億人はイスラム教、3億人が仏教、仏教んが日本に来たのは西暦538(ごさんぱいと覚えるといい)など勉強になるプチ情報満載です^^
また、「牛ほめ」の与太郎も愛嬌があって、おじさんもそんな与太郎を優しく相手していていい空気管でした。

しかし、本屋さんの中での落語はさすがにすごいです。館内放送(どう聞いても今必要ないじゃんと思う放送をなぜ入れたのか?打合せてあった?なんてなことはないか・・・)が噺の途中で入ったり、お客さんが本を選びにうろうろしたり(本屋さんなんで仕方ないですが。。。)
そんな中、2,3分で場をあっためて、あとは、談慶師匠に会場が引き込まれましたね。
実は、私、大学時代落研にいました。決してしっかりやったわけではないのですが、聴きながら大学時代の事を思い出してすごっく懐かしい気持ちにもなりました。
そして、サイン会。八戸一人旅の時の本にサインをいただき、お礼に我が家で昨日はじめて収穫したトマトを2個差し上げました。とっても喜んでいただき嬉しかったです。握手をしていただきましたが、さすが体を鍛えているだけあってがっちりとしたいい手をしていました。

その後、帰ろうとすると、平安堂さんの女性スタッフさんが私を呼び止めました。
「木下さんじゃありません?〇〇です」
すぐわかりました。だって、高校の後輩でとっても素敵な方だったのです。大好きでした。お仕事があるので多くは話せませんでしたが、更に素敵になっていて、嬉しくなりました。

2月から3月は高校生から43歳くらいまでの事をいろいろ振り返りました。と言うより、振り返らされた?のかな。自分って、歳も変われば体系も変わるし、住むところだって、仕事だって変りました。でも、すべては心の真ん中の大切な所とつながっていて、その部分は変わらないんだなって思います。だいぶ経ってから会う人が最近増えていますが、昔と変わらずお付き合いできている事がとても嬉しい今日この頃です。


やっぱ、人と人との出会いは、いつの時も大切だなっておもいます。
1日1日を大切に
一期一会を大切に
します。
私の家では節分に
 夕方、蟹柊鰯のお札を柱や神棚いろんなところに貼ります。
 その後、晩御飯に、鰯を焼いてたべ、
 食後に「福は内、鬼は外」といって豆をまきます。

素敵な風習です。大切に守っていきます。

ちなみに、蟹柊鰯の
 蟹は、はさみで鬼を追い払い
 柊は、葉っぱのとげで鬼を追い払い
 鰯は、鰯を焼くにおいで鬼を追い払う
いみだそうです。蟹柊鰯
・そうじ
・婚活実行委員会のフェイリングとまとめ
・夢かなえ隊のファイリング
からの
 婚活実行委員会反省会兼飲み会

自分のお部屋をアップできるように
綺麗にしようじゃないか!!
全力で農業!楽しんで勉強!

※プライベートな期待やら心配をいただいてますが
 なるようになると信じて、あえて今年のテーマに入れません。
 昨年は、アウトプットが多かったですが、
 今年は、インプットを忘れずに、自分を磨きます。