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bisui.nihon 美粋書房

『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中

主体性の健全性

基礎躾が悪く、立派な事を言って評価を受けようなどという欲求の起こり方に、健康な主体性の崩れた性質が映る。「迷惑をかけない事、犯罪をしない事」ここが出来て真面に相手にされる。どこか頭がでっかく自己認識の適正を崩し、妙な欲求と振る舞いに外れた病理性がしばしば出現する今日の状態は、長期尺度から見ると危うい未来を増幅させる。人間性の根元や骨格的な悪性へついて、基礎基盤原理に立ち、適正を作る事があらゆる面における良性への手掛かりになり、飛び越えた発想や虚像的な概念へ偏る事への適正化が望まれる。物事のごく自然な流れを抑え、力んだ姿に陥らず、健康な主体性へと修復する事に、一丁目一番地の価値が映る。言葉や概念ばかりが、妙に細分化して、基軸の論旨が不明瞭で、どんな生産性にあるのか、定かでない表現や生産に外れて、健康な規則性や性質を崩した現象と映る事が少なくない。細分化に対して、良き統合作用に及んで、適正な制御性を果たす主体性が作られる。個々人も、集団も、地域社会という纏まりを伺うにも、主体性や領域の概念が原型に備えられ、どんな動力や欲求から、どんなインプットと変換工程と出力に及んでいるかの状態を伺い、活動の適正を測定することになる。内部の人々が思い抱く効用と外界からの反応を程よい周期性で実感する習慣において、適正な自己と外界の認識が生まれる。寡占的な構造へ及ぶほどに、この適正が崩れて、権力や財力を一方向性の欲求を遂げる力と活用し、健全性を欠く主体性が出現する。力が大きくなるほどに、それを適正に制御する自己基準が内蔵されて欲求や力への責任が伴い、健康な主体性へ至る。基準の形成と公平な適用をもって社会の公器と認識され、大局的システム上の適正な作用を生む。この基準に、基礎的な躾が当たり前に含まれ、これに留まらず、自己への厳しい要求を自らかして大きな力の効用と影響を測定し適正な管理能力を備えて、健康な生産者と見做される。規模が大きくなり一貫した感性が手足まで行き届かないような運営にあっては、経営側の過剰な欲求と管理能力の欠如を指し、内部システム上の不適格に及び、それが外部へ表出する因果性と映し出される。この状態にあっては、適正なエネルギーの制御性を意図して規模の縮小をもって筋肉質な健康体を望むのが、客観的な自己認識と健康管理に当たる。外界へ犯罪を働き迷惑を与えるような主体性が、真面な積極的創造性を遂げる事はなく正よりも負を作り出される。この様相を第三者的な立場や管理監督する立場が備えられて、基準の尺度の形成と誤差を測定し、過剰な欲求であるかどうかの管理と判断と改善の施策を投じる常態的システムの所在と真相がカギになる。自己が考える基準を堂々と明瞭に示す事が最低下限の条件になり、これが不十分では他者の尺度を強要して、管理を強めて健全性の維持と向上の軌道が持続する。自己によって基準が形成されず外界の有用な基準を間借りするか、無断で活用する盗みに至っては、根本的な性質の破綻を指し、根の深い慢性的な病理と特定しても過言ではない。過剰な欲求と能力不足と認定される。こんなごく当たり前のような点が当たり前に備わる所に健康な心身が映し出される。これを飛び越えて虚像的な自己認識を作り外界への利益を提供しているかの感覚に至るようでは、規則性の適正を欠き病気と断定されても不思議はない。病んだ感性を各所に広げる影響について的確な判断や対処が怠ると、病理が拡大し取り戻し困難な事態を招く。淡々と悪性の根を切り取る事が最良策と思います。根から幹に浸透して病んだ枝葉と実を作り、生物の基礎的性格を出現させる。分けの解らない理屈を多発して、基礎的な理屈が見えないようでは病気を指す。中学生並みの頭や感性でも解る事だ。価値の優先序列を誤らずに地に付く健全性をもって、応用する態度に持続的な良性が映し出される。