落下の解剖学を観た
ポスターは完全にコーエン兄弟の『ファーゴ』にしか見えないです。それか『ウインド・リバー』か。どっちも好きな作品ですね。一面雪にぽつんと佇む画は何個もあってごっちゃになるから許してください。それはさておき、この作品は大変味わい深い!!!
ざっくりとしたあらすじは小高い雪山のコテージで男性が転落死します。はじめは事故として片付けられていたこの事件ですが、次第に捜査の手が男性の妻であり小説家の女性サンドラに伸びていくのです。目撃したのは男性の息子で視覚障害を持つ少年11歳のダニエル君ただ一人。裁判の中で明らかになっていく秘密や嘘。そしてこの事件の真実とは…
みたいな感じです。
予告編のサスペンス味溢れる印象とは異なっていて、事件のトリックに驚きというかフックの強烈さがあるわけではなくて、法廷ドラマが中心といった内容になっています。「あ〜、こういう展開なんだ」と驚きはしましたが、この作品のことをずっと考えてしまいます。寝つきが悪い私はあれこれ考えて悶々として脳がみるみる覚醒するという悪循環に陥ってしますのですが、その悪癖に拍車をかけてくれます。そのくらの持続力があるのです。
映画の上映時間は152分でやや長めですが体感は130分くらいでした。「入り込んじゃってあっという間でした!!!」とまではいきませんが気持ち早く終わったなくらいの感覚でした。
ー以後ネタバレ含んでますー
どちらか1つを心に決める
夫の転落しは自殺だったとする弁護側と妻による他殺だとする検察側、両者の意見は全く異なっています。私は誰かが意見するたび「この人の主観でしかないぞ!」という注意を頭の中に思い浮かべながら裁判の様子を見守っていました。
インターネット上でもなんでも安易に片側につくことの危険性は正直みんな理解しています。また、偏った情報を鵜呑みにしたことで起こる誹謗中傷や連鎖する悲惨な出来事を過去何度も経験したはずです。インターネットであれば片側に重心をかけすぎないように慎重に情報を精査して中立の立場で見守ることはできますが、裁判ではそうもいきません。どちらか決めないといけないんです。自分が決めなくてもどの道結果が出るのであれば、より自分が納得できる方を選ぶ必要があります。
父と母のどちらかを選択しなければならない状況で路頭に迷ってしまったダニエルに監視のため付けられた女性が言うのです。「どちらを選んでも正解なんてない。ただ、どちらか1つを心に決めないといけない」
どちらかが一方的に嫌いになれるような悪人ならばそれも容易いですが、加害と被害の矢印の種類や大きさがバラバラに向いています。報道では削ぎ落とされてしまうそれらに白黒つけるのはあまりに難しい、というか正解は出せないんです。何度か報道の様子が映りましたが、自分が事件の報道だけを目にする人間だった場合どう思うかも考えていました。
現実とは得てしてこういう曖昧な状況が大半で、グレーの範囲を縫っていくしかないです。「善悪なんてないよね」みたいな映画は沢山ありますが、「でもね、どちらか決めないとね」と当たり前のことを言ってくれるところが優柔不断な自分にはとても刺さりました。
ダニエルの選択
裁判の最終日、ダニエルは証言台の前に立ちます。父親の最後の言葉が自殺を連想させるものだったと思うと話します。検察官に指摘されたとおり完全にダニエルの主観でしかありません。むしろ隠喩ではなくそのまま犬についての発言ととる方が妥当です。それが判決にどれだけ響いたかは定かではありませんし、証拠になり得ません。しかし、自分の心に従った彼の言葉は嘘が渦巻くあの場所で強い誠実さを帯びて響きます。そして私はむちゃ泣きました。
解剖学
解剖学というタイトルがとても好きです。解析、分解みたいなロジック味を感じる言葉でも良さそうなところを解剖。論理的、物的証拠から考えればそれでOKではない裁判を扱うならば解剖の方がピッタリに感じます。肉感というか血が通ってる何かが蠢くような印象を受けるからです。
まとめ
圧倒的な脚本の強度は観た人間にアタックしてくる力があります。そして鑑賞後は日常生活に入り込み多くのリソースをこの映画に割いてしまうんじゃないかと思います。どんでん返しや派手なトリックで魅せるサスペンス映画に飽き飽きしている人がいるならば是非とも鑑賞して欲しいです。