陰暦の8月1日を「八朔」といった。「朔」とは「朔日」のことで、この日、農家では新穀の贈答や豊作祈願の行事が行われた。その後、贈答儀礼が慣習として一般化されると、新穀だけでなく地域によっていろいろなものを贈るようになった。そのひとつにショウガ(生姜)があり、八朔を「ショウガ節供」ともよんだ。

ショウガには独特の辛味と芳香があり、料理に欠かせない薬味のひとつである。その歴史は古く、中国の歴史書『魏志』倭人伝には、古代の日本(倭国)にはサンショウ(山椒)やミョウガ(茗荷)とともにショウガがあったが、それをつかった旨くて滋養になる料理を知らないと書いている。当時の日本人はまだショウガの薬効に気づいていなかったようだが、その後、優れた効能を知るのにそれほど時間はかからなかったようである。

ショウガには健胃、発汗、解毒の効能があり、刺身や魚料理にそえることで生臭さを消すはたらきもある。そこで、8月1日には、暑気で衰えた食欲を回復させるために、あの辛味の利いたショウガを贈るようになったのだろう。

また、毎年、9月11日から16日まで、江戸飯倉神明社(芝大神宮)でショウガ市が開かれた。いまも16日は「だらだら祭り」とよばれ、ショウガが店に並べられているが、これも一説には、ショウガの毒消しの効能が起源ともいわれている。

まけたまけたその拍手のしょうが市  其角        

                    (竜)

春を告げるヨモギ

 冬の間に降り積もった雪が解け始め、大地がふたたび顔を見せると、またたく間に木の芽や若葉が萌え出す。日本の春の訪れだ。ヨモギも春を告げる草のひとつで、漢字では「蓬」や「艾」と書き表すことが多いが、「善萌草」と書くこともある。これはヨモギの語源「よく萌える草」にちなむもので、一番ヨモギらしいかもしれない。

 ヨモギにはまた、「餅草」という異名もある。春、まだ若い葉のうちに摘んで、ゆがいて餅につき込む。「草餅」の出来上がりだ。きな粉やあんをまぶして食べれば、口の中に春の香りがいっぱいに広がる。江戸初期の草餅は母子草(ゴギョウ)をつかったが、末期にはヨモギが主流になったという。

 このヨモギ、薬草としても有名で、艾<もぐさ>にして灸にしてもよし、煎じて止血や下痢止めの薬にしてもよし、美肌や強壮にもよしの万能薬だ。中国では、そんなヨモギの薬効を古くから知っていたようで、端午の日にはヨモギやショウブ(菖蒲)を魔除けとして用いた。その習慣は日本にも伝わり、五月五日には武家や町家の屋根や軒にヨモギを葺いた。

 いろいろな薬効もあり魔除けの呪力もそなえたヨモギは、春を迎え、ふたたび元気よく活動を開始しようとする人々にとって、健康を守ってくれる強い味方だ。この春、まずは草餅でも頬張って、春の香りを楽しんでみてはいかがだろう。

  草餅や片手は犬を撫でながら  一茶

数年前の一月半ば、西新井大師へ行ってきた。境内には正月の名残りの露店が並び、本殿から響く読経の声が、辺りの空気を特別なものにしていた。

寒桜の古木に蕾がふくらみ、早咲きの一輪が冷たい風の中、冬の空に向かって、花びらを開いていた。八十四歳になる義母の歩調に合わせて歩くと、日頃の忙しない暮らしの中では見落としてしまうであろう、美しい風景と出合うことができる。

帰路、境内を抜けるだいぶ前から、門前のだんご屋からの、景気のよい客引きの声が聞こえてくる。弘法大師・空海は、だんご好きだったのだろうかとなどと考えながら、せんべい屋、そば屋、雑貨屋と軒を連ねる参道を歩いて行くと、一軒の豆菓子専門店を見つけた。その名も「まめ屋」という。色とりどりの店内を、味見をし、迷いながら一袋の土産を買った。

王子駅から向かうバスの車中、先刻買った豆菓子が手提げの中で、カラカラとかすかな音を立てている。窓外を過ぎていく景色を眺めながら、ふと思う。寒くなれば湯豆腐の鍋を囲み、節分には豆をまいて暮らしているのに「私は知らないなあ、豆のことを……」と。

見ても見ず、聞いても聞かず、一番大事なものを見落としてしまうような人生は、御免蒙りたいものだと思い、後日、図書館から専門書を借りてきた。ティーカップ片手に、何気なくページを開くと、そこには「豆」にちなんだ数々の諺が、ぎっしりと並んでいた。全くの未知の、しかしとても魅力的な世界が、大きく手を広げて私を迎えてくれたのだった。

〈卯の花盛りに豆をまけ〉。卯の花の盛りになったら大豆をまくとよい。これが福岡地方では〈柿の芽が出始めたら〉となり、大分地方では〈淡竹(はちく)が抜けたら〉、佐渡地方では〈コブシが咲いたら〉となるそうだ。その土地ならではの趣がある。

「九月納豆御大般若様より有難い」(福島地方)。旧暦九月の納豆は、新しく収穫された豆で作られ、味もよく、大般若経より有難いという意味だそうだが、何はともあれ、かの月に舎利子(釈尊の弟子)がこの納豆を食べなくて幸いであった。

また、日陰でも熟せばエンドウ豆は自然にはじけることから、時期が来れば物事は自然に達せられることを「エンドウは日陰でもはじける」というように使うらしい。本当に初めて知ることばかりで、ついつい引き込まれてしまった。

食卓に欠かせない「大豆」は、中国から縄文時代か弥生時代の初期に、日本に伝えられたとある。はるか昔から「豆」は、日本人の生活の中に深く溶け込んで滋養となり、舌の上で言葉となって、人から人へと繋がって今に伝えられていることがよく分かった。

一微塵の内に全宇宙(法界)を包含していることを、仏教では「一塵法界」というそうだ。一粒の「豆」の中に秘められた宇宙に、想いを寄せることができるほどの速さで、日々を暮らしたいものだと、あらためて思った。

白蓮豆(調布市在住)