数年前の一月半ば、西新井大師へ行ってきた。境内には正月の名残りの露店が並び、本殿から響く読経の声が、辺りの空気を特別なものにしていた。
寒桜の古木に蕾がふくらみ、早咲きの一輪が冷たい風の中、冬の空に向かって、花びらを開いていた。八十四歳になる義母の歩調に合わせて歩くと、日頃の忙しない暮らしの中では見落としてしまうであろう、美しい風景と出合うことができる。
帰路、境内を抜けるだいぶ前から、門前のだんご屋からの、景気のよい客引きの声が聞こえてくる。弘法大師・空海は、だんご好きだったのだろうかとなどと考えながら、せんべい屋、そば屋、雑貨屋と軒を連ねる参道を歩いて行くと、一軒の豆菓子専門店を見つけた。その名も「まめ屋」という。色とりどりの店内を、味見をし、迷いながら一袋の土産を買った。
王子駅から向かうバスの車中、先刻買った豆菓子が手提げの中で、カラカラとかすかな音を立てている。窓外を過ぎていく景色を眺めながら、ふと思う。寒くなれば湯豆腐の鍋を囲み、節分には豆をまいて暮らしているのに「私は知らないなあ、豆のことを……」と。
見ても見ず、聞いても聞かず、一番大事なものを見落としてしまうような人生は、御免蒙りたいものだと思い、後日、図書館から専門書を借りてきた。ティーカップ片手に、何気なくページを開くと、そこには「豆」にちなんだ数々の諺が、ぎっしりと並んでいた。全くの未知の、しかしとても魅力的な世界が、大きく手を広げて私を迎えてくれたのだった。
〈卯の花盛りに豆をまけ〉。卯の花の盛りになったら大豆をまくとよい。これが福岡地方では〈柿の芽が出始めたら〉となり、大分地方では〈淡竹(はちく)が抜けたら〉、佐渡地方では〈コブシが咲いたら〉となるそうだ。その土地ならではの趣がある。
「九月納豆御大般若様より有難い」(福島地方)。旧暦九月の納豆は、新しく収穫された豆で作られ、味もよく、大般若経より有難いという意味だそうだが、何はともあれ、かの月に舎利子(釈尊の弟子)がこの納豆を食べなくて幸いであった。
また、日陰でも熟せばエンドウ豆は自然にはじけることから、時期が来れば物事は自然に達せられることを「エンドウは日陰でもはじける」というように使うらしい。本当に初めて知ることばかりで、ついつい引き込まれてしまった。
食卓に欠かせない「大豆」は、中国から縄文時代か弥生時代の初期に、日本に伝えられたとある。はるか昔から「豆」は、日本人の生活の中に深く溶け込んで滋養となり、舌の上で言葉となって、人から人へと繋がって今に伝えられていることがよく分かった。
一微塵の内に全宇宙(法界)を包含していることを、仏教では「一塵法界」というそうだ。一粒の「豆」の中に秘められた宇宙に、想いを寄せることができるほどの速さで、日々を暮らしたいものだと、あらためて思った。
白蓮豆(調布市在住)