スケート凄かった。
私個人的に何となく彼を見てると鳥肌が立ってきちゃうような、、凄いナルシストなツワモノがいるぞーと思ってみてきた。
だけどこのオリンピックの演技には、もう脱帽で、涙が出た。音と表現、技からは彼が抱く感謝の気持ちと、この舞台に立てる喜びが溢れ出ていて、それはそれは素晴らしく、言葉では表現できないほどだった。きっと技がきまらなくて何度も転んでしまったとしても、同じ気持ちになっただろう。


ちっぽけな私、何でもない1人の私も明日はライブがあるけど、こんな私でも表現をする1人として、彼のスケートは私にも勇気をくれた。

人前で歌うことは私にとって苦しくもある。どう思われるのか不安で仕方ない。だけどどう思われるかなんてことはどうでもいい。歌える事が嬉しいと胸を張って歌おうと思う。
めんどくさい人。
これ、私だ。
ずっと昔からこんな自分がいる。変われない。
見た目ももちろんの事、思考も全てネガティブな私。
そんな私が音楽を人前で演奏するなど、やっぱり矛盾している。歌う事に喜びなんてあまり感じない。常に不安でどう思われるのか怖くて仕方ない。本当に矛盾だらけな事を20年以上も続けてきた。ほんとはちがうでしょ?と人は思うかもしれないけど、本当にそうなんだ。。

だから?

今さら歌う事をやめてもいい。やめる事は簡単。
辛い思いをしてまで、音楽でお金を稼ごうとしてるわけでもなく、音楽をやらなくても普通に生活も出来る。

20歳の時、ライブハウスで歌って凄い嫌がられた事があった。あなたの歌を聴いても何も感じない。お金を払って来たのが無駄まで言われた事がある。さすがにその時ほど落ち込んだことはない。今となってはよくぞ言ってくれたと思う。思っていても言わない人のが多いわけで、へたに良かったと嘘を言われるよりいい。お客さんが寝てしまう事もあった。
ただその中にたまに1人ぐらい何かを感じてくれているんだ、とわかるお客さんがいる。
だから続けてきたのだろう。

そんな苦い思い出を昨日は沢山思い出した夜だった。

私の歌は音楽とは違うのかな。。音を楽しんでいるわけでもないなぁ。
私はここにいますと言ってるだけかもしれない。選挙活動の遊説みたいに、マイクを持って、ただ私はこんな人なんです。と訴えている私。
これを20年以上続けてきたから凄い笑。させてもらえる環境だった。
でもいつも自信がない。
沢山の年月が経っても変われない。

音楽のことを考えると、思考が深く落ちていってしまう。何故歌ってるのか。。わからない。
でもまた歌って、また歌って、、

楽しんで帰ってくれた人なんて果たしているのだろうか、、疑問。。

人だから出来る音楽が、私が出来る表現方法。誰にでも出来る事で、特別でもない。上手くないし、技があるわけでもない、素晴らしいパフォーマンスを考え尽くして出来たものでもない。

努力出来る事はどうしたら私が私で偽りなくいれるかどうか、誠実に、本当のことを伝えるにはどうしたらいいのか、、試行錯誤すること。歌っている時だけじゃなく、普段から出来る事はないのか、それを実践することだ。

逃げ出すわけにはいかない。まだ今じゃないか。。
関わってきた人に、迷惑をかけても見守ってくれた人に対してちゃんと感謝を伝えなくては。

結局答えはまた始まりだった。

全くめんどくさくて、めんどくさくて、めんどくさい厄介な私。
 


帰ってきた。なんとも言えない穏やかな空間にただただ安穏する。

下の子は駅のホームまで父ちゃんと迎えに来てくれて、私の顔を見るなり泣き出した。ありがとう、家族にどうやって伝えればいいのか、母ちゃんはあなた達がいるからこうやって安穏出来る居場所があるのだと、かんじずにはいられなかった。そして、寝てるはずの長男の部屋へこっそり入ると、まだヘッドフォンを付けてベッドの中にいる。小さい声で何だか眠れないと言った。私は頭をポンポン撫でながら、留守番をありがとうと言った。いつもは嫌がるのに、うんと呟いた。私は何度も頭を撫でて、明日あるからもうヘッドフォンは外して寝ようと言うと、うん。おやすみと言った。彼はきっと待っててくれた。大きくなったなー、お兄ちゃんになったなー、でもまだ私が必要なんだ。ありがとう。やっぱり泣けてくる。

また明日から始まる、あ、もうあと何時間後か。

ただ大阪へ行って2日間歌を歌って帰ってきた。家を空けて昨日行って、さっき帰ってきた。ただそれだけのことなのに、、家族が支えてくれている。本当に嬉しかった。

立ち止まって、これでいいのかな。と感じる時は
やっぱり必要。ありがとうと思える瞬間は立ち止まったり行き詰まったりしないと、ちゃんと感じるのが難しいかもしれない。

やっぱり行ってきて良かったんだ。