私は全く反省していないわけではありません。
罪悪感と後悔と、たくさんの方々を裏切ったことを思うと、「今こそ死を選ぶときのような気もしています。
おそらく皆さんと私は、「死」に関してどうにも埋められない、恐怖ともまた違う、辛さも感じようのない「ただの移行」としか思えないのです。
恐れるのもまた勝手であり自由ですが、恐れて萎縮して何かいいことありましたか?
狩猟が主な仕事だった時代はそりゃああ、恐怖を感じ、萎縮することで無駄に敵に姿を見せず、ひっそりと狩りをした個体たちが天敵とも共存して命をつないできたわけですよね。
すべての感覚が現在も残っているのにはちゃーんと必ず理由があるのです。
だから、なんというか、その感覚、感情あってこその現代のわれわれだったりするのですね。
なんかですねえ、あれからもう、やるしかねえんだよな、どうせやるんだったらやりたくないことなんてやることなしに、幸せを感じるほう、感じるほうへ進んでいけばいいんですよね、きっと。
なぜやりたいことや得意なことにこだわるべきなのか。
理屈で説明してもピンとこないかもしれないなあ、なんて思うので、だったら逆に世界中の人が絶対にやりたくないことを職業としなければならない、なんて恐ろしすぎる決まりができたら、間違いなく争いだらけになりますよね。
「俺って手が器用かも!」 なんで気づいちゃっても誰にも言えない世界。
ちょっと今日はなんかまとまらないな。
自信とかそういうの、無いからなぁ。
それでも生きていかなきゃならんのだよね。
みなさん、本当に申し訳ございませんでした。