このブログを書くのはすごーーく久しぶりです。
ひょんな事から半年くらいログインできなくなってたのですが、無事に再ログインができるようになりました。

あれからたくさんのことがありました。
大学病院の研修生を終え、派遣で半年間病院勤務し、その後再び薬剤師レジデントになるも、体力と精神面で挫折し、今現在は全然関係のない職種で働いています。新しいことにチャレンジする毎日ですし、何よりも自分に向いてる仕事ができるからよかったです。

プライベートでは、一昨年の自分の誕生日には入籍をすることができ、術後3年目の日に結婚式も行うことができました。

相変わらず、専門病院には定期検査をしに行っていますが、通院頻度が3ヶ月から半年に延びました。

あとは私の経過を論文にしてくださった先生がいて、異所性胸腺腫ということですが、もしかしたら、胸腺由来ではないので、通常の胸腺腫とは同じ経過を辿らないかもという嬉しい報告をされました。


再発や重症筋無力症の発症に怯えることもなくなりました。

本当に4年間の間にたくさんの人に助けてもらって、こんだけ元気になりました。このご恩は感謝の一文字では表せないくらい、大きなものです。
当時の私を支えてくれた元彼もいい友人ですし、当時の親友の1人は最愛の夫となりました。
人間関係もめまぐるしく変わりましたが、本当に幸せな毎日です。


なんでこんな日記を書こうかと思ったかというと、佐々木彩乃さんの「乳がんでもなんとかなるさ」を読んで、当時の自分の術後のことや術後復帰した後に身体や精神が辛かったことを思い出したからです。そして、さらに思ったのが以下のようなこと。


もしかしたら、当時の私のように若くして同じように原因不明の病気によりたくさんの病院を転々としたり、診断に時間を要して、就職や学業の面で苦労している人がいるかもしれません。稀な病の場合は経過が分かりにくいので、同じ病気の人を探そうとブログ検索等を行ってる方がいらっしゃるかもしれません。

そんな人達に少しでも希望の光が灯ればと思い更新に至りました。


私なんかより大変な病気の人はいっぱいいるし、抗がん剤治療も私はしていないので、病人レベルとしてはヘナチョコですが、この経験はかなり勉強になりました。

現状に慢心せず、今ある幸せを噛み締めて、少しずつでもまた頑張って行こうと思ってます。

ありがとう(*゚▽゚*)

相変わらず再発はしておりません!

今は大学病院を辞めて、実家の会社で働いております。全然違う分野なので、わからないことだらけですが、頑張ろうと思います。


実家の会社の子会社を作りましたが、ちょっと方針が合わないので、独立しようと思ってます。

来年には自分の薬局を一つは建てたいな~。
<今までのまとめ>

最初は卒業試験で高得点を取ってなれる学科代表を狙ってたから、毎日鬼のように勉強したんだけど、12/21の模試一日目終わりから謎の首の腫れと発熱に襲われる。
急いでクリニックに掛かると「悪性リンパ腫の可能性があるから、某都立のがん感染症センターに紹介状書きますね」って言われ涙目(°_°)
次の日は模試とクリスマス会があったけど、それどころじゃなくお休みする羽目に。

そのうち左側全部のリンパが腫れて一時は歩けない状態に。

2012.12/27
その後、紹介状を貰うも全く相手にされず予約取れない→いまむーが電話で無理やり予約を取ってくれて受診へ。

がんマーカーと血液検査から、感染によるリンパの腫れの可能性が高いので、抗生剤の一週間投与で様子を見ることになる。

2013.1/4
まだ首のしこり?が完全になくならないので、注射器で細胞を抜いて調べられた。結果は二週間後。

1/15,16
卒試1次

1/18
細胞検査の結果は、殆ど細胞が取れてなかったので計測不能と言われる。
やっぱり生検しないとダメだと言われて、入院して生検することに。日程は後ほどお知らせしますと言われた。


2/7,8
微熱に襲われながらも、残りの過去問を6回分やる。とりあえずの一周なので、付け焼き刃な感じ。


2/14-18
生検のために入院中。まさか国試二週間前に5日も入院するとは思わなかった。局麻の手術だったから、すごい怖かった。顔にビニールシート掛けられたけど、電気メスで自分の皮膚の焦げるの匂いとかわかるし。
嬉しかったことは成績発表に行けないため、教授が卒試の成績を電話で教えてくれたんだけど、「学科代表とは程遠いけど、ギリギリの順位で表彰されることになったよ。5万円ゲット!」って言われたこと。
体調が悪過ぎてもう諦めてたことだったけど、努力した分は返ってくるんだと感じた。


2/27
抜糸。抜糸のみと聞いていたのに、いきなり滑膜肉腫だと告知される。もちろん家族は連れて来ていない。病気の説明のために骨軟部腫瘍科に飛ばされる。
レジメンを聞くと「メスナ、アドリアマイシン、イホスファミド、ダカルバジンのMAID療法」とか言われる。ケモ2クール、放射線2クールをとりあえず(エビデンスはないらしい)やって、大きく腫瘍周りを切除。左の鎖骨はなくなるらしい。
吐き気MAXですね…と突っ込みを入れた。待合室では生物の要点集をひたすら読んで平常心を保った(°_°)
入院は早くした方がいいって言われたけど、卒業式に出たかったから、ごねて19日~に。
なんだかんだで抜糸だけのつもりが13:00-18:00までMRIや心臓エコーなどで丸一日潰れる。
電話で教授に報告。ついでにセカンドオピニオンをみてもらうための病院を探してもらう。

2/28
某癌研の病院に紹介してもらえることになり、今までの病院で紹介状を書いてもらう。3/4受診になる。

3/1
滑膜肉腫じゃなくて、良性の胸腺リンパ腫の可能性もあると言われて新しい病理の結果をPDFファイルで貰う。

3/2,3
国家試験。
手応えなさ過ぎて涙目だったけど、答え合わせしてみると卒試と同じぐらい取れてた。


3/4
初受診。がん専門病院だけに怖い先生ばっかりかと思ったけど、面白くて優しい先生だった。
今は二つの病気の候補が出てるけど、これによって全然治療方針が変わるから、慎重に行きましょう!って言われた。


3/6
PETCT@前の病院
体に18Fを標識したグルコースを打ち込まれる。疲れてるためか検査中も爆睡。被曝してて放射線が出てるから、一日出かけないように言われる。

そんなわけで、医師と会えないので母が代わりに説明を聞いて、検体とMRIなどの結果を受け取ってくれて新しい病院に提出してくれた。

3/7
二回目の受診。
PETの結果から腫瘍部分のグルコース集積は乏しいので、滑膜肉腫の可能性は低くなってきたと言われる。しかし、がんでも成長停止期間があるため、最終決定は病理と遺伝子検査によると言われる。
(滑膜肉腫は遺伝子の転座によって起こるらしく遺伝子検査の結果でわかるらしい。)

そんなこんなでしばらく遺伝子検査の結果もでないし、卒業式は出られる許可が下りたし、卒業旅行も順調に行けば行けるかもとのこと。

最初は5日から化学療法だとか言われたけど、こんなことってあるんだね-(*_*)

3/19
遺伝子検査(ー)により滑膜肉腫の可能性は否定された。
しかし、他の肉腫の可能性も否定できないので、まずは残っている検体標本を用いて、もう一度確認すると言われた。
肉腫でなければ、整形外科から頭頸科へ転科することになると言われる。
肉腫であれば、二つの科の先生が手術に関与してくださるとのこと。



4月
ついに社会人デビュー?
某病院で研修生としてお世話になる。
いきなり受診のために休みを取ると嫌な顔をされる。

生検標本では一部しか採取できていないため、腫瘍を全摘して再度検査をやり直さないと病名は判定できないとのこと。PETの結果やエコーの結果から、良性のEctopic thymoma(異所性胸腺腫)にあたりをつけて手術を行うことになる。

日を改めて、手術のための検査。
また休みを取ると嫌な顔をされる。

病気のことも心配だったけど、社会生活が真っ当に送れないのが辛かった。

4/15入院
4/16手術
初めての全身麻酔手術。
OS-1を飲みながら、手術30分前まで計量の課題をやる。
手術がはじまり、静脈ルートが取られた後に薬が入り意識がおちる。
夢の中で散剤と分包機と格闘する。悪夢だ。
起きたら、喉が痛いし、ドレーンは繋がってるし、尿カテも入ってるし、酸素マスクまでされてた。首のせいで寝返りが打てず、数時間起きに体位変換をお願いする。ドレーンは10日で抜けて、14日間で退院。7日間自宅安静。
復帰するも、一日でダウン。
本格復帰はGW明けに。

6月
病理の結果がでる。
「切除断片が怪しいけど、多分胸腺腫だと思うよ。」というちょっと不安になる言葉をいただき、半年に一回の検査と受診で経過観察となる。

9月、2014年3月:検査→今のところ再発なし。

改めて見ると、すごい怖い思いしたな。