ここ最近はずっと東京で、ロサンジェルスで知り合ったアメリカ人の友人が来日したので新宿でビジネスの話やロックの話で深夜まで語り合いました。


ほぼ、眠らずに始発の新幹線で名古屋へ。





おばあちゃんが亡くなってしまい・・


本日も仕事が山のように入っていたので仕事を優先し東京に残るべきか?


人として帰るべきか?


こんなことを考える時点でやはり僕は糞人間ではないかと思いながら名古屋へ。



母子家庭に育った僕には、おばあちゃんの力が無くては大きくなれなかったと言っても過言ではない。

静かに眠るおばあちゃんの最後の姿を見て・・



何も恩返しが出来なく・・おばあちゃん、ごめんなさいです


と言う気持ちしかなかった。



忙しいとか言い訳ばかりするのではなく、時間を作り、生きているうちに会いに行くべきだった。

後悔先に立たず。



火葬して頂き、お骨上げもさせてもらったが・・



いずれ人間はみんなこうなるのだ、生まれた瞬間から。

金持ちも貧乏人も美人もみんな一緒。

ここで初めて人は平等になるのだと思う。



お墓は貧富の差があるが、それは生きている人間のある意味満足度であり、本人そのものは関係なく、みんな骨になっちまう。



なんか、切ない気持ちと言うか、、、違った意味では安堵感というのか、、


その絶対に避けられぬ日が来るまで後悔の無いように一生懸命生きるしかない。




おじいちゃんがなくなって8年。

おじいちゃんとおばあちゃんの年齢差はおばあちゃんが8コ下。



つまり 



おばあちゃんは、おじいちゃんの年齢になり亡くなった。



偶然とは思えないんだ。





おじいちゃんが笑顔で待っていてくれて


今頃一緒に手を繋ぎ歩いているかな・・。


そして僕が幼い頃リアルにみていた



おじいちゃん 『おーい、酒持って来てくれ~。』


おばあちゃん 『もう、まだ昼間ですよ~。』




そんな会話をしてるんじゃないかなぁ。。。



さようならだ、おばあちゃん。


いつかきっとまた会える日が来るまで全力で頑張ります。




感慨深く、愛情深く、溢れそうな涙を、母親が悲しまぬよう零さずに。


東京へ戻り、木曜日からロサンジェルスへ向かいます。



おばあちゃんは最高に優しく、これからもずっと大好きです。



syun