両親と、一つ年下の妹、三つ離れた弟の五人で暮らしていた。
父は木こりで、毎日、太い木を何本も切り出しては、山のふもとの製材所まで運び、現金に変えていた。 それは時によって、米に変えられたり、灯油に変えられたりしながら、我々家族の生活を支えていた。
母は、川魚の薫製づくりの名人で、僕らが面白がって釣ってくる岩魚やヤマメを様々な薫りの出る木の皮で毎日何本も燻した。
母の作る薫製は、村でも評判で、食べ盛りの子ども三人の毎月のおやつ代を補って余りあった。もっとも、子どもたちは、森になるいちじくや、あけびといった野の果物をおやつ代わりにする毎日で、わざわざ買って食べるようなものは何もいらなかった。
僕たちは山の上の森の中に住んでいた。