近年、京大が面白く無くなっているとの声が多いが、私はその意見に疑問を持っている。というのも、彼らのいう「京大の面白さ」というのは総じて、好き勝手に立て看板を立てたり、時計台に登ったりする行為について述べているからだ。私はその行為が面白いとは思えない。京大の面白さというのは一に学問だと思っている。そもそも、学問やりに京大きてるのに面白さに学問の文脈が入ってくる割合が少なすぎないか?(というか含まれてない)

 

 私のような学生は多い。京大生は政治的な主張や大学への文句を言う以外にも、サークルの勧誘などの目的で立て看板を立てる。しかし、彼らは指定された場所に立てるのであってサークルの勧誘の目的ならそれでも十分だ。あと、時計台占拠。シンプルに危ないし、政治運動じゃないですという顔をしつつ、"占拠"の表現で思想を暗喩しているようで好きになれない。

 

 何度も言うが私は学問をやりに大学に入った。京大に来ればさぞかしレベルの高い人に出会えると思い心を躍らせて入学式に臨んだ際に、百万遍にコタツを敷いて警察のお世話になった学生がいたときはそのレベルの低さにがっかりした。好き勝手にするのが京大の面白さだと思っている人がいるとしたら、私はそれに反対する。もし本当にそう思っているのなら「好き勝手するのは"自分にとっての"京大の面白さ」あるいは「"自分にとっては"京大の自由」というふうにあくまで自分や自分達の周りの価値観であると主張してほしい。彼らではない、本当に面白い京大生というのを私は知っているがそれは今後紹介することにしよう。

 

 

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