最近、美術の姿勢に思うこと最近は現代美術の表現へと移行し、陶芸はリハビリのような位置づけになっている。その一面だけを見ると、「本当に絵を描けるのか」と思われることもあるかもしれない。けれど、高校生の頃には、人物を見つめ、手を動かしていた時間が確かにある。派手ではないけれど、そうした積み重ねが、今の表現のどこかに残っているのではないかと、自分では感じている。
我ら地涌の菩薩なり読書新・人間革命21巻 SGIの章(池田大作 著)最初に読んだとき、『我ら地涌(じゆ)の菩薩なり』という言葉に、少し救われた。法華経に描かれている、地上から湧き上がる菩薩たち。どこか遠い世界の存在ではなく、この現実の地面から現れるという発想が、どこかドラマチックで心に残っている。宗派は違うのだけれど、石原慎太郎もこの部分に惹かれたと聞いたことがある。それも少し、わかる気がする。立場を超えて、ひっかかる言葉。何も、特別な誰かや、完成された存在でなくていい。仏の生まれ変わりである必要もない。日々を生きている、私たちのような庶民が、それぞれの場所から立ち上がっていく。その姿こそが描かれているのだとしたら、今の自分のままでも、少し前を向ける気がした、今日。