精神科病棟に必要なのは「治療」以前の会話かもしれない
最近、精神科医療の現場で少し気になっていることがある。
入院中の精神科患者は、想像以上に「何もできない時間」を過ごす。
特に夜は長い。
不安は静かに、しかし確実に増幅していく。
誰かと話したい気持ちはある。
けれど、看護師や医師には当然限界がある。
家族に連絡するほどでもない、名前のつかない感情は、行き場を失ったまま宙に浮く。
そんな中で、言葉を口から出すこと自体が、ひとつの支えになる場面がある。
私は以前、天津祝詞(あまつのりと)を唱えていた。
神道のお経のようなものだ。
結婚後は南無妙法蓮華経を唱えている。
ちょうど今日は、高市総理が伊勢神宮を参拝したというニュースが流れていた。
国の代表が行えば「文化」や「伝統」として受け止められる行為が、
病室の中では「様子が変かもしれない」と見なされてしまうことがある。
看護師さんに「様子が変?」と受け取られたこともあった。
悪意ではない。
現場の安全を守るための、当然の反応だと思う。
それでも、そこには小さなすれ違いが生まれる。
お経を唱えることは、錯乱している証拠ではない。
誰かを傷つける意図もない。
ただ、言葉を声として外に出す行為が必要なだけのこともある。
言葉を体の外に出す。
呼吸とともに整える。
意味があってもなくてもいい。
それは、入院患者にとっての一種の「言霊療法」だと私は感じている。
そこで、ふと思った。
精神科用のAIがあれば、状況は少し変わるのではないか。
ここで言うAIは、診断もしなければ治療もしない。
病名を決めつけず、指示も出さず、ただ言葉を受け止める存在だ。
24時間使える「会話の緩衝材」として、
感情の暴発や、孤立の深まりを防ぐ役割を担う。
もちろん、使い方には慎重さが必要だ。
現実検討能力が落ちている時期もある。
だからこそ、医療側が
「これは治療ではなく補助である」
「使用時間や用途には制限がある」
と前提を示した上で、制度として設計する必要がある。
それでも思う。
完全な孤独より、
条件付きの対話のほうが安全な場面は、確実に存在する。
精神科医療は、人手不足や高齢化の中で、
長い間、現場の善意に頼ってきた。
AIは人を置き換えるものではない。
人が人であり続けるために、
その負担を少し軽くする道具として使えるはずだ。
正解かどうかは分からない。
ただ、入院中の患者が
「誰にも迷惑をかけずに言葉を外に出せる場所」が
制度として用意される未来は、あってもいいと思う。
いやぁ。7カ月入院していると良くなるものも悪くなっちゃうよ。
ーーーーーーーーーー
※医療に関わる方へ(補足として)
本稿は、AIを治療や診断の代替として導入すべきだと主張するものではありません。
また、宗教的行為や発話が常に安全である、あるいは症状と無関係であると一律に述べる意図もありません。
急性期や現実検討能力が著しく低下している状況においては、
発話内容や行動の評価、環境調整が必要であることは十分理解しています。
ここで提起したいのは、
「評価・判断・介入」以前の段階で、
言葉を外に出す行為そのものが行き場を失っている時間帯が存在するという点です。
夜間や人手が限られた状況において、
誰かに聞いてほしいが、医療者を呼ぶほどではない感情。
家族に連絡するには重すぎるが、沈黙のまま抱えるにはつらい言葉。
そうしたグレーゾーンに対し、
医療行為ではない「条件付きの対話手段」が、
補助的に存在することの可否を考えたい、という問題提起です。
AIの使用にあたっては、
・治療ではないことの明確な説明
・使用時間・用途の限定
・症状悪化時の中断基準
など、医療側の管理と設計が前提になると考えています。
本稿は、現場の判断や専門性を否定するものではなく、
むしろ、長年「善意と人手」に支えられてきた精神科医療を、
少しでも安全に、持続可能にするための補助線として書かれたものです。
