聖書が大好きですラブラブ

 

イエス様が

神様ただお一人をいかに愛しておられるか

他のどこにも無い、愛しかない愛を示される御姿を読む時

胸が熱くなります。

 

人間には示すことが絶対に不可能な愛です。

 

私にもこんな愛があったらいいのにーーー!!

切なく、焦がれます。

 

本 マタイによる福音書 第22章 34~40節

 

律法を守る事だけに熱心で、全く愛の無い律法学者に

イエス様が厳しくもの言われるのが面白くなくて、

律法学者がイエス様を試そうとして質問をした場面。


その返答によってイエス様をやり込めてやろうと

罠を張るような質問でした。

 

これに対してイエス様がなされたお応えが

もう完璧でキラキラ素晴らしいのですキラキラキラキラキラキラ

 

✞✞✞✞✞✞✞

 

本 マタイによる福音書 第22章 36~40節

 

「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか」。

イエスは言われた、

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』

 これが一番大切な、第一の戒めである。

 第二もこれと同様である、

 『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』

 これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

 

✞✞✞✞✞✞✞

 

神様が定められた律法を

イエス様が否定されるわけがなくて、

 

全ての律法を守ることの根底に

神様への愛が無くてはならないことを教えて下さいました。

 

二つで一つの『二つの戒め』によって

神様の完全さをも教えて戴いた気がします。

 

根性の悪い質問に対しても

非の打ち所ない神様への愛を示されるイエス様を

神様も、どれ程愛しておられることでしょうか。

 

 

そんな大切な一人子を十字架に掛けてまで

私達人間との和解を望んで下さった神様の想いを

絶対に忘れたくないビックリマークと思います。

 

ボロ雑巾の様に全身血だらけになって

真っ赤に染まったイエス様を通さなければ

神様を想うなんてことは出来ませんでした。

 

 

私は主イエス・キリストを

私の救い主として、信じます。

 

イエス様の霊が私の内にいらして下さり

神様の国へお連れ下さることを信じます。

 

 

最後までお読み下さり、有難うございました。

赤薔薇ピンク薔薇ピンク薔薇赤薔薇

聖書が大好きですラブラブラブラブ

 

マタイによる福音書 第6章 9節~

『だから、あなたがたはこう祈りなさい、

 天にいますわれらの父よ、

 御名があがめられますように。

 御国がきますように。

 みこころが天に行われるとおり、

 地にも行われますように。

 わたしたしの日ごとの食物を、

 きょうもお与え下さい。

 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、

 わたしたちの負債をもおゆるしください。

 わたしたちを試みに会わせないで、

 悪しき者からお救いください。』

 

キラキラ主の祈りキラキラと呼ばれて

教会の礼拝の中でも必ず唱和される祈りです。

 

私は物心ついた頃には教会に居たので、

小さな子どもが「音譜む-す-ん-で音譜ひ-ら-い-て音譜」と

言葉の意味も何も分からない内に

歌詩も手ぶりも全部覚えてしまうのと同じように

キラキラ主の祈りキラキラを諳んじて唱えていました。

 

意味は分からないけれど唱える、という習慣になっていて

そのまま深く考える事もしないまま

長い年月を過ごして来てしまいました。

 

「これはイエス様の祈りなんですビックリマーク」と

教えて下さったのは、教会の先生ではなくて

神霊治療をされる先生でした。

 

「これは本当に凄い祈りなんです!!」と

明るく確信に満ちた力強い御声で教えて下さいました。

 

「私」という人間はあまりにも小さくてみすぼらしいので

『御国がきますように』などという祈りは

逆立ちしたって永遠に私からは出て来ません。

 

しかし、このキラキライエス様の祈りキラキラを祈る事で

イエス様の御心の一端にでも触れることができる

計り知れない恵があることを知りました。

 

地上の祈りではない

天上の祈りを『祈りなさい』と

ご一緒に祈らせて下さることで

奇跡の様な高みへと私をお導き下さいます。

 

朝に夕にキラキライエス様の祈りキラキラを繰り返し繰り返し祈ることで

その奥深さ、広大さ、清さ、謙虚さ、崇高なること、聖なること、、、を

少しづつ、少しづつ、、、魂が思い出して、、、

神様と、ふと

触れ合えた瞬間を覚えることさえあります。

 

私自身からは絶対に出ないはずの

宝の様なキラキラ祈りキラキラが口から溢れ出て

驚いたこともあります。

 

イエス様を通らなければ出会えない神様に

出会わせて戴けるキラキラ主の祈りキラキラです。

 

『天にいます私の父よ』と呼びかけることを

教えて下さったイエス様によって

神様を親しく近しく思い出し続けています。

 

私たちは、昔、ここに居ました。

そして、ここへ帰ります。

聖書が大好きですラブラブラブラブ

 

マタイによる福音書 第5章 1節~2節

『イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。』

 

ここから始まる、いわゆる「山上の垂訓」ですが、

私は長いこと、イエス様はこれらを多くの群衆に向けて教えられたものと思って来ました。

それは、巷で多く見られる絵画に、

大勢の人々に取り囲まれているイエス様が描かれていた為かも知れません。

『彼ら』は群衆のことだと思っていたのです。

 

しかし、つい先日この箇所を読んだ時、

『彼ら』は弟子達のことだったビックリマークと思いました。

 

正確なことは原語を調べなければ分からないのですが、

「イエス様は弟子たちに教えられたのだったビックリマーク」と読めた時、

イエス様が『世にいる自分の者たちを愛して、

彼らを最後まで愛し通された』とヨハネが記した通りに

弟子たちに対するイエス様の愛がいかに深かったかが想われて

その溢れんばかりの愛が私の内にまで及んで

熱いもので胸がいっぱいになりましたキラキラ

 

そして、第5章からずっと続くイエス様の御教えの

一つ一つが愛おしく、有難くて、嬉しくて

そのお膝元でイエス様を見上げつつ

ワクワクしながら

お声を聴かせて戴いている心地になりましたキラキラ

 

第6章 30節

『ああ、信仰の薄い者たちよ』

 

こう呼びかけて下さることさえ

ただただ嬉しくて

御言葉の全部を食べ尽くしたい!としか想わない私は

なんて、おめでたい爆  笑音譜

奇跡の恵に与っているのでしょうか!!

感謝しかありません。

 

ずっと昔に読んだ時には

この呼びかけに対して私は

「はい、信仰の薄い者です、ごめんなさい・・・。」と

しょんぼりと落ち込んでしまったものでしたショボーン

そして、立ち直る道も知りませんでしたチーンダウン

 

素晴らしい教えであっても

自分が追い付かない事が辛くて、

教えが素晴らしければ素晴らしい程

情けない自分を悲しんでばかりいました汗汗汗

 

その様にしか聖書を読む事ができなかったのを

180度回転させてアップ

人生を根こそぎ変えて戴けたのは、

ひとえに『良い羊飼い』に出会えたからですキラキラキラキラキラキラ

 

ヨハネによる福音書 第10章 11節

『わたしはよい羊飼いである。

よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。』

 

よい羊飼いをお遣わし下さった神様は

誠に慈しみ深い素晴らしい御方です。

 

『ああ、信仰の薄い者たちよ』

 

温かいあなたの眼差しの中に

どうか、とこしえに住まわせて下さい。