別荘のサンダイを発ってかなりの時間が経過していた。
アベルとティアリスは待ち合わせの場所に到着していた。どこにクラウスがいるのかと目を凝らしていると、なんとも怪しい人影が二人の目に留まった。
こっちに気付いたのか声をかけてきた。


「あ…。アベル嬢。って…」


「何?私が居ちゃ駄目なの?」


…案の定、それはクラウスだった。
クラウスはティアリスを見るなり戸惑ったが、ティアリスの威圧たっぷりな言葉にばっちり萎縮してしまい多少たじろぐ。


「いや………。別にそういう訳じゃないが」


「…クラウス。なにか変わったことはあったか?例えば…。誰かに付けられてるとか」


「とりあえず今のところは、多分大丈夫なはずだ」


その言葉とともにキョロキョロ辺りをみわたすクラウス。
それで分かるとは思えないのだが、やらないよりはマシだろう。結局のところ、ささやかな気休めでしかないのだが。


「とにかく、早く行こう。ここに長居すれば何があるか分からない」


「…それもそうだな。行くぞ」




****



待ち合わせ場所から空港はそう遠くは無い。
その最寄の空港はアベルの財閥が運営もとい、所有しているものだ。そのためか、普通の旅客機だけでなくなぜかジャミング機能がついている飛行機なんかあったり、戦闘機とかもあったりする。もちろん、一般客から金を巻き上げるためのものではなく、財閥が"なんとなく"所有していたものだ。アベル達はそのジャミング機能がついていて、更に自動操縦機能がある飛行機を使ってこの空港に着陸させた。勿論、このことはあまり誰に知られてはいない。知っている輩がいるとしたら、社長とか財閥関係だろう。
そういうレベルで機密性が高い情報だ。


"空港"というだけあり、ものすごい量の人が四方八方から行き来している。三人はそのごった返す人ごみの中を着陸場所に向かって歩いていた。
クーラーは多少効いてはいるが、人の多さで結局あまり意味が無い。


「とりあえずは…。なにもなさそうだな」


「そうだね」


そうは言っているが、当然のことながらまだ警戒は解けない。
外の着陸場所に行くには、二つのエリアを横断しなければいけない。この空港は世界各国に文字通り飛んでいける。この空港は目的地によって受付するエリアが違う。
エリアは全部で5つ。その内1つは出入り口兼お土産屋なのだが外に出られるのはアシロー地方に行くエリアである。ナノヒン地方のエリアを通らなければいけないのだ。サンダイにいくエリアもあるのだが、別荘は離れ小島なので直接着陸してくれるわけではない。到着してから船に乗り換えなければならない。
万が一、後を付けられたら本末転倒だ。


「しっかし…。人が多いな。こいつらは暇人なのか?」


「…海外で仕事ある人だっているだろ。そういうのが大半じゃないか?」


人ごみを掻き分けてやっとのこと、目的のエリアの入り口に到着した。
自動ドアをくぐる。すると、冷房の効いていない夏特有のむあっとした熱い空気が三人を飲み込む。


「おい…。これって、不味いんじゃないか?」


熱い空気に纏わり憑かれても三人の背中には寒気が襲う。


―――――――このフロアには、人が一人もいない。


「自動ドアが…開かないね。ここで、戦うのかな?」


「そうじゃないか?」


開かない自動ドアを背に、三人は感覚を研ぎ澄ます。冷や汗が頬を伝う。
―――敵は一向に姿を見せない。
三人の感覚にも引っかかるものは無い。ただ、フロアには気持ち悪いほど静寂で満たされているだけだった。その空気を睨んでいた。



「!!!
 危ない!」


ティアリスの声にアベル、クラウスともに回避行動をとる。
三人の方向に飛んできたのは、大きい炎の玉だった。その炎の玉は後方にあった自動ドアを溶かし、あたりに火の粉を撒き散らした。黒煙もあがっていた。そこからプラスチックか何かが焼け焦げた異臭が漂う。


「なんだ今のは」


「あら。運がいいのね。貴方達」


ハイヒール独特の音とともに目の前に現れたのは、線の細い赤いワンピースの金髪の女性だった。不自然な事に、両手に革の手袋をはめている。
もう一人、その女性の後ろに隠れるように立っている幼い女の子と思われる少女が立っていた。三人から分かるのは、淡い青い髪に群青色の大きなリボンという特徴だけだった。
三人が反応しないで睨みつけていると、控えめに声を発する。


「ローズ姉さま…。この人たち、で…あってるんでしょうか?その………。殺しちゃってもいいんですか?」


「そうねぇ。多分あってるとは思うけど。どっち道そこらへんの一般人を殺したってどうって事は無いわ。そんな人間はどこにでもいるんだから。一人や二人、消えてもさして変わるものじゃないわ」


「…。ROPの刺客、か。お前らは」


「あら。君がアベル…って子?」


そうだ。と、いつもの調子でアベルが答える。
ローズと呼ばれた女性は特に何の興味も示さない冷たい目で、アベルを見下ろす。


「ふんっ。どっからどう見ても一般人じゃない。そんなのを殺しても面白くは無いんだけど、しょうがないわね任務だもの」


そういうと、ローズの右手に赤い炎が燈る。
その灯りは時間が経つごとに、大きくなる。その度に、身が焼けるような感覚に襲われる。ローズの右手に燈っている炎と先ほどの炎の玉の感じと類似している。
ある程度、燈る灯が大きくなると右手を振り上げた。


ヒュッ


「っ!?!?」


ローズの耳に風を切る音が聞こえた。音のする方向に瞬時に目を向けると、ナイフが自らの右手に向かって飛んできているのを目視することができた。思わず、手を引く。ナイフはいきなり失速し、ローズの少し後ろで床に落ちる。
それを合図にするように、三人はそれぞれの方向に走り出した。
アベルはローズにナイフで切りかかる。左前方にはクラウスが、銃を構えている。右前方にティアリス。外に出るドアを開けようとしているが、彼女の力では開かない。


「残念ながら、お前らにかまけている時間は。無いっ!!!」


「っ!カナハ!」


「…分かった。ローズ姉さま。カナハ…頑張る」


そういって、カナハと呼ばれた少女はどこからか大鎌を取り出す。明らかに自らの身の丈より大きい、銀色の鎌だった。その大鎌を軽々となぎ払うように横に振るう。どこか不思議な冷気を帯びた鎌はアベルの頚動脈を掠めた。
アベルは意識を自らの両腕に集中する。空気を圧縮し、元素を原子を書き換える。酸素窒素二酸化炭素アルゴン…。ここにある空気を"全く異なる原子"に変換する。
それが、彼女の最も異端な部分であり能力である。


「アベルから離れろ!!」


「……ローズお姉さま」


クラウスはカナハに銃を向け発砲する。クラウスは敵と判断すれば、もう後悔も躊躇いも無いらしい。それにカナハはいささか鬱陶しそうに顔をしかめてローズにアイコンタクトを取る。それを汲み取ったらしいローズはクラウスとの距離を詰める。クラウスは器用にナイフに持ち替え応戦している。
しかし、いつまでも守っていられるわけでは無さそうだ。この空間の異様な暑さに加え、そもそもの彼の体力の問題がある。


「守っているだけでは、貴方が死ぬだけですわ!」


「ッ!…負けるかよッ」


至近距離から銃を撃つが、それを華麗に避けられてしまう。
クラウスは自然と苦虫を噛み潰したような表情になる。それを見たローズはにやりと笑う。


「本当に…、危険ですね。貴方は特に危険です。やはり、今…排除。すべきですね。その、類まれなる能力もそうですが…。それより、もっと危険なのは…」


「…余計なおしゃべりは。命取りだ」


銀のナイフはカナハの長く綺麗な髪をいくらかさらう。はらはらと、重力に従い落ちていく。
それに特に驚いた様子もなく、カナハはぴょんぴょんと飛び退く。アベルはその隙を逃さず、遠距離から追撃する。その追撃に思わず防御体勢を取らざる終えない。それを好機と感じ、アベルは畳み掛ける。結果的にカナハに飛びつき2,3転した後、カナハをホールドする事に成功したのだ。
それを待って居たかのようにティアリスが叫ぶ。


「出口作ったよ!!!早く出よう!!!」


それを合図に、クラウスは一気に形成を逆転させる。女性の(結構な美人)腕を捻り上げるのは気が引けたが、それでも何の躊躇もなく関節技を決め、動けないところに後頭部に手刀を入れなんとか気絶させる。
アベルは、一瞬殺す事を考えた。
ただ、ナイフを振り上げたときカナハは酷くおびえたようにナイフの先を見つめていた。それを見て、とっさに振り下ろしたナイフをカナハの耳の辺りの床に思いっきり突き刺した。


彼女は、動かない。


それを確認したアベルはそっとカナハを床に寝かせ、ティアリスの方へ歩いていった。



「………行こうか。こいつらの目が覚めないうちに」


「大丈夫?アベルすごく疲れてるみたいだけど。それに顔色も良くないよ…?」


いつもは疲れも顔に出ないアベルではあるが、今回ばかりは疲労の色が濃く出ていた。それは、クラウスも同じである。
とはいえ、ティアリスの右手は自らの血だと思われる赤黒い液体がヒタヒタと床を濡らしていた。



「俺は、大丈夫だ。なんだか、変な力を使うと妙に疲れるというか…。ただ…。ちょっと、頭が痛いだけだ」


「お茶…いや。ティアリス、俺が止血してやるから早いとこ飛行機に乗り込もう。ここにこれ以上居座る理由は無いだろ」


そうクラウスが言うと、二人とも沈黙で肯定を示す。
ゆっくり、アベルの後を追って外に出る。


何処か涼しいとはいえない日差しの中、アスファルトから立ち上る陽炎の熱をさらった風が三人を迎えた。
なんとなく久々に外に出たような気分にさせられた。


「…分かってるとは思うが、"ここから"だからな」


「そうだね」


「やる事はやるべきだよな。誰が相手だろうと。もう俺達は戻れない」


アベルは自分の発言に自嘲気味にシニカルに嗤う。
まるで、自分が誰かを守れる。自分にそんな力が端からあるような、そんな錯覚。自惚れも甚だしい。と。
彼女自身が嫌いな"正義の味方"であるような感覚。自覚。発言。彼女は知っているのに。なのに、知らないふりをしている自分を他でもない自分が笑う。嗤う。笑みがこぼれる。





そう。それはそれは酷くシニカルに。