9月上旬からの東京で
心優しい方々と絵本を読みあえました。


帰宅してた今も余韻が続いています。


痛々しいほどの優しいお気持ちに
同じように心優しい主人公の絵本を一冊、
読みあいましょう。




わんちゃんの名前はアストン。

この所作が
まなざしが
もうすでに優しいでしょ。


アストンはママとのお買い物帰りに
水たまりの中に石を見つけます。

ひんやり冷たい石が可哀想に思え
おうちに連れ帰ります。

自分のニット帽を着せて
お人形のベットに
それはそれは優しく寝かせている様子が
表紙になっています。

    「ほうら もう さむくないよ!」


次の日はもっと寒くて
氷が張った水たまりで
昨日より、もっと冷たくなっている石を
見つけると、もう 放っておけません。


自分のニット帽を脱いで
石にすっぽりかぶせ
生まれたての赤ちゃんを抱くように
頬ずりしながら家路へと。


おうちで洗面台にお湯を入れて
沐浴のように石をお風呂に入れ
トラックの荷台にクッションをひいて
寝かせます。


次の日から

寒さで凍える石と出会うたび
寒さとひとりぼっちが可哀想で‥。


家は足の踏み場もないほど
石のベットでいっぱい!

見開きページいっぱいに
石達が寝かされいます。

小さな石達は
マッチ箱くらいの小さいベットで。

アストンはお布団作りに忙しく
パパもママも座る椅子さえ石に占拠され
困り顔です。


たんぽぽの季節になっても
         ひとりぼっちで かわいそう 
と石達を連れ帰ります。




この日、絵本を読みあいながら
読みあえた方の日々を感じました。

きっとこんなふうに
出会った人を
兄弟姉妹を
ご両親を
家族を
何よりも我が子を大切にされてきたはず。

こんなふうに
抱っこして
暖めて
毎日毎日
食べさせて
お風呂に入れて
寝かせて を
重ねてこられたはず。





お日様が眩しくなる頃
パパはギターケースを広げて
石達を連れてのピクニックに誘います。


海辺で石達をギターケースから出し
ひなたぼっこさせると
石達はころころと好きな場所へ。


パパは
石達はみんなでここにいたいんじゃないか
とアストンに言います。


アストンはお日様が沈んでいく頃まで海辺で
考えます。


しばらくして
ギターケースを軽やかに担いで
戻ってきます。

お別れできたのかな?
子離れならぬ石離れできたかな?



カタカタとギターケースから
音がします。

石ではありません。


   「まわりは石ばかりでかわいそうだから」と
アストンが拾ってきたのは
何だと思いますか?

さて最後のページを見て
笑わずにいられるでしょうか?



この絵本もクレヨンハウス大阪の
山本さんにお店の大きなテーブルで
読んでもらいました。

数組の親子連れが共にテーブルで
お行儀よく絵本を読んでいましたが

私と山本さんは
笑いが止まらなくて

笑ってはいけないと思うと
余計におかしくておかしくて
大人が真っ赤になりながら
笑いを抑え込めずにいる姿を
子ども達がポカンと見ていました。


裏表紙のアストンが
愛おしいです。


幼い頃
お人形をハンカチやあまり布などで
くるんだり
ぬいぐるみを箱や籠に寝かせている時を
思い出しています。

当時、捨て犬や捨て猫を拾ってきては
ご近所を回って飼ってくれるところを
探したり
貰い手がつかないとテトラポットの下に
寝床を作って給食のパンを食べさせたり‥。

家で飼えると思って
学校から急いで帰るといなくなっていたり‥。

そんな事を思い出します。


アストンは穏やかな子ですが
芯が強いです。
私はこんなに全うできなかったなぁ。


今迄もブログに
悲しみをころんとした石に例えて
書いてきました。
改めて

悲しい気持ちは、きっと、なくならない。

だけど、手のひらに乗せるにも
痛みを感じるような
ウニのトゲトゲのような悲しみが

何度も何度も
安心できる場所で
安心できる人に聴いてもらうことによって

ちゃんと悲しんで

いつしか
ころん とした
なんとか抱えていけるものになる‥。

そんな言葉に
私は励まされ
それが本当だと思えます。


そうなるまでの時間は人それぞれで
比べることはできません。

悲しみは一人一人違っていて
同じ悲しみはないので。

アストンのように
優しい方は
その優しさと賢さゆえに
痛々しいほどに
深く悲しみ辛さと向き合われます。


誰かの気持ちに気づいて抱き上げ
暖めてあげるように
どうぞ御自身のことを抱きしめて
とんとん していかれますように。

どなたの心の中にも
アストンはいるのです。

その存在に気づいて育めるといういいですね。



また読みあえる日を
楽しみにしてしています。

ありがとう100万回です!