北大阪の地震の際は
沢山の方に心配していただき
胸いっぱいになりました。
有難うございます。


私の地域は被害がなかったのですが
高槻市に住む叔母と連絡がついたのは
夜でした。



久しぶりに叔母と沢山話すきっかけと
なりました。


叔母と話しながら
本棚から私を見つめる絵本は




以前は娘の誕生日に寄せて
ご紹介した絵本です。

いつもながらコメント欄にはみなさんの
思いやり溢れる言葉
ちくん と痛む胸の痛みも感じました。





今日は私が敬愛する叔母のエピソードを
書かせて下さい。




叔母は父の末の妹で
母が嫁いできた時は高校生でした。

おばさん というよりお姉さんで
私はずっと 純ちゃん と呼んで育ちました。

ここからは叔母ではなく
純ちゃん で。



純ちゃんとは私が小学二年生まで
一緒に住んでいて

会社帰りには毎日、
小さなお土産を買ってきてくれ
お風呂も一緒、
会社がお休みの時には純ちゃんの
ベットにもぐり込んで
母のように
母以上に甘えさせてもらいました。



お嫁に行ってからも
純ちゃんはこの絵本のように時々遊びに
来てくれました。


絵本の中の姉さんみたいに
純ちゃんは

        ゆめみたいに すてきでした。


姉さんが描かれているのは
前半の数ページですが

ベットがある、おしゃれなねえさんの部屋に
パジャマで遊びに行く場面

ジーンズがかっこいいねえさん

バスルームの場面‥‥。


絵本の挿絵は
純ちゃんの当時はめずらしかったベットや
何もかも憧れる持ち物やファッション‥‥
しあわせだったあの頃に
私を連れていってくれます。


幼い私には純ちゃんは本当に
ゆめみたいに すてきで

化粧水の匂いなのか
純ちゃんのすっきりとしたいい匂いは
今も忘れられなくて
私の憧れと安心そのものなのです。


ゆめみたいに すてきな 純ちゃんをとおして
知らない世界を見ることができました。

憧れられる
大好きな大人がそばにいるって
安心で誇らしいのです。


沢山遊んでくれて
宝塚歌劇とジュリーが大好きで
昭和歌謡をお風呂で歌いあげ
   だから昭和歌謡が大好き。
昭和のドラマを一緒に観て‥‥。
   昭和のドラマが大好き。
毎日沢山笑って過ごせました。


ゆめみたいに すてきな純ちゃんが
教えてくれる1つひとつが私の支えであり

沢山影響を受けていることを改めて
感じました。




思い出をたどりながら
懐かしく笑い合いながらも

胸痛むことを振り返ると
何故、そうだったのか
当時純ちゃんが感じていたこと
見ていたことを話しながら
私を肯定して労い励ましてくれました。



68歳になった純ちゃんは
声も全く変わることなく
明るくて
楽しくて
スマートで
きれいで

今も
     ゆめみたいに すてき です。



「神様に愛される生き方を
しようと思ってるねん!」
とからりと言い切り

自分の生きる意味、お役目がわかって
日々を過ごしていることを話してくれました。



電話を切る前に
ずっと聞きそびれていたことを
やっと聴けました。

私はメンソレータムを見るたび
メンソレ坊や というお話が浮かぶので
尋ねてみたところ


幼い私がメンソレータムを塗って遊ぶのを
やめさせるために
メンソレでいたずらして
目が痛くて泣く坊やのおはなしを
作って聴かせてくれたとのこと。




優しい純ちゃんがいて
私の幼少期はとても豊かでした。


絵本の中の女の子のように


いたずら好きで
幼くて
好奇心いっぱいで

できないことがたくさんあっても



いつも笑って
楽しいことをいっぱいしてくれて
    アタックナンバーワンごっこが最高!
歌ってくれて
笑わせてくれて


いつも凛々しく
ユーモアたっぷりで。




ベットの中で
メンソレ坊やのお話を
きっと私は繰り返しせがんだのでしょう。

純ちゃんのいい匂いに包まれながら。
ずっと忘れられないお話を作って語ってもらえたなんて。

純ちゃん
ありがとう。



被災した純ちゃんに
食べ物や水を取り急ぎ送った私のもとに
お米や昆布、おかしや
何故か大量のコラーゲンを送ってくれる

そんな大切な純ちゃんへの
感謝と敬意を込めての
今日となりました。


私も神様に愛される‥のはハードルが高いので
なんとか合格点を貰えるあたりを
目指してがんばっていきます。


今日の物語はこれでおしまいです。


楽しい!って思えることは
生きるエネルギーです。

楽しい!を届けられる人でありたいです。


ごきげんよう。