37. 京都散策    ( 2006年 2月 5日 )

 先週は名古屋と大阪で仕事を終えた後、一年半ぶりに京都に立ち寄りました。
 真っ先に足を運んだのが、三条堺町のイノダコーヒー。 
妻が「渡ちゃんが来てるかもしれない」と言うので
私もひょっとしたら渡さんがいるんじゃないかと思って立ち寄ってみましたが、
残念ながらいませんでした。吉祥寺の「いせや」をのぞいてもいないので
高田渡さんはやっぱり天国でゆったりと酒三昧の日々を送っているようです。
 次に錦市場へ向かいました。
錦市場は下町育ちの私の原体験を刺激してくれます。
記憶の奥底でほこりをかぶっている古き良き時代を思い出させてくれます。
歩いているだけで、妙に落ち着き、とても懐かしい気分になれます。
 その後、特に信仰が厚いわけではないのですが、神社仏閣を回りました。
夫婦そろって商売屋に生まれ育ったせいか縁起物には目がないので、
昔人のように験担ぎのための縁起物に触れたり、買い求めたりしました。
錦天満宮にお詣りをして、龍安寺にも行きました。
祗園の八坂神社では小雪が舞う中、舞妓さんの「節分祭」の舞の奉納を見て、
京都 ゑびす神社では、拝殿に十数年飾ってある
古びた七福神の絵を妻が交渉して譲っていただきました。
神社の方も、「これほどの縁起物はない、必ず御利益がありますよ」と
太鼓判を押してくださいました。
 大阪と京都では、これでもかというくらいに買いものをしまくりました。
帰る日には、手当たり次第に買い求めた商品で
車のトランクと後部座席は子供部屋のように散らかっていました。

京都新聞より   長谷川滋利が語る

 不動産や株に詳しく、ロッカールームで経済紙ウォールストリート・ジャーナルを読む。
イチロー外野手や野茂英雄投手とは違った意味での個性派大リーガー、
長谷川滋利投手が引退した。特別な変化球もなく、驚くような速い球もない。
それでも中継ぎで渋く輝き、大リーグ在籍は野茂に次ぐ9年。
ユニホームを脱いだ長谷川氏に聞いた。

 ― メジャーで達成できたものは。
「僕にはミッション(使命)があった。僕のように日本のプロ野球で平均か、
それよりちょっと上の投手が、メジャーでもやっていけると証明するミッションです。
(速球派の)クレメンスやジョンソンのようなすごい素質を持った投手を見たからではなく、
引退前のハーシュハイザーが緩い球で何とか抑えているのを見て、
絶対僕みたいな投手でもメジャーでやっていけるんだと思っていた。
それが証明できたと思ったから、もういいか、と。
これ以上野球で証明しなければならないことがないと感じ、
これまでなら腹を立てたようなことにも怒らなくなった。
燃えない気持ちのままで野球に取り組むことだけはしたくなかった」

 ― 引退発表直前まで複数球団の誘いがあった。まだやれる、の声は多いが。
「寂しい、と思うことはある。あと2、3年は現役で投げられる自信もある。
ここでワールドシリーズ出場に目標を置き換える人もいるでしょう。
でも、チームで何かを成し遂げるといった目標は、僕がミッションとしていたものとは別。
チームの勝利はあくまでも自分を含めたチーム全体が一生懸命に頑張って、
その結果としてついてくる。自分だけでチーム全体の運命はコントロールできない」

 ― 長続きの秘訣は。
「イチローのようにプロ中のプロ、という存在は百パーセント野球のことだけ考えるべきです。
でも僕のような選手は逆に、生活全体のバランスを取ることで長続きできた。
例えば僕の場合、ビジネスについて勉強することで気持ちに余裕が生まれて、
より野球に集中できた。バランスを取る、という生き方はこれからも変わらない。
今後しばらく、野球界への恩返しが3割、自分のビジネスが3割、
家族と充実した時間を過ごすのに4割でしょうか」