49. 原体験  ( 2006年12月17日 )

携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。
                                (映画 「三丁目の夕日」より)

僕は東京の下町(墨田区の両国)で生まれました。
本所松坂町と言った方がピンと来る方もいらっしゃるかも知れません。
貧しい家でした。6畳一間のボロアパートに家族4人が住んでいました。
そのアパートをコの字型に囲むように、大きなメッキ工場があって、
多くの工員さんたちが働いていました。本当ににぎやかだったことを覚えています。
そのメッキ工場の社員用の食堂とお風呂が、アパートの前にありました。
僕の住んでいたアパートがメッキ工場の中心にあるような位置関係でしたので
僕はいつもメッキ工場の人たちの活気にさらされている状態でした。
毎日がイキイキとしていて、正に高度成長期を象徴するような光景でした。
今思うと、アパートの窓から見る外の光景は、映画のスクリーンを見ているようでした。
確かに貧しかったけれど、毎日が楽しかったです。
正月は浅草寺で初詣。夏は、隅田川の花火大会と盆踊り。
当時、盆踊りでは「21世紀音頭」が頻繁に流れていました。
夏休みには、毎日のように、道にビニール製のプールを出して遊んでいました。
11月は、鷲神社の「酉の市」。
12月は、吉良邸の「元禄市」。
この「元禄市」は、忠臣蔵でおなじみの吉良邸
(この吉良邸は、今でも両国に一部が現存しています)で
毎年、討ち入りの日に開催される一年最後のお祭りです。

一年中、町の至る所で相撲取りの鬢付け油のにおいが漂い、
夕暮れ時には夕飯のにおいと共に家族の笑い声が町中にあふれていました。
まぶたの裏や耳と鼻の奥の方には、古き良き記憶がたくさんつまっています。

数年前、仕事でタイのバンコクに行ったとき
あのときの日本と同じような光景がまだたくさん残っていました。
妙になつかしい気分になり、元気いっぱいになって帰国したことを覚えています。

SYPシステムが提供する全ての研修の上位目的を思い出して下さい。
集合研修の最終回に紹介するあの「目的」です。
私たちのビジョンの源泉は、この原体験の中にあるような気がします。
私たちの究極の目的、モチベーションの原動力は、
この原体験の中に置き忘れてきたものなのではないでしょうか。

ちなみにアパートもメッキ工場も取り壊され、今はマンションが建っています。


朝日新聞 生活欄 ひととき より

心弾む「酉の市」   東京都練馬区 山崎明日香さん 学生 18歳

 先日、地元で酉の市が開かれた。毎年行われる行事に、私は毎回、心を弾ませる。
 しかし、今年は私の受験の年。試験を数日後に控え、それどころではなかった。
それでも祖母に誘われ、とりあえず最後の神頼みということで、お参りだけは行くことにした。
 私が住んでいる町は、この数年で人口が倍近くに増えた。そのためであろうか。
今年は参拝客が長蛇の列で、昨年はいなかった警察官が数人、警備していた。
 人混みの中、祖母の手を引きながら、私は小さな頃を思い出していた。
 私がまだ祖母に手を引かれていた時、周辺には繁盛した店が数多くあった。
皆が生き生きしていて、近所づきあいも絶えず行われていた。
下町のような雰囲気が以前はあったのだ。
 しかし、最近はあんなに繁盛していた店が姿を消し始め、
周辺はビルばかりになってしまった。周りに誰が住んでいるのかもわからない。
昔は見えた富士山も今では見えなくなってしまった。
 すし詰め状態の参拝客の波に押されながら、私は夜の空を見上げた。
 この酉の市だけは変わらない。小さい頃の私の町に戻れる日だ。
そんなことを考えながら、私は祖母の手をぎゅっと握りしめた。