学外展の特集も最終回となりました。
第九弾は、龍谷大学学友会学術文化局書道部蟠龍會さんです。
本年の学外展ではありませんが、京都店取材班が昨年見学できなかった学外展を龍大さんのHP映像をお借りしご覧いただきます。
創立370周年記念書道展(作品紹介) こちらをクリックください。
本格の輝きを求めて、高大展はじめ全国規模の公募展に活躍の場を求める龍大さんの実力は、知る人ぞ知るところ。
これからも大きな夢の実現に向けご精進ください。
領収証(書)になかなか正式に書けない学友会・・・の名称の由来。昔(50年以上前?)は、他の大学と同じように文化会や体育会と独立していましたが、ある会が非常に強くなってしまいそれを調整するため学友会と言う文武両道の組織を設け、その下部に宗教局・学術文化局・体育局を設置したと聞いています。
部費の援助金申請等で書類(罫紙)を書くのですが、この長い名称を何枚も間違えずに手書きしないといけないので結構辛いんですよね。書類の折り方まで注意されて。
今も変わってなければですが・・・。
龍谷大学学友会学術文化局書道部蟠龍會の皆さん、ありがとうございました。
今回の特集にご協力いただきました
各大学の書道部の皆さんに京都店取材班一同改めて感謝申し上げます。撮影枚数の違い及び撮影順やイメージ写真の追加につきまして何卒ご容赦ください。
また、お邪魔しましたその折はよろしくお願いします。ありがとうございました。
PS.上から目線の命令口調が物議を呼んでいる昨今の中を敢えて。
これは私の独断ですが、親鸞が言いたかったことは
稀代の宗教家の頭を悩ませたのが、民衆と同化することができない貴族出身の親鸞自身がいること。解決し難い問題と認識しながらもそのことと向き合い続けた90年間でした。
浄土往生の理論を構築するもその卓越した理論を他者に押し付けることも強要もしなかったため弟子は持たず(師事したものを弟子とする解釈も有)、また民衆へも念仏を唱えさせるもそれさえも修行とはしませんでした。
親鸞は、皆にこの世を目一杯生きてほしかった。現世を生き抜くための保険(安心材料)として浄土往生への道を用意し、さらに悪人こそがその対象とハードルを下げました。
悪人正機説は、師の法然も提唱しておりその元は7世紀の朝鮮の僧と言われ、決して親鸞のオリジナルではないも歴史教育でもそう教えらてしまうほど言葉力、特に比喩(例え話)に比類なき人物だったと言われています。
晩年は関節痛に悩まされ、金銭的にも恵まれない日々が続いたそうです。それでもこの世に執着し続けた人間・親鸞の生き様を私たちは思い返すべき時代なのだと勝手に思っています。親鸞のお話もこれで最終回。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏