「撃吐」への激白7:価値観 | 独奏撃の'毒'創劇

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弾き語りとバンドとポエトリーリーディングな「表現」中毒、少年(しょーや)のブログです。

想像しながら読んでほしい。

貴方は友達とパスタを食べている。
貴方はフォークを使ってパスタをくるくると巻き付けてから口に運ぶ。
目の前にいる貴方の友達は、箸を使ってパスタを掴みそれを口に運んで啜っている。

この時、貴方は何かを思いますか?

例えば、「パスタはフォークで食べるのが常識だ!」と思うのか。
「別に机を汚したりしている訳では無いし、箸の方が食べやすいのかな?」と思うのか。


こういった『自分とは異なった価値観を持っている人』に出会った時に、貴方はそれを許せますか?
「こうしろ!これが常識だ!」と目の前の人に言って聞かせますか?
それとも、「そういうのもあるんだ!」と興味を示しますか?
自分は迷い無く、後者であり続けたいと思います。

「自分」と「相手」は同じ人間ではあるけど中身は全く違う、というのが僕の考えです。
パスタをフォークで食べる人もいれば、箸で食べる人もいる。
人によってはフォークとスプーンを使って食べる人もいる。
「自分以外の誰かに迷惑をかけてしまう」という要因がない限り、どれが正解・不正解というものは無いと思うんです。
金子みすゞイズムですね。
「みんなちがって みんないい」です。


頭ではそれを分かっていても、いざそういった場面に出くわすとつい自分の基準で判断を付けてしまう人もいます。
「人それぞれ解釈が違う作品らしいから、観終わってから意見交換してみよう!」と同じ映画を同じタイミングで観て、終わってからそれぞれの感想を話す。
その時に、相手が自分とは違う受け取り方をしていた時に「それは違う!そこはこうなんだ!!」とつい言い張ってしまう人もいます。

「自分はこう思うけど、相手は違うかもしれない」っていう心構えは凄く大切な事だと思います。
「誰よりも何よりも正しい人」なんてきっといないと思います。
それぞれが正しさであり、それぞれが間違いでもある。
それを出来る限り広く受け入れる事が「人と人」の「思いやり」だと思うんです。


シングル「撃吐」は、タイトルの通り《攻"撃"的な言葉を"吐"く》楽曲になっています。
人から言われた言葉、それを受けて自分の中から湧き上がった言葉………
ただ、この曲は「こんな事をされた!こんな事を言われた!」という帰りの会みたいなニュアンスでは無いのです。
《こんな人も、居る》というのが主軸です。
こんな言葉を言う人もいる。
それを受けてこんな風に思う人もいる。
それを一般的な音楽の倍以上もある長い尺で表現しているので、かなり疲れる曲です(笑)
作っている側もかなり堪えます(笑)
それでも自分は「表現したい」と思ったから、作っています。
「こう思って欲しい」
「こう解釈して欲しい」
というのは「無い」と言えば嘘になってしまいますが、押し付ける気はありません。
貴方がどう受け取るか、どう読み取るかは、貴方次第です。







2018年1月発売予定のシングル「撃吐」&詩集「うたがうこころはくらいおに」両作の特設サイトはこちら。
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