9/5、義母が亡くなりました。
71才。
5日の朝8時過ぎ
病院から連絡あり
容態が急変して今すぐきて欲しいと連絡が。
慌てて旦那に連絡し、
旦那や旦那の妹、義父は病院へ
私は、この日透析だったため行けず
不安な気持ちのまま透析
昼前に容態が安定してきた。と連絡もらい
少し安心😮💨
けど、医者からは今夜がヤマだと
大阪から下の妹もかけつけ生きてるうちに
出会う事ができた。
一旦、旦那が自宅に帰宅中
妹から連絡あって容態が急変して
17:42亡くなったと。
苦しまず静かに息を引き取ったと。
帰宅した旦那とまた病院に向かい
亡くなった義母と対面
最後に会った7月とは
全然違う姿だった。
父親が亡くなった時とは
また違って衝撃的だった。
この日は台風の影響で夜は大雨。
葬式があった8日は朝夕、大雨が降ったけど
式中や火葬終わるまではよく晴れてた。
8月に誤嚥性肺炎に2回なっていて
それから、機械をつけて様子見ていたけど
その機械や点滴も自分で触っては
外してしまい、そしてそれがいつからか
まったく触らなくなり
動かない状態になってた。
喋らないし動かないしもう寝たまま。
ただ、点滴だけで生きてる感じ。
義母は認知症発症した年齢も早く
進行も早くて
約10年ぐらい?で亡くなってしまった。
それより前から前兆があったかも
しれないけど。
しかし、早い。ほんとに早い。
何処の施設も受け入れてくれなくて
最後まで面倒を見てくれた
病院にほんと感謝しかないです
あ、橋幸夫さんも同じ日に亡くなってたね。
式場が空いていなく
葬儀ができたのは8日の月曜日。
義母の症状は典型的な認知症ではなく
稀にみない珍しい症状で
今後の研究?勉強のために
脳を提供してくれないかと言われ
家族で相談した結果、提供することに。
亡くなったのが17:42。
脳摘出が20:30。
自宅に義母が戻ってきたのが23時前ぐらい。
クーラーガンガンに冷やして
ドライアイスもギンギンにつめて
この日は帰宅。
次の日から旦那家族は葬式の
段取りでドタバタ。
金曜日、旦那は段取りに出掛けっぱなしで
夜は私も義母に会いに行ってきた。
ピンクの花柄のかわいい棺に入ってた。
土曜日も旦那は段取りで夜まで不在。
私は透析へ。
日曜日はお通夜。
長男の嫁という立場何かしないと
いけないけど
旦那の妹2人がよく動いてくれて
義父も自分の娘に頼むし💦
私が透析してるから
あまり負担をかけまいと言ってくれたけど。
けど、なんかな〜
なんかさ〜
自分が無力すぎて
居場所ないような寂しい気持ちに
何か指示してくれたらちゃんと
動くのにさ〜
動くのにさ〜
葬儀が終わってからは
下の妹は大坂に帰って
頻繁にはこれないから
私に◯◯頼む。とかいろいろ言ってきたけど。
こんな時に初めて
おまえは長男の嫁なんだから
どーとかこーとか言いだすわけ。
都合よすぎな性格は昔からだから
想定内ですけどねー
義親は、認知症になる前から
自分達の葬儀の予約はしていたみたいで
ちいさい家族葬でね。
けど、最後だから豪華にやってあげたいと義父が。
結果、たくさんの人に見守られて
義母も喜んでくれたんぢゃないかな。
旦那がいきなり
みんなには内緒でお母さんに
手紙読みたいんだけどどう思う?
ええ助。にしか言わないから
絶対誰にも言わないでよ〜。
って。
で、サプライズでみんなの前で
読んでた。笑
たいしたもんだなー
そーゆうとこは尊敬するな〜ほんと
泣きすぎて読めなかったらどうしよ?
って言うから
そしたら、かわりに読んであげるから
心配せんでいいよ!
って言ったけど、
内心、ちゃんと最後まで読めよ〜
って気持ちになるよね😅
義父の兄弟が多いから
葬儀の人数もけっこういて
なんとゆーか、、
私はたいしたこともしてないのに疲れた。爆
葬儀が終わっても終わりではなく
宗派によって四十九日までやる事が
毎日あって
ばあちゃんが亡くなった時は
ご飯と水だけだったのに
宗派によって全然違うんだね😅
知らなかった〜
汗
義母は四十九日まで仏様になるまで
修行するらしい。
義父が亡くなった時の事を考えて
しっかり聞いたけど😅
日曜日の通夜からお葬式まで
夜も遅くて朝も早かったりしたから
昨日の透析はひたすら眠くて
ほとんど寝てた〜
事情を知らない看護師さんが
あまりにも寝てる姿見て
体調悪いんぢゃないかと声かけてきたぐらい😅
ひとまずお葬式が終わったので
次は、仕事復帰に向けて動いて
行こうと思います
5月から休んであっとゆうまに
こんな時期になってしまった。笑
頑張れるかしら?笑
そして、先週行けなかったので
今日は美容院行ってきまーす
今日も読んで頂きありがとうございました。