朝のお迎え。インターホンを押し、「おはようございまーす」と家の中に入る。
今日は送りだしのヘルパーさんは来ていないので、帰ってくる返事は無い。
いつもなら夫婦で居た部屋には誰もいない、静まり返っている。
台所のほうへ進むと、 「あー」 「なんでや」 暗い声がかすかに聞こえる。
薄暗い部屋の中、家族が団欒できるようなダイニングテーブルに顔をふせ、
鼻をすする音だけがひびいている。
この家の中で、二人だけしかいない経験は、初めてだったが、音が静けさの中に響く。
小さい背中がもっと小さく見える。
声もかけれず、手が先に、小さな背中にそっと触れていた。
顔を見るなり、「来てくれたんかー!」と、くしゃくしゃの顔のまま笑っている。
僕が両手を背中にまわしたのか、そのひとが胸に顔をうずめてきたのかわからないが
しばらくそのまま声も出なかった。
「誰もおらんねや」 「昨日おとうさんが死んでな」 「ごはん食べたんか?」
いつも以上にいっぱいしゃべって、いつもの明るい顔になっていた。
この顔からは、泣いている顔なんて想像できないぐらい、愛嬌のあるかお。
「行こか」と声をかけ、夫婦で過ごした部屋に行き、準備をする。
そこへ、ケアマネージャーさんとヘルパーさんがやってきた。
その二人は、僕がその人に出会う以前からその人と関係があり、
デイサービスの送り出しにも来てくれていた。ヘルパーでもないのに、
デイサービスの利用の日にはこの家に来て、ワイワイと準備をしてくれていた。
明日には入所となり、もう会えないかもしれないからと、
仕事でもないのに会いにきてくれた。
もうこの家で会うことがないかと思うと、なんかさみしい気持ちになった。
デイサービスではいつも通り、にぎやかに、破天荒に過ごし、泣き顔なんか見せない。
「お父さんが昨日死んでな」 「病院ではしんどそうやったからな」 「楽になったんや」
言葉を並べて聞くと、やっぱり、当たり前のようにさみしいのかなと思うけど、
いつも通りげんきにしている。
帰る車の中でも、「泊っていき」 「いつでもおいでや」 「ご飯食べていき」
いつも通りの言葉が出てくる。
「今日でお別れやねん」と言ったことばも、補聴器を付けた耳にも届かず、笑っている。
聞こえるように言いなおすこともできず、俺も笑ってた。
家についてもいつも通り、 「上がっていき」 「ご飯食べるか?」
いつもなら家に上がるが、今日はなんか上がれない。
奈良県から来てくれていた娘さんと少し話をする間にも 「上がっていきや」 「いつでも来てや」 「明日も来てや」 と
笑って言うその人の言葉が心にひびく。
娘さんがその言葉を聞いてかはわからないけど泣いていた。
泣きながらありがとうございましたと言ってくれた。
いつもならしゃれのきいた言葉がでるはずやのに
何も言えず、家を出てしまった。
言葉で表現するのが難しいが、さみしいような、悲しいような、なさけないような・・・・・・
入所が決まっての別れなんか、今まで何回も経験してきてるはずやのに・・・・・
頭で考えたら「しゃあないなっ」て思えるのに・・・・・
死んだわけじゃないのに・・・・・
いっつもこころが折れそうになる。
いつになったら成長できるんやろう。
ダイニングテーブルで泣いていた朝の部屋が頭から離れない。