笑顔を見せなくなった瞬間、これは嫌われたと直感しました。でも話し合い無しとうわけにもいかず、

バイトが終わるのを待ち、車で寮に送る道すがら、別の喫茶店に寄って話し合いました。

別れたい理由(嫌われた件も含めて)を問い詰め、問い詰め、なんとか理由を聞き出そうとしました。

すると、突然“もうどうだっていいじゃないですかー!!!”と大声を張り上げて、さらにテーブル

をドン!と叩くじゃありませんか。これには他の客も一斉に注目してしまい、興奮してしまったF子を

なだめるのが大変でした。

ここでF子がよく言っていたセリフが“あんな事、あんな事”でした。Hの事です。でも“あんな事”の後に

動詞を付けて表現していなかった事を覚えていますね。例えば「あんな事をして、侮辱された」とか

「あんな事をして、ひとつもいい事がなかった」とかです。“あんな事、あんな事”と言って、その後は

自分で想像しろという感じですかね。嫌われる問題がこの言葉に集約されている感じでした・・・。

後悔先に立たずです。

今であれば、自分がF子に対して行なってしまった過ちを謝り、よりを戻せるかどうかはわからないけど、

嫌われたままで話を終わらせない事は出来るかなと思います。しかし、この時の私は、Hをやり過ぎたー

しか思いつかず、“Hをやり過ぎたのは悪かった。もうそういう事をしないで付き合いを続けていこう”と

言っていたと思います。これはF子の気持ちとはかけ離れていたんでしょうね。F子が納得するはずも

ありません。実はこの1週間の間で何となくおかしいと思ったので、起死回生のプレゼント(ネックレスで

すけど)を用意して、寮でおろす前に渡しました。でも受け取ろうとしなかったので、強引にふところに

ねじ込んで持っていかせました。全然効果無しだったんですけどね(笑)。

別れ際の車の中で“先輩(先輩と呼ばれていました)との楽しい思い出だけを持っていきます”

“今後は友達として・・・・”とF子が言ってました。精一杯気を使ってくれている、けなげな姿でした・・・。

そして泣く泣く寮の前でF子を降ろしました。この日が二人での最後のドライブになったのは言うまでも

ありません。

始まりから終わりまで、すべて自作自演ですね。始まりも自分で種を巻き、終わりも知ってか知らずか、

自分で巻いた種で自滅していった流れだったなと思います。

生きてきた22年間の中でこれ以上の衝撃はなく、少なくとも1ヶ月間程は心が死んでいたと思います。

ながく付き合っていて、なんとなく別れるという形ではなく、まさに天国からほぼ予告無しに地獄へ突き

落とされ、無くしたものの価値が高い分だけ落差が大きかったですね。こんな衝撃はおそらく得ようと

思っても簡単には出来ないんじゃないでしょうか。お蔭様で、立ち直った後の私の心は、まさに

スーハ゜ーサイヤ人なみに強くなっていました。自分で戦いの場を作って、自分で死の境地を作り出し、そして

瀕死の重傷になり、仙豆は無いけど、自然治癒力で回復したという図式です(笑)。でも笑ってられ

ないのは、F子を傷つけてしまった事ですね。結局二人で会う事が無かったので、謝ることが出来ていな

いのが悔やまれます・・・。

F子は見た目もよかったのですが、それ以上に性格が天真爛漫で、誰からも愛されている状況でした。
自慢したいという気持ちもなくはないのですが、知ってもらいたかったのは、こんなF子を失った時の
ショックの度合いが、どれだけ後悔を生んでしまうかという気持ちの揺れ方なんですね。
そんなこんなで”ゴム付けて”発言から3週間程度たったある日、突然F子が”膀胱炎になりました。
でも今は病院にいって直ったので大丈夫です”といきなり切り出してきました!びっくりしました。
その当時の私の膀胱炎の知識は”トイレを我慢したら発症する”この程度でした。つまり、Hをやり過ぎて
トイレを我慢したので発症したと思ったんですね。実際は・・・・不衛生な手や環境(布団など)でHをする
と、特に女性がかかりやすいという事で、F子に気を使う事もなく、Hに臨んでしまっていた私の責任だった
んです。それを”トイレを我慢していたから”などと、簡単に考え、本来土下座して謝らなければいけない
所を軽く流してしまいました。その時にF子が私から受けた感想は?だったのでしょう。
その後もしばらくはF子は元気に私に接触してくれていました。でも、水面下ではF子の私に関する疑問が
どんどん膨らんでいったのではないでしょうか。あいかわらず会えば夜に泊まらせてHに及んでいました。
膀胱炎にかかったと言っているにもかかわらず、衛生的に何にも気を使っていなかったのは、言うまでも
ありません。F子が態度を豹変させる前の、唯一F子から与えられたチャンスだったと今でも思っています。
おそらく、こんな私の態度を誰かに相談していた時期なのでしょう。
これだけとっても、これで”もうこんな男、いらない!”と思わない女性はいないですよね?相談された人も
”早く別れろ!”と言っていたと思われます。もし私が相談受けても”速攻で別れた方がいい”と言っている
はずです(笑)
それから1週間ほど会っていなくて、寮に電話をしました。ところが出てくれなかったのです。そこで、気に
なって、バイト先の喫茶店に行きました。そこで見たものは、私にだけ、全く笑顔を見せないF子の姿でし
た。終わりの日でした・・・
F子は寮暮らしで門限がありました。たしか夜の11時で、玄関が閉められてしまうんですね。
なので、門限を過ぎたら夜はどこかに泊まればいいだけで、”帰らなければ怒られる”という
事がなかったんです。なので二人で会った時はそのまま安楽亭にお泊りというふうに
自然と半同棲のような感じになっていました。
車で行けるところはすべて行ったという感じでした。マイカーでは飽き足らず、バイト先の社長
のジープを借りて、二人でバンダナしてヒッピー旅行みたいな事もしていましたね。
ドライブ行った際はラブホ泊まりなどもありましたが、決して裕福でない二人なので、だいたい
安楽亭に帰ってきていました。安楽亭はあまり秘密を守れるようなアパートじゃなかったんで
なかなか二人で寝にくかった事ですね。たとえばこんなことがありました。
安楽亭は鍵が簡単に開けられるので、F子と一緒に寝ている部屋にしょっちゅう鍵を開けて
入ってくる友達がいましたね(笑)。わざとじゃないんでしょうけど、3人とも大慌てになりまし
たよ。
F子は学年(1学年に女子は200人ぐらいいたかな)で1番人気だったという噂で、それが俺の
彼女だーと完全に舞い上がっている私がいたわけです。どうしても目立つので、そんなに外泊
していると、おそらくよからぬ噂も広まっていたんじゃないかなと思います。
慣れてくると怖いもので、あれ程熱望していたF子との関係が、今は当然のように思って
しまっている自分がいました。”事”はそんなに奇抜な事をするわけじゃなく、淡々と抱き合っ
ていた感じですかね。ただ、物凄く濡れるのは変わっていませんでしたが(笑)
でも、だいたい泊まると夜2回・朝1回といつも抱いてたので、本当に猿と一緒です。
そうこうして2ヶ月近く経ったある日の夜、安楽亭でF子を抱こうとした時に”今日はそんな気分
じゃない”という態度を取られた事がありました。その時私は、ちょっとふて腐れたような態度で、
布団から出て、外にタバコを吸いに行きました。その時の私の気持ちは”なんじゃ、せっかく
気分が盛り上がっているのに拒否しやがって!”と、まさにいい気になって、つけあがっている
男の姿でした。こちらから告白して付き合ってもらった事など、どこへやら、慢心してしまって
いる馬鹿な男の姿だったんですね。
タバコを吸いに行った私を追いかけて、ドアから”ごめんなさい”と言っているF子がいました。
F子が謝る理由なんてないのに、なんてけなげなんでしょう!機嫌が直った私は、そそくさと
戻って”事”に及びました。ウーン、なんて最低の男だ!。今更ながらその時の自分に呆れま
す。
さらに若気の至りでゴムを付けたり、付けなかったりと、全く相手の受ける状況を考えずに
”事”に及んでいました。自分の気分次第だったんですね。そこで、F子から”ゴム付けて
下さい”といわれ始めた事があります。ちょうど上の時期と同じぐらいかなと思います。
F子は恋だの男だの、そういう話はあまり興味がないようで、ゴムを付けなきゃならないなど
という考え方は持っていなかったはずなのに、急に言われて少々びっくりした事を覚えて
います。でも、それに付け込んで、適当な避妊をしていた私は、本当に最低でしたね。
おそらくこのあたりの時期から”終わりの始まり”だったんじゃないでしょうか。