こんにちは
松花堂昭乗研究所です
ずいぶん冷え込んでまいりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
12月13日(土)、本年最後の定例講座を開催しました。
前半は「松花堂昭乗の書状をよむ」ということで、「式部卿」の署名のある「大簇二十三日」付書状をよみました。「大簇」は旧暦1月の異称ですので、1月23日付の書状となります。寒い時期ですね。
この書状は、内容から、前回(10月定例講座)よんだ書状と同時期のものと考えられるものでした。
昭乗さん、「咳気(せきの症状になやまされる病)が治まってきたので、ずいぶんご無沙汰してましたが、お伺いいたします、と元気な様子を伝えます。
あて先は「寺石見様」(近衛家に仕えた寺田石見守正忠)です。
明日、頭を剃りまして身支度を整え、明後日にお伺いいたします。
前向きな気持ちにあふれています。
とはいえ、心配性な昭乗さん、
病み上がりですから、もし大雨が降ったりしましたら、伺うのを一日延期します。
そこのところ、どうぞ信尋公によろしくお伝えくださいませ。
きっと信尋公は、昭乗さんが来るとなったら、たいそう喜ばれるのでしょう。
だから、万が一のことを考えて、信尋公ががっかりされないように、昭乗さんはひとこと添えたのでしょう。
昭乗さんの体調もまだ万全ではないのでしょう。
そんな中、やさしいですよね、昭乗さん。
この書状も前回(10月)よんだ書状と同じく、寛永2年から4年の間のものと思われますので、
このころ、昭乗さんは「咳気」を患い、体調を崩していたということがわかります。
書状から読み取られる小さな情報を蓄積すれば、点と点がつながって、ひとかたまりの情報となります。
さて、後半は「男山栞」を読み終えました。
最後の部分には、メモ書きのような紙片が貼り込んであって、半斎さんの筆はいつもに増して走っていました。
この「男山栞」は、松花堂昭乗と門人たちに関する取材ノートのようなもので、やはり起承転結という展開はありません。
とはいえやはり、
「最後にはどんな重要なことが書かれているのだろう」
と心ときめいたのは、私だけではなかったと思います。
さて、最後には何が書いてあったのか。
最後の記述は昭乗の兄・中沼左京に関することで、奈良の一乗院に仕えたことなどが記されていました。
「それ、知ってる」
確かに。
しかし、今ではけっこう知られていますが、これは研究の蓄積による恩恵といえます。
半斎さんの地道な努力で集められた情報は、現在の私たちの知識の源にあるといってもいいかもしれません。
そんなことを思いつつ、「男山栞」の輪読を終えました。
みなさん、長期にわたり、お付き合いいただきましてありがとうございました。
少し早いですが、よい年末年始をお過ごしくださいね。
来年1月の定例講座は1月10日(土)です。
元気にお会いいたしましょう