先日、久しぶりに妻と二人で映画を見に行ってきました。「トランスフォーマーリベンジ」を見てきたのですが、いや~、非常に面白かったです。先々週あたりに前作のトランスフォーマーをTVで見たので、記憶が鮮明な状態でリベンジを見ることが出来ました。


前作同様、ありえない変形の仕方でロボットが登場するのですが、登場する数が半端無く多いです。スクリーンイッパイに所狭しと動き回るので、字幕で見ると目が疲れると思います。私達は吹き替えで見たのですが、吹き替え担当の声優さんがタレントさんではなく皆プロの方たちでしたので、違和感無く楽しめました。


見所は、ロボット同士の戦いはもちろんですが、前作でセクター7の調査官のお偉いさん役だった人が、意外な役で再登場しています。そして主人公と同行し、主人公と共に物語の重要な部分に迫っていくのですが、前作以上にコミカルな役になっており、ロボット同士の大迫力の戦いの合間合間に笑いという清涼剤を振りまいてくれる、ある意味癒し系でした。


アメリカでは、これまで水曜日ロードショーでの興行成績No1の「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」(2007年)の記録を1000万ドル越える5500万ドルもの売り上げを達成したそうです(上映初日の総売上だそうです)。日本での今年の夏の映画では「エヴァンゲリオン」が一番人気になりそうですが、映画らしい迫力ある「ありえね~」感一杯の映画を見てストレス発散したいのであれば、「トランスフォーマーリベンジ」が一番のお勧めです。

以下の考えは、あくまで私事です。他の方たちに同感・共感していただこうという類のものではなく、ただの鬱憤晴らしというか、なんか違うんじゃないのという気持ちを吐き出しただけです。まさに雑記。気分を害される方もいらっしゃると思うので、エコ頑張ってるという方は読まない方がいいです。では、吐露します。


地球環境を守ろう。


水を大切に使おう。


限られた資源を大切に使おう。


二酸化炭素排出量を減らし、地球温暖化を食い止めよう。


3Rを実行し、資源を有効利用しよう。


二酸化炭素を減らす為、植林しよう。


ゴミの分別をしっかりし、リサイクルしよう。


これくらいですか、巷でエコ活動と呼ばれるものは。これらエコ活動と呼ばれるニュースなり話題なりを聞くと、正直ウンザリします。もうすこし、醜い言い方をすれば、ヘドが出るというのでしょうか。一時期のボランティアブームの時も同じ感じを受けたのですが、日本人の偽善的一体感を感じます。日本人総エコロジー。エコじゃなければ非国民。戦時中みたいですね。


昨日、某テレビ番組で地球上各地域で水を1日どれくらい使っているのか、比較しているものがありました。

中国のモンゴル地区辺りだと思いますが1日バケツ5杯分約50L。アフリカでは1日バケツ1杯約10Lで遠い井戸から毎日何回か往復して大変な思いをして水を使っている(数値はあいまいですが、大体コレくらいだったと思います)。日本はバケツ20~23杯で200~230Lくらい使っている。世界中では水を十分に使えていない人達が大勢いる。日本は無駄に水を使っているのではないか。だから水を大切に使いましょう。という趣旨の物でした。

なんか、論点が違っていませんか、これ。世界中で水に困っている人達がいるからって、自分たちの水を使う量を少なくしても、なんの解決にもなりませんよね。日本は水源の豊富な国です。生活している状況が違うものを比較しても、そりゃ違うよねとしか言えませんよ。この場合、日本の技術を提供し、水の足りていない地域にどうすれば水を供給できるのか考えよう、模索しようというのが正しいんじゃないのでしょうか。節水したって何の解決にもなりません。テレビの誤った放送による大衆煽動です。


植林について。これまで、人間による伐採で木々が少なくなり、二酸化炭素を吸収する緑が減った事が温暖化に拍車をかけている。樹を植えて、二酸化炭素吸収量を増やそうという活動も全国で盛んに行なわれています。これ、私は賛成です。ただし、条件付です。ただ植林すればいいってモンでも無いと思います。ちゃんと研究されている研究員の方や学者の指示の下、植林から伐採まできちんと管理されるのであれば賛成です。むやみやたらと苗木を植え、大きくなったら「ああ、大きくなったね、良かった良かった。」で終わって欲しくありません。これまで木々が植わってないところに大量の樹を植えるのです。間違いなく樹を植えたところの環境が変わります。植える樹の種類によって、寄ってくる動物(虫や鳥等の小動物)の種類も変わることでしょう。これまであった生態系を人間の手で変化させる事になります。人間は自然に手を加え、変化させる事が大好きです。そして自然に手を勝手に加えると、必ずしっぺ返しをくらいます。すると、また人間はしっぺ返しをくらわないで済むように、手を変え品を変え自然に干渉してきました。人間の歴史はこのような自然との闘いの歴史です。一見良いことをしているように見えますが、その一見良い様に見える事が正しさを見極める目を眩ませてしまう事もあるので、十分な配慮の下植林をされる事を望みます。


その他、こまめに電気を消したり、必要以上にエアコンを使用しない、なるべく残飯を出さ無いよう調理する、アイドリングストップ、等等のエコな行動は私が子供の頃によく親から口うるさく注意されていたことばかりです(アイドリング以外は)。一昔前までは、もったいないという思想が日本人にも根強く残っていました。今のように地球の為に、地球に優しくではなく、ただ物がもったいない、大切にしなさいという道徳観によって行なわれていたエコ活動だったんですよね。これは、命の無い道具を何十年何百年と使う事で命が宿る、八百万の神の思想があったことからも分かる様に、昔っから大切に伝えられてきた事です。経済活動や科学の恩恵を受け、贅沢をしている先進国では忘れ去られていますが、後進国と言われている国では、今でも当たり前のように生活の中で生きている考え方です。正しい事、守らなければならない事って昔からきちんと伝えられてきているんですよね。その昔から伝えられてきている大切な事柄をどっかに置いておいて、やれ地球が危ない、北極の白熊が絶滅してしまう、温暖化を食い止めろ、人類が生きていけなくなるぞ、と危機感を煽り、皆で地球を守るためにエコ活動をしよう、地球に優しい生活をしようと煽動して、エコをしないやつは悪いやつだというイメージを作り、大勢の人をエコに関心を持たせ、エコポイントやエコビジネスでお金を動かす。結局は経済活動ですか、とツッコミたくなりませんか。一世を風靡したボランティア活動でも、自発的に行動し自身の成長を目指す自己完結型の行動であるボランティアが、結局はボランティアをすること自体が目的となり、中身を伴わないものになってしまった例が多くありましたが、今回のエコ活動も本末転倒な事態になっているんじゃないのかと、そう感じています。だから多くの媒体で声高にエコ活動と言われると、イヤ~な感じを受けてしまうんじゃないかと、今はそう考えております。

先週から、東国原宮崎県知事が自民党・古賀選対委員長との会談で、次回総選挙出馬の条件として次期自民党総裁選候補として擁立しろと発言。ワイドショーで取り上げられ、政界がにわかに活気付いているような報道が多く見られます。

 

東国原知事は、地方分権の為自民党を、しいては日本を変えようということでの総裁候補⇒総理大臣への展望なんでしょうが、アメリカの大統領のように大きな権力を付与されていない総理大臣になったところで東国原知事一人では何も変わらないと思います。現在の日本の権力掌握の図は、民主主義という錦の旗のもと、政治家の(議席の)数を揃えれば黒でも白ということができる、というもの。つまりはどれだけの政治家に影響力(強制力)を与える事が出来るかが大切な事です。


小泉前総理大臣のように世論の支持を背景に郵政民営化を強行したという前歴があり、世論を見方につければあるいはという考えもあるのでしょう。しかし、中央での支持をしてくれる政治家がいない東国原知事が、いかにして中央で勢力を得ようというのでしょうか。はたまた、ただ単に政権与党のマニュフェストに地方分権の文言を組み込ませるだけが目的なのでしょうか。いづれにせよ、東国原知事が地方分権を掲げつつ中央政権に乗り込もうというのは、大変な事だと思います。


私は地方分権は支持していません。地方の権力を強化することには賛成です。しかし日本のように狭い領土と人口が一極集中している国では、完全な地方分権では地方は潰れてしまいます。十分な人間と産業がなければ税収が望めず、十分な税収が見込めなければ十分な施政ができません。東京や名古屋・大阪・福岡のように経済の中心となっている都市では、経済が人を呼び込みます。呼び込まれる人々は地方の人です。国家規模の政策によって経済・産業以上に人が惹きつけられる要素を作り上げ、地方でも都市部と変わらなく生活ができるようにしてやらなければいけません。以上の事より、地方を中央が支える体制を作り上げなければいけないというのが私の考えです。


今回の東国原の乱と呼ばれている騒動で、日本が大衆政治にドップリ浸かってしまわないよう、国民一人一人が信念を持って考えなければいけないと思います。