目の前に机がある 確かにあると私達は思っている

 

でも、触った感触でそれを実証しようとしても 

 

せいぜい手のひらで机の一部分に触れて、手のひらに感触があるだけ

 

目で見えてるからある!って言ってみても 実際に見えているのは

 

机と他の物の色と、色の境目が見えているだけ

 

脳が色の濃淡と記憶から、それが立体なんだぜって思い込んでるから

 

絶対に有るように見えている

 

 

 

セミの声を耳で聞いている、と思っているけれど

 

実際の体験は、ただ音だけが頭の真ん中ら辺で響いてる

 

冷房の冷たい空気を体が感じていると思っているけれど、体の表面全体が

 

はっきりくっきり体の形に冷たさを感じているわけでなく、よく観察すると

 

ただ冷たさが体のあたり全体で認識されてる

 

 

 

グレックの実験をやってると アレ、確かに自分って思ってたようには存在してなくね?

 

ってなってきて ちょっと目眩のような、ゲシュタルト崩壊のような感じが起こるのですよ

 

その感覚は面白く、爽快です

 

 

 

ただ、それで解放されるかって言うと そんな簡単ではなく、

 

今までの思い込みが強い感情とか感覚で浮かび上がってきて 戻りますね😆

 

 

 

なので、やっぱ淡々とワークをやるのはまあ同じなのです

 

でも だんだんとそれも時間が短く、簡単になってく感じがしてます

 

最近はどっぷり感情のど真ん中に入って感じるっていうんじゃなくて、

 

じっと見てる事が出来るようになって来ました (いつもじゃないけど)

 

 

 

 

えっと それで実験の話の続きなんですけど

 

聞くのも、見るのも、体の感覚も、思考も 全部認識を通してるわけですよね

 

あ、あるなってある意味 思考で確認してるのです

 

で、そのあるなって言うの、思考じゃないですか

 

 

 

その思考で、絶対に机がそこにあるって言ってるわけですよね

 

じゃあ、その思考って確実なの?って話になるわけですが

 

思考は一度に一つしか無いわけです

 

それが、「昨日の朝ごはんは目玉焼きを食べた」 と言ったとします

 

で、昨日の思考は「目玉焼きは美味しい」 だったとします

 

その目玉焼き、今無いですよね でも思考が あった、絶対あった、食べたもん

 

って言ってるわけです

 

証拠はないですよね

 

例えば、写真を撮ってあったとして、その写真 認識という思考を通してしか

 

確認できないんですよ

 

コンピュータで目玉焼きを分析し、そこにある証拠を解析して残したとしても

 

それを認識なしで確認できる人なんていないんですよ

 

で、その認識っていう思考がそもそも怪しいんです、今ない物をあるっって言ってるんですから

 

意味わかりますか?私は何を言っていますか?😆

 

 

 

 

話は変わりますが、なるべく好きな事をやってください 

 

っていうアドバイスをする開放された方が結構いるのですが

 

今まで、それってこの世界の事だから 真の解放と何も関係が無くない?

 

と思ってて、気に留めてなかったんですよね

 

でも、この世界も真実も、結局全部の表れの認識でしか無いじゃん

 

表裏一体で どっちがどっち どっちが本物とかなんか変な話っていうか

 

どうでも良いじゃないかって気がしてきました

 

なんか実際 好きな事やってみてると 意識が変わってる事があって

 

ああ ホントだ〜 結構大事かも〜 と思ってます

 

なんか留まってたエネルギーが解放されてくって聞きました