仰々しいタイトルの割には、たいしたことは書きません!
ちょっと最近、iphoneを使っていて、思うことを書きます。
先日の新聞(?)にも書いてあったんですが、
携帯が世に出て、たかが十数年。
最近では、スマートフォンも出てきて、持ち運びできるデバイスは
どんどん進化を遂げていきます。
僕もiphoneユーザの一人ですが、まあ彼(彼女?)にはお世話になっています。
僕はiphoneのメモ帳をよく使うのですが、
その理由はもちろん、便利だからです。
かるい、はやい、きえない!
という吉野家のキャッチコピー的な価値を享受して
とにかく、メモリまくっています。
特にお酒を飲んでいるときなどには、わざわざ紙とペンを出していると、
それこそ仰々しいので、、
そんなときiphoneのメモ帳は第2の脳として、僕の消えやすい記憶を保存してくれるのです。
ところが、ここに一つ問題があります。
えらい先輩や上司の方とお酒の席をご一緒させていただいている時などは、
もう「メモ取りたい症候群」に陥るわけです。
でも、そんなとき紙とペンを持っていなかった。。。
となると、もうiphoneの登場しかないわけです。
しかし、ここにマナーの壁が存在します。
上司が話しているのに、携帯を触るやつがどこにいる!
となりますよね。
これは飲み会の席にも関わらず、
講演会のメモを取るときも
紙やPCならいいのに、なぜか携帯だけはマナー違反のような雰囲気があるのはなぜでしょうか?
僕は話を聞いていないのではない!
むしろ、めちゃくちゃ聞こうとしているのだ!
といいたい。
先日、某代理店の偉い方もおっしゃってましたが、
「携帯は、コミュニケーションツールだが、ことリアルの場においては
周囲と空間を断絶する特性がある」
のです。
携帯というプロダクトにそういった社会的な意味が付与されて、
「一人で触るもの」みたいな「常識」がつくられて 、それがマナーになってる。
メモ帳という機能とは関係なく。
僕の真摯な意思とは関係なく。
これはスマートフォンの進化に世間の認識が着いていっていないだけなのでしょうか?
携帯が、もっと多機能で、リアルの場でも空間を断ち切るものではないよ!
ということが世間的に認知されるまで、
僕はあいぽんでメモ取ることに窮屈感を覚え続けなければならないのでしょうか?
ちょっと最近、iphoneを使っていて、思うことを書きます。
先日の新聞(?)にも書いてあったんですが、
携帯が世に出て、たかが十数年。
最近では、スマートフォンも出てきて、持ち運びできるデバイスは
どんどん進化を遂げていきます。
僕もiphoneユーザの一人ですが、まあ彼(彼女?)にはお世話になっています。
僕はiphoneのメモ帳をよく使うのですが、
その理由はもちろん、便利だからです。
かるい、はやい、きえない!
という吉野家のキャッチコピー的な価値を享受して
とにかく、メモリまくっています。
特にお酒を飲んでいるときなどには、わざわざ紙とペンを出していると、
それこそ仰々しいので、、
そんなときiphoneのメモ帳は第2の脳として、僕の消えやすい記憶を保存してくれるのです。
ところが、ここに一つ問題があります。
えらい先輩や上司の方とお酒の席をご一緒させていただいている時などは、
もう「メモ取りたい症候群」に陥るわけです。
でも、そんなとき紙とペンを持っていなかった。。。
となると、もうiphoneの登場しかないわけです。
しかし、ここにマナーの壁が存在します。
上司が話しているのに、携帯を触るやつがどこにいる!
となりますよね。
これは飲み会の席にも関わらず、
講演会のメモを取るときも
紙やPCならいいのに、なぜか携帯だけはマナー違反のような雰囲気があるのはなぜでしょうか?
僕は話を聞いていないのではない!
むしろ、めちゃくちゃ聞こうとしているのだ!
といいたい。
先日、某代理店の偉い方もおっしゃってましたが、
「携帯は、コミュニケーションツールだが、ことリアルの場においては
周囲と空間を断絶する特性がある」
のです。
携帯というプロダクトにそういった社会的な意味が付与されて、
「一人で触るもの」みたいな「常識」がつくられて 、それがマナーになってる。
メモ帳という機能とは関係なく。
僕の真摯な意思とは関係なく。
これはスマートフォンの進化に世間の認識が着いていっていないだけなのでしょうか?
携帯が、もっと多機能で、リアルの場でも空間を断ち切るものではないよ!
ということが世間的に認知されるまで、
僕はあいぽんでメモ取ることに窮屈感を覚え続けなければならないのでしょうか?