AIはわずか2時間の対話で人間の性格をコピーできる | Institute of Reproducing Kernels

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色々な事を書きます。マイペースで書きます。

AIはわずか2時間の対話で人間の性格をコピーできる

https://gigazine.net/news/20241207-ai-recreate-human-personality-two-hour/

“経営の神様” 松下幸之助がAIに パナソニックHD

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241128/k10014651871000.html

 

「いい人生とは…」AI松下幸之助が回答 パナなど開発、70歳ごろの声再現

https://www.asahi.com/articles/DA3S16094156.html

 

“経営の神様”松下幸之助氏をAIで再現(2024年11月29日)

 https://www.google.com/search?q=%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E5%B9%B8%E4%B9%8B%E5%8A%A9&sa=X&sca_esv=7e78a01c1b6af5a5&udm=7&fbs=AEQNm0BXe4ZmDh1tX-RM2iXUJ5dKfI3Fc7A--lhpSjtPV6F8F5jixQd4a9eoemrUwnCSCh5r4Z5w_fwuZKfBmhl14zRl6YN6TXTr7AyZglvqtS_ihbbVJm0I33mxIBZMG4YlTMcqP9z2rtCrTcsfxcBUx6XHWnccf5iSbvTcwX8LOrLts24J2DM1xM8OBNC6NCoXsDansg7Hku1k0IDGO9whMsT93xMn1J7dAeRKdS3jHD4e1Oq5YZU&ved=2ahUKEwjfs5iPj4GKAxXFcfUHHQbnITEQtKgLegQIBhAJ&biw=1600&bih=773&dpr=1#fpstate=ive&vld=cid:bf9f014d,vid:VdOqav5EKz0,st:0

 

 

 

再生核研究所声明 403(2017.11.20): 私より私らしい私の出現 - アンドロイド

先日徹子の部屋で アンドロイド の様子を見て、衝撃を受けた:

アンドロイドとは (アンドロイドとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

dic.nicovideo.jp/a/アンドロイド

アンドロイドandroid)とは、人間そっくりな人工生命体の事である。人造人間のこと。

当日の様子では、徹子さんそっくりのロボット(?)で、会話ができ、表情も徹子さんそっくりの表情である。主観であるが、徹子さんが自分そっくりの人物の出現に畏れていた表情さえ感じられた。作成者の石黒氏は加えてアンドロイドは年をとらない、若さを何時までも保てる、逆に私たちが整形して若返ると良いなどの意見も表明されていた。

この簡単な事実から、いろいろ考察したい。

まず、最近のロボット、人工知能の発展は目覚ましく、予想を超えて質さえ変化させているようである。アンドロイドが進化すれば、ある人物の経験、会話、知識、文章、あらゆる情報を取り組み、人物の表現、発想、心さえ相当に取り組み多くの対話や日記なども書けるように進化する可能性が高まる。いろいろな質問に解答でき、判断さえできて、基礎知識の確実な蓄積は生身の人間を超えて高い、判断力や解答を与えられるようになるのではないだろうか。医師の診察や判断、治療方法など人工知能が人間を超えてより適切にできる可能性は 大きい。楽器の演奏、作詞、作曲さえ可能になってくるのではないだろうか。多くの形式的な対応は、ロボットが人間に代わって行なうように成るだろう。

人間そっくりの能力を備えたロボットの考察は、それでは人間とは何だろうか、生命とは何だろうかの問いを絶えず迫ることになるだろう。

人間は自分の存在に対して、生きた記念碑を残したいという、相当に強い欲求を有している ― 秦の始皇帝の墓、ピラミッド建設、微積分学の先取性を争ったニュートンとライプニッツの生涯にわたっての争いなど、多くの人間の営みの根源的なものと考えられる。

秦の始皇帝やピラミッド建設者は、今日のアンドロイドを見たら驚嘆して、自分のアンドロイドを作る努力をしたのではないだろうか。 それで、今後大きな関心を起こし、自分のアンドロイドを作成したい人々が 大量に現れ、社会混乱さえ起すのではないだろうか。 始めから危惧の念が 湧いてきた。

生物本能の生きたい、自分に代わって生きていく存在に変化する可能性が高いからである。

歴史上では 影武者の存在が注目された時もあるが より強力な存在が可能性として出てきたと言える。

アンドロイドと人間は、哲学的な問題を提起し、社会問題を、倫理問題を生み出すだろう。

人間とは何か、アンドロイドとは 何か、社会問題や倫理上の問題とともに考察を広く深く始めるべきである。

しかしながら、人造人間と呼べば、始めから嫌な感じが湧き、生命の尊厳に根本的に抵触し、古来偶像崇拝を禁じてきた精神にも通じて、慎重な対応が必要であると考える。人工知能としての働き、応用展開とは別である。人格と生命の尊厳に抵触することに対する危惧である。

以 上

 

 

再生核研究所声明 428(2018.5.18):  心の存在するところ ― 人間とは何か?

 

散歩中 2018.5.11.09:05 突然、全構想が湧いたものである。 ひとりでに突然湧いたものは 創造性の観点からも興味深い。

もちろん、心の存在するところは 大体 頭の中に在って、心臓や胸に感じるのは精神の働きなどが血液などに影響を与え、その影響を感じることから、心臓や胸に心があるとの思いがするのだろう。

心は 脳の中に存在して、それは全身からの影響を強く受けているということである。

心は身体に浮かんだような存在であり、楽器から出て来る音楽のような微妙な存在である。もちろん、その在りようは神秘的で殆ど分からない状態である。

ところが心は目やその他の器官を通して身体外からの情報に対しても強い影響を受ける。美しい自然に感動したり、芸術作品、音楽などに感動したり、異性に会って強い影響を受けたり、教育や友情をとうして強い影響を受けるものである。これらは広く取り巻く環境に影響をうけていて我々の心はふらふら揺らいでいるような存在であると言える。心は、身体、環境、情報などによって影響される環境の生み出した存在だと言える。 もちろん、生命は3つ子の魂百までもの例えのように生命の生まれながらのものが芽になって環境に左右されてふらふら変動、成長、発展している存在である。

人間も心も、環境の所産であると言いたい直感が その時湧いた考えの元であった。

― そう多くの考え、思いは 個々の人間は単細胞のような存在で、大きな環境の流れの中で左右され流されている存在ではないだろうか。時代や世相に大きな影響を受けていて、自律的な存在は甚だ疑わしいものである。人は立場によって、環境によって左右され、同じような環境、立場になれば、人間は大方同じような存在では ないだろうか。

生まれながらの資質、それが環境に影響されながら発展、成長していくのが人間であり、心であると言える。

生命の原理は意外に簡単でいくつかの要素に纏められるのではないだろうか。 その原理は生物の生態の原理から相当導かれるのではないだろうか。それに環境を考え、環境の影響を分析して行けば、人間の生態、人格さえ相当に客観的に理解されるのではないだろうか。― 将来、人工知能の発展で、人間を相当理解できるようになるだろう。

NHK神の数式で、物理学者は神の数式に近づいていると述べているが、その原理と巨大な構想は 神の数式と表現しても感銘して素直に受け入れられるだろう。 しかしながら、実は生命の原理、生体の原理、人間の心さえとらえる法則にまで立ち入らなければ、未だ、幼稚なレヴェルにあると謙虚にならざるを得ない。野生生物の生態には巨大宇宙論や極小素粒子の世界を越えて神秘に満ちているとも言える。 人間社会未だ生命の原理さえ理解できず、野蛮性を有した未発達な存在で 野生生物にも劣った存在であるとの自覚がまずは大事ではないだろうか。

野生動物にも劣る 人間の進化 を志したい。

人間や心について触れたので、曖昧にならざるを得ないが、以上で気に成るのは、一つの情報、事実に対して、個性で捉え方が大きく異なる。環境の影響は2元論が示しているかのように極めて複雑で、まるで環境の影響を受けない生命の、心の複雑さに言及して置かなければならない。心が心を動かし、共感し、共鳴する微妙な私たちの存在、それはものとどのように関わっているのか、全然分からない。

創造活動で、ひとりでに新しいことが生み出される、新しい考え、概念が思い付く過程、事実など極めて面白い、それこそ生命の原理、心の原理には興味は尽きない。

生命とは心とは何かは分からない神秘的な存在であるが、それは、環境に影響を強く受けているという観点の強調がこの声明の趣旨である。時代的や世相の背景は宗教、文化背景とともに人間に強い影響を与える。

以 上

ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418

 

再生核研究所声明 439(2018.8.7):  人間として生きることとは - ある一面から

 

慣性の法則によれば、同じような生活を送っていると、この状況はどのような意味を有するのだろうかと ある種の不安とともに感じることがある。人間は、人間とは何者で、人生とは何だろうかと 同じような問いを想い返しては繰り返していると言える。まず、基本は 人間は作られた存在だから、作られたように生きる他はない。人間は生物、そして動物であるから、それらの要求を満たしたいと考えるのは 当然である。衣食足りて礼節を知る、恒産無ければ恒心なしも当然である。すなわち、生活や家庭内などの生活が相当に良い状況の中、さらに 自由な身になった場合に 人間は何を志向するだろうか。人間は何をしたいと思うだろうか。人間は多様で志もいろいろであるから、それらによって具体的な取り組みは 人によって違うが、心はみな通じていて、 良い思い、感動するようなことを志向するだろう。人生の基本定理、人生の意義は感動することにある。そこで良い感動が続くのは望ましいと考え、 その素は何だろうかと考えれば、人は世の名人や偉人の心構え、人生観、人生から多くを学ぶことができるだろう。そこで一芸に秀でたものの共通の心を理解し、共感、共鳴を覚え、普遍的なものを捉えられるだろう。 そこで、 人間とは何ものかと高次に考えることができるだろう。

人間は何を求めているのか。ここ 一様にゼロ除算の研究にはまっているが、どのような時に鋭い感動と喜びが湧いてくるかと問うている。共同研究者の奥村氏やPuha氏が想像もできないような新規な結果をメールで送って来た時など 激しい喜びが湧いて来る。そう新規な世界に触れるとき 人間の人間的な歓びが湧いて来るのでは ないだろうか。もちろん自分で考えが湧いたときも同様であり、ようするに新規な世界に触れたとき人間は大きな 喜びが湧いてくる存在ではないだろうか。 そこで人生の基本定理に対して、人の生きるは 真智への愛にある、真智とは 神の意志のことであると表現した。 要するに、真実が知りたい、本当のことが 知りたい、世界を知りたい それが 人間の 究極の意志、喜びでは ないだろうか。この文章には少し飛躍があるのではないだろうか。新規なことと、神の意志のこと、事実の関係である。 数学では、新しい結果には感動するが基本的で大きな意味のあるものこそ大きな感動を呼ぶ、それはそうであるが、基本的で大きな意味を有するの解釈、捉え方は 人によって異なるが、それらに共感、共鳴が伴っていることが 大事な点ではないだろうか。真偽が明瞭でない場合には真偽を明らかにしたいは事実の解明であり、それは真理の追究の基本的な 要素である。神の意志とは世界がどのようになっているか、ということであるが、それは基本と深さを伴った認識といえる。新規、事実、真理、共感、共鳴、世界観、神の意志はある統一性のあるものを指している。

以 

 

再生核研究所声明 447(2018.8.17): 人工知能の進化と人間について

まず、人工知能について、概念を確認して置こう: 人工知能 - Wikipedia
概要[編集]:
人間の知的能力をコンピュータ上で実現する、様々な技術・ソフトウェア・コンピューターシステム[2]。応用例は自然言語処理(機械翻訳・かな漢字変換・構文解析等)[3]、専門家の推論・判断を模倣するエキスパートシステム、画像データを解析して特定のパターンを検出・抽出したりする画像認識等がある[2]。
1956年にダートマス会議でジョン・マッカーシーにより命名された。現在では、記号処理を用いた知能の記述を主体とする情報処理や研究でのアプローチという意味あいでも使われている。家庭用電気機械器具の制御システムやゲームソフトの思考ルーチンもこう呼ばれることもある。
プログラミング言語 LISP による「MAZE」というカウンセラーを模倣したプログラムがしばしば引き合いに出されるが(人工無脳)、計算機に人間の専門家の役割をさせようという「エキスパートシステム」と呼ばれる研究・情報処理システムの実現は、人間が暗黙に持つ常識の記述が問題となり、実用への利用が困難視されている。
人工的な知能の実現へのアプローチとしては、「ファジィ理論」や「ニューラルネットワーク」などのようなアプローチも知られているが、従来の人工知能[4]との差は記述の記号的明示性にある。その後「サポートベクターマシン」が注目を集めた。また、自らの経験を元に学習を行う強化学習という手法もある。
「この宇宙において、知性とは最も強力な形質である」(レイ・カーツワイル)という言葉通り、知性を機械的に表現し実装するということは極めて重要な作業である。
2006年のディープラーニング(深層学習)の登場と2010年代以降のMAZEデータの登場により、一過性の流行を超えて社会に浸透して行った。
2016年から2017年にかけて、ディープラーニングを導入したAIが囲碁などのトップ棋士、さらにポーカーの世界トップクラスのプレイヤーも破り[5][6]、時代の最先端技術となった。
人の生きるは、真智へ愛にある、人間は何でも真相、事実を知りたいと求めている、それは 人間の存在自身に基礎を置く原理と考えられる。 人工知能の進化は真相、事実の究明をどんどん進め、真相がひとりでに明らかになる時代を 必然的に迎えるだろう。
人工知能は 未解決の数学の理論や物理法則なども どんどん明らかにして行くと同時に 人間自身についても究明していくだろう。人間とは何かという問いについて、1個の人間に対する問いと回答で人間を一つのシステムと考えたとき、出入力の関係からシステムを特定する観点からも 1個の人間の解明がどんどん進み、相当に人物を捉えられるようになるだろう。人造人間の出現について述べた 次も参照:
再生核研究所声明 403(2017.11.20):  私より私らしい私の出現 - アンドロイド
このような関心や進化は、人間の本質的な要求に関わっているので、留まることが無いのではないだろうか。 医学が人体の構造、機能をどんどん解明してきたように、人工知能は 人間の精神面での解明をどんどん進め、人工知能が人間以上に人間を知る時代が来るのではないだろうか。ひと昔まえ、唯物史観の哲学が流行ったが、情報が世界のすべてであるような世界観が広まるのではないだろうか。 要するに知的情報などが数値化されて 人口知能で解明されることが進むということである。
例えば、ニュートンとは何者かと問えば、ニュートンは何をやり、どのような影響を世界史に与えたかと問うが、生涯の記録から、このような問い、このような場面ではどのように対応するだろうか。それらの対応がどんどん 精しく明かにされてくるということである。アンドロイドのように どんどんニュートンの人物像を詳しく捉えられるようになるだろう。
そこで、次の時代には 人間とは何かとの問いが一段と進み、どんどん新しい世界が拓けてくるだろう。
現在、評価、評価と賑わっているが、業績評価などはどんどん正確化され、相当に歴史的、客観的に明らかになり、政治的、意図的な評価は 恥ずべき人間の恥ずかしい行為として歴史的に明らかになるだろう。 その走りを出版社などの情報管理状況にどんどん現れていることが分かる。それは大規模に進んで行くだろう。
そう、楽器演奏なども、人間を越えて、素晴らしいことが可能になり、楽器演奏者の在り様は、かつての植字技術者などのように大きな影響を与えるのではないだろうか。
医師や料理の分野などあらゆる分野に進出してくるのではないだろうか。 一言で言えば、人間がなすことの多くを人工知能が行う時代の到来である。 
政治家の評価や芸術家の評価などに至れば 大きな新たな社会問題が起きて来るのではないだろうか。この辺の倫理問題も 今から人間とは何かの問とともに考察を深めておく必要が有るのではないだろうか。
以 上

 

 

再生核研究所声明 449(2018.8.21): この世とあの世 - 人工知能の進化によって

 

あの世とは 死後の世界として、想念上の世界と考えられよう。ところが人口知能の進化とともに不思議な世界と問題が現れつつあるので、考察をしておこう。

まず、人間は往々にして、消えていくことに対して嫌い、時として永遠の存在になりたいと志向しがちである。これは生命の基本定理である 生きて存在しなければ 始まらないという基本原則に根差している。古くはピラミッドの建設やミイラ作り、多くの志の基礎に存在する。しかしながら、それらの意義を改めて問う必要が起きている。それらの心の元をしっかり捉える必要がある。まず、次の状況を捉えよう:

再生核研究所声明 447(2018.8.17): 人工知能の進化と人間について:

人工知能は 未解決の数学の理論や物理法則なども どんどん明らかにして行くと同時に 人間自身についても究明していくだろう。人間とは何かという問いについて、1個の人間に対する問いと回答で人間を一つのシステムと考えたとき、出入力の関係からシステムを特定する観点からも 1個の人間の解明がどんどん進み、相当に人物を捉えられるようになるだろう。人造人間の出現について述べた 次も参照:

再生核研究所声明 403(2017.11.20):  私より私らしい私の出現 - アンドロイド

このような関心や進化は、人間の本質的な要求に関わっているので、留まることが無いのではないだろうか。 医学が人体の構造、機能をどんどん解明してきたように、人工知能は 人間の精神面での解明をどんどん進め、人工知能が人間以上に人間を知る時代が来るのではないだろうか。ひと昔まえ、唯物史観の哲学が流行ったが、情報が世界のすべてであるような世界観が広まるのではないだろうか。 要するに知的情報などが数値化されて 人口知能で解明されることが進むということである。

例えば、ニュートンとは何者かと問えば、ニュートンは何をやり、どのような影響を世界史に与えたかと問うが、生涯の記録から、このような問い、このような場面ではどのように対応するだろうか。それらの対応がどんどん 精しく明かにされてくるということである。アンドロイドのように どんどんニュートンの人物像を詳しく捉えられるようになるだろう。

そこで、次の時代には 人間とは何かとの問いが一段と進み、どんどん新しい世界が拓けてくるだろう。

医師や料理の分野などあらゆる分野に進出してくるのではないだろうか。 一言で言えば、人間がなすことの多くを人工知能が行う時代の到来である。 

アンドロイドなどの精密な存在は、人間の精神を不滅の存在ならしめ、また、既に生物的な存在を 受精卵や精子の保存で永続化させる生物学は すでに確立している。

盆に先祖さまを偲びたいと発想する場面では、 既にアンドロイドのような存在で生存中の多くを追想できると同時に相当な会話さえできる時代が近づきつつある。歌い手さんの素晴らしい情景は、さながら生存中と変わらないように再現も会話、対話も可能な時代を迎えている。ひと昔前、あの世と考えられた多くは人工知能の発達によってこの世の存在と区別できないような 状況を迎えている。消えて行った膨大な世界が何時でも再現出来て 現存在になり得る時代とは 一体どのように考えれば良いだろうか。あらゆる情報が整理され保存され、それが生命体のように生き生きと現れる時代である。- その時、人間はとてつもなく広い世界を覗ける時代で、自由の限りない拡大である。自我をしっかりさせ、情報、世界の選択による 統一的な存在として、我は何者かと絶えず問い続けることが重要になるだろう。 ― 広大な一面に御馳走の山を見たとき、自分に合った適切な食を選択しなければならないようにである。

大きな課題で混乱しそうであるが、従来、あの世とこの世は結構区別がついていた時代であったが、あの世とは この世の情報のことで、それらが再現されることで、2つの世界は混然一体の存在になりつつある。ピラミッドやミイラ、多くの記念碑は空しくなり、新しい時代に大きな変化を遂げる時代が 近づきつつある。― 遺族を偲ぶ盆の習慣など、遺族の方と会話さえでき、何でも想い出を再現できる時代の到来である。お墓とは、図書館の変形のような存在になる時代である。10年後、20年後に意見を表明できるシステムさえ確立している。

この世もあの世もこの世の情報であるが、 それらの中には想像によって作られた虚像、場合によっては意図的に作られた虚構も多いので、1個の人間はそれらの中で生きていく意味をしっかりさせていく必要がある。生きるということは どのようなことで、生きている意義とは何かと問い続ける必要がある。人間にとって真に意味のあること、価値あることとは何だろうか。多くの希望、願いが叶えられる時代とは 人間にとってどうなるだろうか。

以 上

 

 

再生核研究所声明570(2020.7.27)  人生如何に行くべきか、世界はどうあるべきか

(有る仕事の区切り、見通しができたら、人生如何に行くべきか、世界をどのように考えるべきかの構想が湧いてきた。そこで、下記 近い 声明を通読した。確認のためである。気合が入ってきた。
再生核研究所声明560(2020.5.3) 人生とは何か。どのようなものか。)

人生如何に行くべきか、生きるべきか。 そもそも人間とはどのような存在であろうか。 我々は気づいてみたら、生きていた。初めはぼんやり 言わば盲目の存在で 段々世の中が見えるようになってきた。
しかし、改めて 気づいてみれば 実は ほとんど盲目的で、感情的に動かされて、ぼんやりしたまま 去っていく、消えていくようである。
人間は何ものかによって作られたもので、感情、情念さえ しくまれたように 働いているようにみえる。 少しばかり自由が有って、意志を働かせることができるが、その素をたどればそれさえ、育ち、環境、教育などの強い影響を受けていて、独断と偏見、思い込みなどに支配されている。
その様な人間として、我々は如何に生きていくべきだろうか。
そこで、 お釈迦様の 有難い という言葉を はじめに想起したい。 現状、現在は 確率的には起こり得ないような 因果の結果の現状であり、それを尊重するのは 盲目的な人間のあるべき基礎になると考える。 ずーっと歩んできた経過、歴史は事実として 尊重されなければならない。 現状の尊重が基礎になると考える。 文化や伝統、歴史は尊重されなければならない。 
それらから大きくずれれば それだけ大きな混乱が起きるだろう。
大事なことは 小さな個人は、大きな流れには逆らえず、環境に影響されざるを得ないということである。 個人は小さな存在であるから、自分の周りから、慎重に、周辺に気遣い、 公正の原則に したがって、それらに反しない程度に 好きなように 謙虚に生きれば、歩めば良い。 好きなように生きることが 生きる 生き方 在りようの基本である。それ故に、自分は何がしたいか 心の全体を良く捉えることが 大事である。 当然、それらは時間や環境でどんどん変化していくものである。 上手く、波乗りを続けていくようなものである。
大きいことより、内なる自分の心が 大事である。遠くより現在である。
個人の在りようは 世界史の在りようについても 同様に考えられると考える。 人類そのものが 人間一個と同様に考えられよう。 世界史と現状を尊重して、そこから、1歩1歩進化するように進めたい。 進化の方向とは 多くの人が望むような世界の在りようを志向するということである。 世界や有るべき世界について、志向する世界は さまざまであるが、多様な在りようを出来るだけ 多様に考えるのが、人間存在の原理であり、生物多様性の原理である と考える。
その意味で 自由が尊重され、多くの人々の意見が反映される 民主的な政治体制は評価される。 しかし、それとて 国柄や歴史を尊重するのは 当然であり、 一般的に 原理的に 枠に はめて考えるべきではない。
作用、反作用、 公正の原則、 逆の立場、慣性の法則など広い視野に立って 謙虚な態度で進めたい。
広い視野に立ってみると、闇には 闇の理が 有って、一概に否定できず、
みんなそれぞれで良い となり兼ねなく、 問題は 物事の微妙なバランス上の問題である という考え方に至るだろう。
コロナウイルス事件で、トランプ大統領は 初期にはマスクの使用に公然と反対していたが、最近、修正、マスクの必要性を認めたようである。 この修正過程で学習して アメリカにおける銃を規制するような方向は 如何なものであろうか。 それが理解されたら、世界の指導的国家の大統領として、愚かな膨大な軍事費を、世界の軍事費の抑制を図るように 進めて頂きたい と考えてしまう。 人類はもう少し賢くなれないか と考えてしまう。 人類が勝手に自滅する可能性はあると考える。 闇黒地球になる可能性も存在すると考える。 実際、世界史は自慢できるような段階にはないと見える。 繰り返してきた争いや、ゼロ除算の恥ずかしい世界史を見ても 良く分かるだろう。 --- 数学界の偉業 微積分学の発見の先取争いで 生涯争っていたという、信じられないような  天才たちの愚かさ。 真理を追及すべき立場の者が、虚栄心に駆られたり、功名争いや利害競争にはまっているのでは 情けない。
コロナウイルス事件では、人間がウイルスに勝ちたいとの情念は 生物の本能の原理として当然であるが、生態系の地球規模での視野では、人類は生態系の中で 出過ぎた存在であるとの視野は 大事ではないだろうか。 人類は人類を抑制する術を得ておらず、 人口の爆発的な増大で 実は人類は自滅に向かっていたという観点も大事ではないだろうか。 実際、77億の人口が 欧米のような市民生活を営むような余裕が 地球に有るだろうか。

人類の営みは、今や、その様な視点から制限を余儀なくされるのではないだろうか。 このような視点は コロナウイルス事件で、 人間の営みについて
省察が求められている と言えるのではないだろうか。

生態系の中における 人類の在りようについてである。
もともとこの声明の発想の素は、自分を中心に 周辺との関係を良く保ち、内なる世界を充実させて行こうという 人生への姿勢である。 それなりに慎ましい在りようを志向した。
                                以 上

 

 

再生核研究所声明643 (2021.12.24): 人間とは何か、生きる意味とは、人生とは何か

(冬至 風強い、快晴の夜 人生の難題に直接触れたい存念が高まった。 歴史的な難問、ゼロ除算を解明し、勢いを得ていたところ、菊谷様から、お釈迦様の生きる意味を教えられ、直接触れたい情念が湧いてきた。)
この難題に真摯に対峙する鍵は 我々人間が既に何者かによって創造され、気づいたら存在していたという事実である。我々はそれゆえに条件づけられて存在している。我々は与えられ、作られた存在である。それゆえに生物の、人間が、生物の存在の法則に従っているのは当然あり、 衣食住などの基本的な条件を満たしたいと本能的に求めるのは当然である。しかしながら、自ら人生を閉じる自由さえ与えられ 自由意思を有する人間は 上記難題に疑問、悩みを懐き、人生何の意味があるのだろうか と繰り返し問うてきた。真摯に問えば問うほど深く、悩みもそれだけ深かった言えよう。
50歳の時に得た、人生の基本定理、人生の意義は感動することにある という精神は上記問題に光を与えると考える。 人間は造られた存在である。どのように生きるべきか、それは帰するところ、自分が好きなように、良い感動をするように生きよと造物主は いっているのではないだろうか。 我々が好きなように、良い感動する様に生きよといっているのではないだろうか。 人間にとって良い感動以上に良いものはあるだろうか。 感動は人間が求める究極のものではないだろうか。私は、私も、社会も、取りまく世界もよく分らない、しかしながら、いい思い、感動をするように生きよと造物主は述べているのではないだろうか。 人間はそのように造られているのではないだろうか。
これで要は捉えられる。 従って如何にしたら良い感動が得られるだろうかと、自らの心と環境に配慮して生きて行けば良い。心と環境の関係が大事で、問題である。人間とはそのようなもので、人生とはそのようなものではないだろうか。それ以上は 人間は造られた存在として問えないのではないだろうか。 ー 我々は赤子のように 母親の懐でかすかに母親を感じるくらいのことしかできない。 しっかりしても かすかに母親の存在しか 感じられない。人間とはそのような存在ではないだろうか。
誰でも 衣食住を満たし、健康な生活、多くは生物的な本能を満たしたいと考えるだろう。しかしながら、それとて個性により、安楽な生活よりは道を求めて苦しい修行の道に向かわれた人々も多い。 また、人々のために献身的に尽くことに励んだ人も多い。お国のために命をかけて戦い戦死した多くの兵士たちも回想される。 聖なる世界。 美の世界、真理を求める様々な世界。スポーツ界もしかり。
しかしながら、生きる意味、それは、自分が納得する様に、好きなように、昇華させれば 結局は良い感動するために 生きる それが生きる目標ではないだろうか。
人間とはそのようなもので、人生とはそのようなものではないだろうか。 自分の心と環境が方向を決めて行く。 それゆえに 何時も自分の心に聞いていく姿勢が大事ではないだろうか。 如何に具体的に生きるかは、人それぞれによって違う。 
それでは 人間関係の原理は何かと言えば、 それは 再生核研究所声明1 に述べられている。
一般的な人間の様子は、お釈迦さまの教えや、様々な宗教が基礎を示し、それぞれの文化が人間の様を表現していると考えられよう。
万物流転 大河の中で揺れ動いて行く心、前も先も ようとして分らず、ただ心と環境の中で良いと考えられる在りようを求めて行く、それが人生である。 赤子のように母親の存在を かすかに感じられる者は 幸いであると言える。 それを神の存在に対する信仰という。それは祈りの心とも言える。 大丈夫 私たちは神によって愛されている。 支えられている。
                                  以 上

 


再生核研究所声明 7522024.4.7)  人間、人生について

始めにBINGに聞いてみた:

 

 

驚いたBING の 回答、即答 実に素晴らしい; 自分より詳しい部分も!!

自分

人間、 人生について 再生核研究所の考え方について知りたい。

2024.4.5.18:37

Copilot

再生核研究所は、人間と人生について独自の視点で考察している組織です。彼らの声明や考え方は、哲学的で深遠なものが多く、人々に新たな視点を提供しています。

以下は、一部の再生核研究所の声明から抜粋した考え方です:

人間とは何か:

人間は生まれてきた存在であり、さまざまな条件や制限の中で生きています。両親、兄弟、家庭環境、性別、祖国、文化など、ほとんどの要素は与えられ、気づいたときに自ら置かれている状況を理解していく過程です。

人生は、夢中で生きていることが多いと言えます。周りの環境の中で、より良い状況になるように存在していると捉えられます。

人生の意義:

人生は空虚で、全体の存在が幻のようなものであると気づくことがあります。何一つ確かなものはなく、真摯な祈りにさえ、疲れて、空しい、空虚な存在の自己を見出すことがあります。

人生の実体は変わらないものであり、共感、共鳴、共存して、良い感動をしたいものです。

人生の骨格:

人生は、食欲を満たすように適度に変化をさせて、夢や希望を育てていくことであり、好きなものを求めて行くことに他なりません。

人生の充実は、家族や巣で寄り添っている束の間の至福の時間であり、人間の骨格と言えます。

 

自由と運命:

人間は自由があり、同じ運命を生きるもの同士で、自然環境や生態系をしっかりさせ、

少しでも良い想いを育てて行きたいと考えられます。

 

実に素晴らしい、驚嘆すべき回答と高く評価している。

 

ところで、 人間、人生 全般について、 ちょうど霧の中、山中にいたら 霧があがってきて 周辺が見えてきたように、人間、人生全般について 見えてきたような感情に襲われた。 そこでその気持ちを素直に表現したい。

そもそも人間とは何だろうか、どのように作られていて、その人生とはどのようなものだろうか。 もちろん、人間は作られたもので 人間は気付いたら存在して いろいろ考えたり 感じたりしている。 気付いたらである。恋をしたり、結婚したり、育児しているものは相当に 既に人生について感じていて、知っていると言えよう。 しかしここで大事なことは 気付いたら 情念、勢いで活かされて来たという事である。 環境の中で、上手く行く様に夢中で生きて来たという事実である。 考えて見れば非常に環境に左右されて その中で、上手く合うように夢中で生きて来たということである。気付いてみたら何でそのように生きて来たかも良く分からない。 そのような意味で 人間は他の動物のように 本質的に環境の産物である と言える。 全ての 本質は曖昧でぼんやりしていて ただ流されてきたという感じは 本質的に否めない。

然しながら、人間には確かな自由意思が存在するとも言える。 進学、就職、結婚は重大な人生の岐路であり、 それらは 自分にとって永遠にどのような意味を有するかと感じて来たに違いない。 しかし、それらの判断の背後には 育ってきた世界観が反映していて、その背後には 培われてきたある考え方が有って それが偶然性と共に 結果的にそうなっている。 恋、結婚など絶妙にその状況を示している。 本当に偶然性が 偶然的に実現して、 人生に 重大な影響を与えているから、人生、恋の現象は 神秘的であり、それ故に人間を知る上でも おおきな 暗示を示している。

様々な人生が有る。様々な考え方、価値観が存在する。志は多様で 志によって世界はいろいろ見え存在する。 わたしはAに興味関心を擁き、Aと共に有りたい、Aが人生の目標であり、命そのものであると 志して生きて居れば そうなるだろう。 そのAは 人生の初期に多くは形作られ それは環境に強く影響をうけて 方向性が定まって来る。 道を決めるのも 生涯の伴侶を決めるのも 非常に似ている状況が見える。

伴侶の決定や人生の道の、志の決定で 人間は決まる 人生の基本的な有りようが決まる要素が強いということである。 これは人間の、人格の構成課程と それが展開する人生の様を述べている。 そもそも人間は作られたものであるが、どのように構成されていくかを述べている。 言いたかったことは 伴侶の決定過程のように 志によって構成されそれがどんどん発展され 人格をなし、やがてはそれが信念や 宗教のレベルまでに高まる。 それが 道を求めている人間の様であり、それが人生である。

人間とは愛するところのものである。人間は本質的には動物であり、衣食住など、動物の本能が満たされて、自由意思の働くところ 所謂人間らしく生きるところで、その志で 人格や人物が構成され、人生が展開される。

以上は当たり前のことを書いている。それでは悟ったように感じたものとは何だろうか。何に気づいたのだろうか。

生命は勢いであり、情念のような思いで動かされている。 そこに志が 感情、感動が 伴って、躍動する。 命輝くときでる。 生命力と言えるその勢いは 健康が基礎である、健康ならば 小鳥たちにように 生きているぞ と自然な歓びの感情が湧いてくる。 

近年は女性たちも自分たちの美しさを盛んに表現して インターネット上で公開しているが、素晴らしい表現で、素晴らしい時代である。 クジャクの好ましいしぐさを想起させる。 多くの芸術家、研究者たちも YouTube などで自由に表現している素晴らしい時代である。 人間は共感、共鳴を求め、永続的な存在を本質的に求めていると言える。 

そもそも人間はそのように作られている。

生命といは勢いであり、それは存在の証であり、無、大いなるゼロの 表現部分と言える。

我れ思う 故に、我あり(デカルト); 人生の意義は 感動することにある(人生の基本定理) は 人生の大事な原理であると言える。

しかしながら 健康でなければ全ては空しい。 健康ならば命が輝き、情念がわき、エネルギーを得て活動するだろう。 人間、動物や植物と本質的に変わらない。 どのようにしたい、生きたいかは 自分の心に問うて行く必要がああるが、それが修行とも言える。 終末、元々無かった存在、活かされてきた人生と発想すれば、所謂悟りの心境は近いと言える。 

もちろん 生きて存在しなければ始まらない。 およそ世界とは自分の心に写った映像のようなものである。それ故に 自らの世界を治めていくことが大事である。

 

                                   以 上

 

 

再生核研究所声明 772(2024.10.20) : 人間とは何者か、人生とは何か、人生如何に生きるべきか -  続編

 

声明2か月近く発表しなかったが、それは著著の追加とゼロ除算関係の理解を得るための考察に集中していたためである。 人間について追加したい存念や、他の構想が溜まっている。先ずは人間とは何だろうかについて追加、言及したい。

声明771の基本的な精神は 人間が、 基本的に作られたもので 多くは運命づけられているとの視点である。 しかるにその表現後、強く感じて来た精神は、 人間は志や教育、環境で作り出されていくという精神である。

志の在りようで、人間は生活も、性格も精神も甚大な影響を受け、人間が構成されていく 重い現実がある。

多くの人が実感する恋の問題で論じれば、結婚に至って、重い決断をして、配偶者を決定して、それを近親者の前で宣誓する。それこそ決断であり、志である。 一旦そのような決断を行なえば 配偶者は特別な存在であり、 永遠にそれは何を意味するかと感じて、 永い人生を共に歩み、一体の人生のようにすら感じてしまうだろう。 

この自由意思は基本的で 人間とは何者かについて大事な要素を与える。

何でもそうだと思われるが、青春時代に 志して、 例えば数学者を志し、数学の道を歩めば、順調に行けば、何十年も数学の研究を続け、気が付いてみれば すっかり心は数学を中心に構成されている自分に気づくだろう。 いろいろ有っても 結局は数学を進めたい、 数学を思っていたいと感じてしまう。 

オリンピックの種目は非常に多種多様で驚かされる。 国の頂点や世界の頂点に立つような方々は 尋常ではない志を立て修練してその域に達していると考えられる。 志で様々な人生、道が定められていく。 人間は志、環境、職業でどんどん作られていく現実に目を向けて、表題の一回答としたい。

 

                                   以 上

 

2024.10.19.11:20 空き時間が少しできた。そこで 一気に纏めた。

2024.10.19.12:45 この趣旨は感銘である。そのとおりである。

2024.10.19.14:45

2024.10.19.18:50 良い、次の声明もできた。

2024.10.19.21:52 良い。

2024.10.20.5:00 良い、完成できる。珍しく風が吹いている。季節の変化を感じさせる。

2024.10.20.5:44 良い、完成、公表。

追記:

再生核研究所声明 771(2024.8.31) 人間とは何者か、人生とは何か、人生如何に生きるべきか

 

人間のいろいろな問いや疑念に対して、それらの回答には、ゼロ除算の解答1/0=0/0=0のように 捉え方に対する発想の転換が大事である。もちろん、解答には意味があり、ある効果が無ければ回答とは言えない。

自分達である、人間、人間とは何者かと問うとき、大事なことは、 我々が何者かによって作られ、 基本的な状況は全て定められているという事実である。 人間は食し、生きたいと思い、望まないが消えて行くようにできている。そこで人間とは死すべきものという語源が存在する程である。 性別、基本的な形体、性格まで多くは定められている。 そこで 人間とは作られたものである と考えたい。 何一つさえ我々の希望は受け入れられなかった、何ひとつ問われなかった。それ故に、如何に生きようとしても、 人間は作られたように生きざるを得ない。人生は創造者の意図のように生きざるを得ない。それ故に、我々は食し、食を探し、心地よいようにして 活動することになる。それが人生の基本であり、人生の在りようである。 我々人間にはある程度の自由意思があり、行動に意思の働く範囲で自由度がある。 原理は 好きなように生きる  事である。 それが人間の創造されたものの意思である と考えられる。

そのための自由意思である。

人生、如何に行くべきか。それは簡単であった。

好きなように生きれば良いということである。 好きなようにとは 自分の心の問題であるから、しっかり自分の心に問うて行く事が大事である。これは簡単の様であるが実際には難しそうである。

未だ夜明け前の現実を見て見よ。

現在世界を暗くしているプーチン大統領、あれ何やっているの。 まるで、自分で自分を傷つけ、祖国を混乱に陥れているようではないだろうか。

人が好き勝手に生きれば 世に混乱を生じると考えがちだが それは違うと考える。 人間は真智を愛し、感動し、共感、共鳴をしたいと考えるだろうからである。 念のため、再生核研究所声明第1で、美しい社会を作るために 鍵となる基本的な心得として 公正の原則 を掲げた。全くの当たり前のことである。

人の生きるは 真智への愛にある。 真智とは 我々を作られたものの意志 の事である。 我々は良い社会の中で、 好きなように生きれば良い。もちろん好きとは自分の心の問題であるから、自分の心と環境の中で好きなように生きれば良い。

それ故に状況や環境の中で 我はどのようにしたいかと問うて行く事になる。 それが人生の在りようである。そのように生きれば良い。

以上のように表現すると平凡に感じられるかも知れない。しかし、実は本当は重大なことを述べている。世界観の変更であり、新世界が見えている。しかしながらそれを率直に表現すれば 地動説をとなえたような 世の混乱が生じるだろう。 言及は今の時代ではできない。 ゼロ除算1/0=0/0=0の理解ができないような世相では。 ゼロ除算をしっかり理解して、夜明けを迎えて 自ら新世界を見て欲しい。 大事なことは 自分で納得することである。 簡単に 単に教えられるようなものではない。

 

                                  以 上

 

2024.8.30.21:07 虫の音、休憩して居たら構想が独りでに湧いたので一気に纏めた。 数学の構想が相当できて1段落したら。

2025.8.30.22:20 虫の音。良い、できている。

2024.8.31.5:46 良い完成できる。雨やんでいる。小鳥のさえずり:

 

それは単に数学の基本問題ばかりではなく、永遠とは何か、世界とは何か、人生とは何かを暗示させてくれるだろう。世界の平和問題など 当たり前になってしまう。声明771. 2024.8.30.21:35

 

そんなの何が楽しいの? 

分母が零の時、それは意味が無いと、アリストテレス以来 2400年、現在でも世界の常識になっている。 天才たちもそう考えて来た。ところが図は、分母が零の時にきちんと意味を有することを、示している。しかもそれは、 真っ直ぐに立った電柱の勾配がゼロ、 y軸の勾配がゼロであることを述べている。高校生以上の方なら、驚嘆、それは何だとなるだろう。 あれ数学可笑しいとなるだろう。図の式は1781年和算家によって発見されていて、1985年奥村氏によって注目され、更に美しい結果が得られていた。 書籍整理中に偶然発見された。

 現代数学の基本的な欠陥と述べている。

2024.8.26.6;46

2024.8.26.11:55 陽が出て来る。

2024.8.26.21:00

viXra:2408.0101 submitted on 2024-08-25 21:29:49 ,

A Problem of Seiyo Sampo Revisited with 1/0=0

No. 1314:  前半の部分を纏めて置いた。 和算の結果そんなに自明でなく、深い。そこにゼロ除算算法の結果が当たり前のように現れて居た。

雷 なり始める。2024.8.25.14:48

2024.8.31.6:18 良い、完成、公表。

2024.9.9.5:24 確認、結構な雨。