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空の自転車

交通事故に遭遇しPTSDを発症して15年…思えば事故に遭う前から自転車が大好きで周りからは「かっ飛び」と呼ばれていた。それは自転車を走行するかつての私につけられたあだ名。
命の重みを体感したからこそ、伝えたい。自転車を通じて可能性はあるって事を!




おはようございます。昇華です。

昨日、今日はとっても気持ちのよい晴天が続いていますね。
このような晴れやかな日は自転車に乗りサイクリングをしたいものです。
けれど、家族の反対により今は自転車に乗ることができません。

昨日のお話になります。
家族3人で夕食をしていました。
ニュースの天気予報で、金曜日は台風の影響で雨と聞きました。
私はその日、かかりつけの精神科へもし晴れであれば、自転車に乗り向かおうと決めていました。
前日の木曜日は、週刊誌を購入するため、最寄りのコンビニへ向かおうと、思っていました。
その事を口にした私の言葉を聞いた父は、



「無謀だ。自転車の鍵を取り上げるぞ」



そう、言っていました。



家族からは、



ODをすればODをするな、と言われ


リストカットをすればリストカットをするな、と言われ


夜中に歌えば夜中に歌うな、と言われ、


音楽を大きめの音で聴けばボリュームを下げろ、と言われ、



そう注意されてからは、全く、していません。

ODもリストカットも歌も音楽も

当時の私にとっては唯一の心の叫びを表現するものであり、その全てを断ってからは
周りにしてみれば、していないことは当たり前になってゆき、
封印している私にしてみれば、ストレスの吐け口がなく、蓄積される心の疲れは徐々に心身症へと結びつき、やがてリミッターは切れます。

そして、外に出るきっかけとなってくれている自転車。
自転車に乗るようになってからは、きらきらと輝かしい日々です。

けれど。



自転車の鍵を取り上げる



そう、言われて私の中では抑え込んでいた怒りが、込み上げました。

これ以上、私に我慢を求めるのか
言いつけ、守ってきて
薬に溺れずとも手首を切らずとも歌を歌わずとも音楽を聴かずとも
それらを断ち切り、やっと私らしさが出せる自転車さえ、我慢をしろと…


家族は自転車に乗る私に対して「無謀」だと常々口にします。

無謀の意味をきちんと理解していない私は、昨夜ネットワークで意味を調べました。
その時、私は家族にどのように思われているのかを、改め理解しました。



無謀(むぼう)
よく考えずに行うこと。結果も考えず乱暴に物事を行うこと。



確かに、土曜日の件については計画性はありませんでした。
しかし、軽はずみでも考えなしでも生半可な気持ちで挑んだわけでも決してありません。
結果的に無事に帰宅しても尚、このような意味の込められている言葉を何度も家族二人から言われているのかと思うと
悔しくてたまりません。

その上、地元での走行も許されず。

現在、家の自室に引きこもるようになった私は、自暴自棄です。

足をマッサージして体を休ませ準備を整え、さあ、金曜日は晴れたら自転車に乗るぞ!
と、爛々とした気持ちで意気込んでいたものの、父の発言で覆り、

本を読んでも、絵を描いても、音楽を聴いても、ゲームをしても、
空しいだけで。

自宅に居れば居るほど日に日に気持ちは滅入り、食欲不振、不眠に陥り始め。

自転車まで取り上げられてしまったら、私は立ち直れるだろうか。
きっと、どん底を見る。

私自身でさえ交通事故に遭遇してからは自転車を拒んでいました。
けれど乗れるようになった今の私にしてみたら、楽しくて仕方がないんです。

大好きなんだ。楽しいんだ。
トラウマの元でしかなかった自転車に対してそう思えるのがしょうもないくらい嬉しいんだ。


…長々と愚痴を吐いてしまい、すみません。
ここに私の気持ちを書き記してゆく中で、気持ちの整理が少し、ついた気がします。

家族二人に私の気持ちを素直にお話してみようと思います。
その上で、二人の気持ちも聞きたいです。

今まで素直に話してはいませんでしたからね…。
自転車の鍵を取り上げられぬよう、自転車に乗れなくなれば私自身どのようになってしまうのかを、ましてや現段階で崩れ始めている精神状態を持ち直す意味も込めて


話そうと思います。