気がつけば6月である。

未だに5日間連続ライブの余韻を少々感じてはいるが、それは碌に現場に行っていないせいだろう。

ほとんどに行っている時もそうでないときも思う、ライブに行かない者にとってはそのライブは存在しないに等しい、と。

また行きたくなれば行くし、全く行かないような未来は見えていない。

 

そんなものはとにかく、「Halfway」は良い作品であった、という話を書いておきたい。

ライブ前からライブ本番、そのあとに至るまで、ひとさいとしてはこれまでで随一と言っていいほどに、一つのものを、ヤマを作り上げる意思を感じたし、作り上げられもした、僕はその取り組みとライブ本番を見て、そんな感想を抱いた、という話を書いておきたい。

言うまでもないが個人的な感想だ。

 

5日間連続平日開催、動員500人突破でO-EASTワンマン実施。

それに向けて大変だ大変だと客を煽り、或いは何かの人参を付け、目標を突破しようとすることはできる。

 

ただ、後者は運営の掲げた自主目標でそんなやり方もしないだろう。外部の掲げた目標、わかりやすく言えばたとえば何か大きなライブのかかった動員が重要なライブ、そんなものですらそのようなやり方をほとんどしないこの運営が、そんなことをするはずもない。

また、前者も、そんな安易な方法は彼女たちは取らなかった。途中、不安に駆られて配信中に泣き出してしまうような者もいたが、総じてその涙、脅え、そんなものをもって集客を伸ばそうとはしなかった。

500人来ないと大変だ、そう来場を強いる意味での、「なんで来ないんだ」、そんな言い方はしなかった。

その点はまず良かったと思う。

正直言うと、嫌いにならずに済んだ。

 

本番に向け、春休み明けの彼女たちは「公約」を掲げた。

・もっちゃん:TikTokライブ・ツイキャス毎日配信

・れたん:TikTok毎日投稿(100日後にムキムキになるアイドル)

・みーあん:TikTok毎日投稿(カラオケ動画)

・たかすか:絵日記毎日投稿(たかすかの最強アイドルの道)

・みねちゃん:毎日合計2時間配信(SNSを楽しむ)

 

もちとみねちゃんについては通常営業とあまり変わらないが、共に集客に結び付ける最適解が配信だと判断してのことだろう。

もちは常々、TikTokでは緊張して明るく楽しくハイテンション、外行きの顔をし、ツイキャスでは一息ついてマイペースにまったりと配信する。そして手ごたえを感じていたのは自らがそれなりに客層を積み上げてきて強みもあり、過去に客を現場に引っ張ってこれた実績もあるTikTokのほうだ。

1か月継続していく上での自らのコンディション調整、バランス等もあり、2配信を半々という形になったのであろう。

新しい客にツイキャスも見てもらって、より深く自分を知ってもらう狙いもあったかもしれない。

みねちゃんはもとよりTikTokライブは自分には合わないと公言していた。その分、何もかもを曝け出しながら自らのファンと心を通わせ、新規も量産するツイキャスは大得意。ここで勝負しようということだったのだろう。

 

意外なほどに自らの強みで真っ向勝負したのはみーあんだ。

TikTokではお色気コスプレお姉さん(?)としてはひとさいになる前からずっと投稿していたが、アイドルとしてもう一つの大きな武器である歌声は全く披露することもなかった。

ライブでも彼女の歌声は折り紙付きだが、スポットライトが当たる機会もそうはなく。しかしたまにクローズアップされては、参加した客には激賞されていた。その歌声をいよいよネットの海にも放ち、それをもってライブに来させんとしたわけである。

アニソンからお得意の「林檎ちゃん」、その他に至るまで多種多様なみーあんを展開していった。

今後も彼女が消さなければ見続けられるであろう。そんな面を見たことがない、という方は是非一度視聴されたい。

 

意表を突いた企画なのはたかすかとれたんだ。

20歳を過ぎた女の子の絵日記、という発想はそれこそ誰もしないであろう。

20歳を過ぎたたかすかはおよそそれを感じさせない画風(好意的に言っているが褒めているとはまあ取られまい、けなすつもりはないしどちらかと言えば褒めているのだが)と、たかすかのキャラからは純粋が過ぎるような(それは同時に本当のたかすからしさが随所に出ている)素朴な文章でつづられる日記、それを1か月間展開してみせた。

けっこう、手間だったろう。

本当に自分でジャポニカ学習帳、絵日記ノートに書いていた。ライブ本番のたかすか企画の日にはそれが会場に置かれ、公開されていた。

何か心動かされるのも数日分、あった気がする。

 

れたんは何故か筋トレを始めた。

何故かTikTokの自分のアカウントではなく、新規アカウントで。

本番までは1ヶ月なのに、何故か100日連続と銘打って。実際、「Halfway」後も一人、筋トレを続けている。

何か集客につながったのかはわからない。心なしか彼女のパフォーマンスは良くなっている気がする。たまに話すと、本人が一番、その効果をありありと感じているようだ。はて、何に向けての公約であったっけ。

実に彼女らしい。それを彼女らしいと思えて、可愛いと思える人が、彼女の客になるのであろう。

 

それぞれがそれぞれのやり方で、1ヶ月をしっかりやりきった。

公約を破ると自腹公演、というまたよくわからないジョークか何か、そんなものもあった。特に誰も破らなかった。

淡々とやるしかないみーあんとれたんは淡々とやり切った。れたんはまだまだ全行程の半分程度しか終わっていない。夏には見違えるように筋肉質になった彼女がきっと見られるのだろう。

 

それぞれをすべてくまなく見ていたわけでもなく、ともすればそんなに真面目に見ていなかった僕が言えることもそこまではないのだが、しかしそれぞれのやり方でしっかりと、ライブ本番に向けて作り上げていっていた気がする。

もっちゃんが来場を強要するわけではなく、しかし、とにかく素晴らしいものを作り上げるから見ないと損だ、私が客だったら絶対に見に行きたい、何故見に来ないの、そう煽っていたことを素晴らしいと思ったのは、前の記事の通りだ。

いつだって、楽しいから来てよと誘ってほしい。僕たちはただ楽しむために現場に行くのだ。

 

春休みで一度止まり、そこから猛然と大一番に向けて加速し、ライブを練り、自分たちを鍛え、客に向けてアピールしながら、自分たちも客も盛り上げていった。

その中で語れる者は、大一番にかける想い、仕掛けた創意工夫、そんなものを絶対に楽しくしてみせるからと笑いながら語っていった。

そうやって、この大一番はただの動員条件がかかったライブではない、自分たちの渾身の作品なのだと示していった。

そのように客のワクワク感を醸成し、5日間を本当に楽しみにさせた、そんな事前の作り上げ方がまず僕は嬉しかった。

 

本番。

 

「初日(5/13(月))はれい担当。過去1年の生誕衣装を交換して着用、1曲は曲割りも変える。

2日目(5/14(火))はたかすか担当。衣装は初代、カバー曲を投票で決定し披露する。

3日目(5/15(水))はみーあん担当。お得意のコスプレを全メンバーに着せる。

4日目(5/16(木))はもっちゃん担当。衣装は2代目、ノンストップライブを趣向を凝らして行う。

最終日(5/17(金))はみねちゃん担当。衣装はライブ中がTシャツ、特典会は2ndワンマン限定衣装で、全曲メドレーにて披露する。」

 

前記事からそのまま引用したが、これ以上でも以下でもない5日間だった。

毎日、サインやいろいろな書き込みをしたゴムボールを1人1球ずつ、投げ込んでいた。まあ、そのくらいか。

 

全く個人的な感想を書き記す。

この情熱の日々を一緒に過ごしているならきっと冷静に全体を見渡しての感想など書けもしないだろう、そんなこともないか、僕は単に書けないだけだ。

僕は輪をかけて書けない。その書けない事情は別に詳述する価値もない。

 

初日、生誕祭衣装交換。生誕祭衣装はその子の願いをかなえるための衣装だから、交換は本来は好かないのだが、もちが緑色を着ていた、それであの頃の、ただしifの世界のもちが生まれた。

別に緑色担当と名乗っていたわけではないがあのころのもちは緑色だった。名乗っていたわけではないから、それだけが理由でもないが、とにかく生誕衣装などあろうはずもなかった。幸せにアイドルらしいアイドルの生誕祭をした、並行世界のもちづきさん。

れたんはいかにもライブアイドルらしいアイドルだ。どこかずれていて、一生懸命で、つかみどころがなくて憎めない、そんなアイドルだ。

 

2日目は最初にデビューライブを録画した、そんなに画質の良くない動画が始めに流され、そのデビューライブのセットリストを綺麗になぞって、成長を通り一遍見せた。

すべてこの目で見たから知っている。ある程度感慨深くもなったし、そんなに感慨深くもならなかった。様々なことは思いながらも、もちがひとさいになってよかったと思った。

たかすかは何故かこの地平線に迷い込んだメジャーリーガーが、なにかずれながらもがきながら看板を背負ってアイドルになっていく、そんな物語を日々描いていくアイドルだ。

 

そのあとの突然ヒートアップしたフロアこそがライブアイドルのフロアと信じて疑わないので、翌日に出されたお触書には、僕と彼女たちのと言えばいいか、運営のと言えばいいか、描くライブのフロア像が決定的に違うことを、改めて強く思い知らされた。

 

3日目はみんな綺麗な格好をしていたし、みーあんのプロミスザスターはみーあんの長い歌声のスランプを潜り抜けた後も、やっぱりここでは圧倒的な存在感があったし、そんな武器をいくつも持ちながら持て余しながらそれでも不器用にタフにやり続けるのがみーあんだと思い知らされた。

みーあんにはきっと百八つくらい武器があるので、その一つでもいつかトリガーになって爆発すればいい、そんなことがなければ嘘なくらいの苦労は重ねて、それでも明日を掴もうともがき続けているアイドルだ。

 

4日目がやはりこの5日間の嚆矢だった。もちとはまったくいろんな話をして、…いろんな話をしたが、その話は書くまい。

君が何を言おうとこちらは真剣勝負の構えだった。じっと見続けるノンストップライブは極上の景色だった。

みねちゃんと2人で踊るもちを見て、まひもちを思い出さぬオールドファンはいますまい。たとえあれほど手の合う相手ではなかったとしても、そのように2人で踊れる人がここにもいることが嬉しかった。

最後の方、ふと、れたんを見ると、とても儚い顔をしていた。一杯一杯だったのだろう。

それでも誰一人として明確にスローダウンすることもなく、このノンストップライブをやりきっていた。彼女たちなりに精一杯壇上に向き合ってきた2年少々、その証左であろうと思えた。

もっちゃんはあまりにステージに愚直なアイドルだ。怖いくらいに愚直なアイドルだ。客観的に見ればもう少し何か器用でも良いと思う。そんな人だからここまでついてきたのだと思う。だからこんな面倒な客が来てしまったのか。

 

5日目、いうなればパリダカ(とうの昔にダカールラリーか)の最終日、ビクトリーランか、まあそのような呑気なものではないが、軽快にそれぞれの曲から短く切り取ったノンストップメドレーリレーが展開された。短く終わったので、あとはこの日の企画者、みねちゃんの気持ちの良いように数曲をつけ足して、終えていた。

皆、疲れ切って気持ちがよさそうだった。

みねちゃんは何かと苦労をし過ぎていて、自らをすり減らしすぎている。それでもすり減らした分で人を寄せ付ける。でも、みねちゃんが気楽でにこにこしているような日々が続けばと思う。それで皆と一緒に幸せでいるようなアイドルにもっともっとなってほしい。

 

事前の目論見通り、5つの違う面を出していったひとさいだった。ひとさいの極上のショーケースだった。

5日間でおよそ4時間超のライブ。ワンマンと考えれば相当贅沢な時間。贅沢なひとさいの、メンバー、運営、関わる人の本気が詰まった真剣勝負。

5日間のうちどこかでも見た人に、どこかが刺さっていればいい。そんな願いもかけられた5日間。

 

その翌日がわざわざご丁寧に、結果を発表するライブだった。

メンバーがどうか目標に届いていればいいと、目標に届いているかもと、どのくらい思っていたものだろう。

僕らからすれば、ともすればいわゆる「予告された殺人の記録」というやつだ。防げたかもしれないが、防げなかった、あるいは、防がなかった。

僕ら?少なくとも僕はそう思っていた。数はなんとなくふんわりと把握していた。届かないであろうと思っていた。

 

解放されたような、少しは重苦しいような、気にしなければ別にいつもと変わらぬようなライブが展開され、あっという間に結果発表の時間になり、緊張の面持ちのメンバーが横にはけ、そして壇上では結果発表の動画が淡々と流された。

 

動員目標500名、実績470名。目標達成ならず。

 

そして淡々と、7月のフリーライブ、ファッションブランドとコラボした東名阪ライブの発表が行われた。いよいよ大衆向けに舵を切るのか、いや、そんなものではない、いくつかのライブアイドルとコラボした実績のあるところだ。

どうにしろ、達成ならず、残念、と放り投げたわけではなく、次へのレールが敷かれたわけである。

僕は次へのレールが整備されていたのでそれで満足だった。

 

意外なほど、肉薄したな、という印象だった。

個人的に思っていた勝敗ラインからすれば、大勝だった。

負けは負けだった。

壇上に戻った彼女たちは一様に悔しさを浮かべていた。

 

れたんが泣きじゃくっていた。

メンバーみんなが頑張っていたの知ってるから、届かなかったのが悔しい、と。

れたんはいつでも人の事ばかり。

 

ふわっと特典会をしていたら、いつの間にか最後になってしまい、何かよくわからぬことを動画で言われ、なんだかよくわからぬ感じでこの5日間と1日を振り返っていた。

平和に過去を今を語った日々でもあった。好ましい形ではないかもしれないが、むき出しの望月さあやを垣間見た日々でもあった。そんな形でむき出しにさせるな。何度でもひどく怒られそうだ。

 

プレイヤーを集めて、また打ち上げを行った。最後の方、あまり記憶はない。酔っぱらって、またしょうもないことばかり言っていたのであろう。

 

「Halfway」は彼女たちの作り上げる意思を感じた、ヤマを一つ作って物語を積み上げた、未来につながる道も眼前に示した、実によくできた作品であった。

大団円でなくても、その先を示して見せた。運営がしっかり仕事をした結果だろう。

 

予感するその先は、必ずしも僕の理想通りにはならない。

元々ひとさいが始まる前から、僕の好みにハマるものではない、そんなことは配信を通じてたしか、もちとも言っていたはずだった。

 

ならば僕の知らぬ世界を示してみせろ。

僕のつまらぬ常識、見識など超越してみせろ。

君たちが確信をもって描いて、僕を驚嘆させてみせろ。

真にひとさいに誇りを持たせてみせろ。

何処か想像も出来ぬ、素晴らしい世界へ連れて行ってみせろ。

何処へ連れて行くのだ。

何処へ。

 

悪いがちっとやそっとじゃ、驚きもしない。

そんな僕に新世界を突き付けてみせろ。

 

それは挑戦状などではない、ただの祈り、願いだ。

僕だって旅の終わりなのだ。凡百のものをつまらなく見て、それで終わりたくない。

最後に満足して終えたい。完璧に仕舞ってみせたい。誇れるものを、人に手放しで勧められるくらいの作品を、見て終わりとしたい。

そう、祈っている。

絶望などしちゃいない。何も絶望などしちゃいない。何かを認めたくないだけかもしれない、意固地になっているだけかもしれない。

それでも俺を幸せにしろよ望月さあや。

 

どこでも行ける きっと行ける

赤から黄色 白から黒へ

願いよかなえ いつの日か

そうなるように生きてゆけ

僕は僕に 君は君に

拝みたおして 笑えりゃいい

(ねがい/B'z)