つまりは題名をパクっているのである。ただの気分でパクっているのである。

『優雅で感傷的な日本野球』、高橋源一郎氏の名著。

別にそれにならって、失われた望月さあやを、望月さあやについて書かれた文章を集めることで見つけ出すわけでもないし、望月さあやは特に失われてもいないし、図書館に行っても望月さあやについて書かれた文章はおそらくほとんどない。

だいいち、僕は『優雅で感傷的な日本野球』を読んだこともないのだ。ふとこのタイトルが浮かんで衝動買いしてこれから読むので許して。

 

ともすると、望月さあやと連呼したいだけなのかもしれない。

テレビをつけると高校野球が映し出される。灼熱の甲子園。クーリングタイムで何が冷えるというのか、しかし熱波にさらされた中で10分間、よく冷房の効いた空間に身を投げて、よく冷えた飲み物を口に含めば、それは極楽浄土へと還る如きであるし、命を救われるような気分にはなる。

灼熱のワンマンは終わりを告げた。それでもひとさいの夏は終わらない。望月さあやのバースデーライブが終わるまでひとさいの夏は終わらない、それは昨年も僕が提唱している、もはや事実であるが、今年はどうやられいちゃんとみーあんの水着撮影会までは終わらなそうだ。まだまだ灼熱の夏は終わらない。さらに回転数を増して、テンションを上げて、熱く熱く素晴らしい勢いで過ぎ去っていく。

 

ちなみに何を書くかなんて決まっていないし、君がここから先を読み続けて得るものはいつにも増して一切存在しない。引き返すなら今だ。

僕は忠告した。されば続けよう。

 

#38計画、ロールアウト。

もっちゃんがツイッター(イーロン、君はふざけているのかい)でのフォロワー数を、自らの誕生日である9月9日までに3,800まで伸ばしたい(宣言時から約90人プラス)、と主張して始まったキャンペーン。

開始から30分超という冗談のような速さで目標は達成され、その後も伸び続ける数は現在4,400超。とあるヲタクの頑張りと奇跡により追い風がうなりを上げて吹き続けているとはいっても、それにしても素晴らしいこの結果。

望月さあやにまた春が来ている。夏だが。もっちゃんは夏は大嫌いだが。もっちゃんにとっては日本の四季のうち冬以外は夏なのだが。冬になると喜び庭駆け回る。もっちゃんは犬か。ペットは犬だが。望月家の愛犬、もっちゃんが溺愛する、むぅちゃん。

 

望月さあやに春が来ている。ずっと来続けている。

O-EASTでのワンマン。そもそも埋まっていない、招待制度もなければ実質販売数は○○程度、どんな現実があろうとも、もっちゃんがこの大箱でワンマンを行った事実は揺るがないのであり、そしてもっちゃんはその事実をあまりに喜んで、感動に打ち震えていた。打ち震えていたかどうかは知らん。ただ、とにかく喜んでいた。喜んでいたのだ。

ひとさいになれてよかった、そんな話を聞くことがここ最近、多い気がする。アイドル経験者メンバーは三者三様でみな、おそらくこれまでのアイドル人生で一番良い時を過ごしているのだが、もっちゃんもその喜びを十二分に感じながら日々を過ごしているようだ。

 

ひとさいの中ではもっちゃんは歌とダンスは大得意だった。本人から言わせれば自分はど下手、まだまだ何もかも足りない、努力も足りない、盛り上がりが足りない(甲子園を見ていて引きずられているだけでもっちゃんが盛り上がりが足りないなどと言った事実はない)、というところだろうが。パフォーマンスではしっかりリーダーらしく、背中と言葉でひとさいを引っ張り続けている。

開始当初はパフォーマンスとその中でのリーダーとしての在り方、少しは相談を受けた、というかちょっと話を聞いた程度だが、そんなこともあったわけだが、最近は客として見ても明確にそのものの質も意識も上がり、ライブアイドルとして恥ずかしくないくらいの強さを得て、もっちゃんとしても、自分自身にもひとさい全体にも少しは自信も持てているような気がする。

 

SNSではずっと悩んでいた。今も悩んでいる。

ひとさいは当初からSNSに重きを置いてきた。YouTubeの公式チャンネル、TikTokの公式アカウントも早々に整備した。機能しているかどうかは知らない。運営が元々そういうものを得意としてきた、そういうところで実績があったからだろう、からだろうというものではなく周知の事実だ。

もっちゃんはひとさい結成当初からSNSについてはメンバー内で一番フォロワー数が少なかった。今でも少ない。風が吹いて、その風にうまく乗って、TikTokは今はそれなりのフォロワー数になっているが。

 

必然的に内部ではSNSでの貢献も求められていたようだ。しかしどうしたら貢献できるのか、フォロワーが伸びるのか、バズれるのか。もっちゃんにはわからない。僕にもわからない。わかる人はいるのか。バズった人もなぜバズったかなどわかるのか。バズった事実に対しての結果論的な分析を与えることはできても、そこから得られた方法論は現在バズっていない、明日を夢見る卵には価値のあるものなのだろうか。

匙を投げるな。賽を投げろ。運営も匙を投げるな。賽を投げろ。賽は投げられた。賽は投げられている。それでももっちゃんはSNSに取り組んでいくしかない。悩みぬいたからってアカウントを消すことはしない。バズり方がわからないからって投げだしたりもしない。賽は投げるが。投げ出したりもしていた時期もあったかもしれないが。涙を流した時期はあったかもしれない。多分あった。たくさんあった。SNSを辞めたくなったことはいくらでもあるだろう。ひとさいを辞めたくなった時だってあるだろう。誰だってそうだ。僕も会社を辞めたい。しかし金がない。会社は飯の種だ。そんな腐った僕ともっちゃんと一緒にするな。

 

かくして風は吹いた。その間に書くことがいろいろあるだろう。もっちゃんのSNSでの奮闘、悪戦苦闘、工夫、つかみ取った小さな成功、その積み重ね、その何倍もの身にならない結果、辛さ、涙、きっとあるのだろうが僕は知らない覚えていない、覚えていても書いても仕方がない、だから特に詳述もしない。試行錯誤が続いて風が吹いた。

風が吹いたと言っても、その風をつかまえたのはもっちゃん自身だ。ただの運だろう?運も実力のうちだ。僕は運も実力のうちというのは好きではないが、実力であろうとなかろうと運をつかまえるのは、強運は一種の才能、才能というよりは運をつかむのも運というか、つまり運をつかむことはどうしてもより強く輝いていく、売れていく、もっちゃんが追い求める「有名になる」という悲願の成就には必要なことであり、かくしてひとさいのもっちゃんは運を手にしているわけである。

そして今回の運をつかまえたのは紛れもなくもっちゃんがもっちゃんだったからで、運にも実力と縁遠いものからその実力あってこその運というものまで実に様々なものがあるわけだが、今回の運は、この風をつかまえたのは、紛れもなくもっちゃんの実力だ。

実力とは何か?歌か?ダンスか?トークか?ファンのメンタルケア力か?白兵戦の強さか?知ったことではない。

 

タイトルから遠く離れている。

#38計画 をタイトルにつけているのであれば、少しは望月さあやを広めるような、宣伝するような、思わず望月さあやをフォローしたくなるような内容にしろ。ごもっともだ。

望月さあやの宣伝についてはしかし僕はこれまでの当ブログでさんざんに書いてきた。それを読め。読め?何を偉そうに。

も!

もち!

もちづき!

もちづきが足りない!

 

背中と言葉でひとさいのライブを引っ張り続ける。ステージ上でのパフォーマンスはもっちゃんのプライドだ。常に明るく、元気に、自分についてきてくれるファンを照らし続けられるように。もっちゃんは太陽だ。太陽になるね、ひとさいになってからのもっちゃんから何度もその台詞を聞いている。

毎日ツイキャスで配信をしている。平均1回10分。とにかく続けること、どんなに体調不良でも落ち込んでいてもばたばたでも続けること、その努力をしている。毎日続けた先に何があるのか、何もないのかはわからない。

TikTokもムラはあるが続けている。16~17時に投稿するとバズりやすいのだとか。ツイッター(イーロン、君はふざけているのかい)、Instagram、Threads(一瞬で廃れたのですか、どうなのですか、そもそも流行った廃れたを感じるほど僕はやっていない、ただもっちゃんをはじめとするひとさいさんの投稿を見ているのみなので、さっぱりわからない)も取り組んでいる。フィルムカメラで撮った写真を載せるだけのアカウントもInstagramで作った。そこでどれだけ自らを知ってくれる人が増えるのか、フォロワーが増えるのか、フィルム写真でバズれるのか、どこまで増やそうとバズろうとしているのか、そりゃ増えたりバズったりするに越したことはないが、どこまでそれをしようとしているのかはわからない。

 

望月さあや【ひとさい】(@saaya_mochizuki)―公式Twitter

望月さあや(@saaya_mochizuki)―公式Instagram

ふぃるもち(@film0chi)―公式Instagram

望月さあや【ひとさい】(@saaya_mochizuki)―ツイキャス

 

Threadsはリンク見つからなかったので各自探してください。今は一番気張らず発信できるプラットフォームという位置づけのよう。

 

優雅で感傷的な望月さあや。

優雅ではない。感傷的ではあるかもしれないが、きっとたとえばみねちゃんのほうが感傷的だと思う。かつてを思えば優雅なのかもしれないが、優雅どころではない。戦っている。

 

わかるか、恐ろしいな、前の行を書いてからもう3週間も過ぎてしまったのだ。

甲子園なんてとうに終わっているだろう。

そしてもう、望月さあやの誕生日が来るのだ。

だから僕はこの記事を例年通りの、彼女の誕生日に寄せるものに趣旨替えをしようと思う。

#38計画も一瞬で当初目標をはるかに超える結果を得た後は立ち消えになったし、それでよかろう。

 

こうやって時々、望月さあやに関してのブログを書く。

だいたい、彼女の内面に勝手に入り込み、好き勝手に荒らし、まったく勝手に彼女の内面と僕が思っている、本当の彼女の内面とはまったくの別物かもしれないものを勝手に曝け出して、実に勝手に書く。

きっと本当は彼女はそんなこともしてほしくないのではないかなと、今更ながら思う。

 

もっちゃんは繊細で気にしいで、明確に外の世界と自分の世界を分け、それを大切にする人だ。

元気で無邪気で、なんていうイメージは前世の初期から見ていた人が抱いているもので、ひとさいからもっちゃんを見始めた人はそんなことは全く思っていないような気がする。

真面目でゲラで暑さに弱くそんなに身体が強くなく繊細でパフォーマンス馬鹿で…ひとさいから見ている人ほど、もっちゃんの姿を正確に捉えているかもしれない。

 

望月さあやをアイドルとして、ライブアイドルとして、毎回狂ったような頻度で見られる、そのことをただそれだけでひたすらに感謝を抱ける、その喜びに打ち震える時期はもう過ぎた。

正直、去年の今頃はまだそんなようだった気がする。僕らは望月さあやとまたそのようにして会う、生身の人間同士として会う、狂ったように会い続ける生活を取り戻す、そこまで2年以上もかかったし、その間は全く生で会うこともなかったから、そのような生活を取り戻した喜びというのもひとしおで、それに浸るだけでただ幸せだった期間が少なくともひとさいが始まってから1年は続いた気がする。

勿論今だって、その喜びは抱いているのだが、それだけで充足していた日々は終わった。

 

それでも狂ったように望月さあやに相対し、ライブを見て、様々な話をして、そんなようにして日々を過ごして飽きることもない。

他の様々な要因で、もうこんなところに通うのは嫌だ、と思うことがないわけでもない。逆に、幸せに浸ることがないわけでもない。

それでも結局は望月さあやに会うことを辞められない。依存症と言ってしまえばそれまでだ。

望月さあやしか僕にはいないのだ。それは思考停止かもしれない。惰性かもしれない。それでよい。そんなところに労力をかけたくない。最後でいい。最後がいい。

毎回結論は変わらない。ひとさいになってからは結局、望月さあやが最後なのだ、そんな話ばかりをする。僕にとっては最後にするに足る、十分な存在なのだから、やっとたどり着いた、満足できる存在なのだから仕方ない。

探せばほかにも満足できる存在はいるのだろう。これまでだっていたのだろう。もっちゃんで最後がいいと思うのと同様、僕は片山陽加で始まって終わるので良かったのではないか、とも思う。

 

誰よりも必死にライブに取り組み、パフォーマンスを磨き続け、それでいて吹けば飛ぶような自信しかなく、何かにつまづけばあっというまにその自信が手のひらから砂のようにこぼれて行き、そしておびえて震えている、もっちゃん。

彼女の取り組み、生きざまに惚れこんだ僕は、せめて彼女の晴れ舞台に通い続け、彼女を賞賛し続けることで、そんな彼女の自信になればよい、ほんの少しでも、その小さすぎる(のは身長だけにしてくれ)自信になれればそれでよい。そんなこともまた語ったことがある気がする。もっちゃんに出会ってからずっと言ってきたことだ。彼女には自信がなさすぎる。

なに、晴れ舞台を見たいから見ているだけで、もっちゃんのためになどといった大それた気持ちはないのだが。もっちゃんのためになどと思ったら終わりだと逆に思っている。ライブを見たい、その初期衝動以外のことでライブを見に行ったら終わりだと思うし、そのアイドルを好き嫌い、それ以外でその現場に通ったり通うのを辞めたりしたら終わりだと思っているが。

そんなことはどうでもよいが、そんなことももう語ったことがある気がする。

 

全ては同じことを何度も言い続ける、つまり老人の長ったらしい話だ。何度も同じ話題をループする。

それでも、誕生日寸前の配信で「1週間前から絶望して鬱になって、いやいつも絶望しているんですけれど」などと言ってしまうもっちゃんの小さな小さな自信に、ずっとなりたいし、なり続けていたい。

惚れこんだ人がこの世界で活動を続けていくための微かな動機に、ほんの少しだけの助けになれていたら、それは望外の幸せで。

そんなことすら究極的には別に良くて、ただ惚れこんだ人のパフォーマンスを見続けていたいだけで。

 

世界中が素敵だと感じたなら

あと一息ってとこさ

呆れるほど革命的なアティチュードで

きみを守り抜いてやる

(GRAPEVINE「Ub(You bet on it)」)

 

守り抜くも何もない。

僕にはできることは何もない。

ただ見たいから見るだけ、それだけなのだ。

真っ直ぐにアイドルに挑み続ける、いつかは故郷に名前が届くくらい有名になりたい、そんな人を見続けるだけなのだ。

もっともっと風よ吹け。天高く飛べ。それだけの運に恵まれる資格を持つくらいの取り組みをしっかりやっている人だ。

 

望月さあやさん、23歳のお誕生日、おめでとうございます。

おそらくなんだかんだ、この1年は良い年だった。それが比べ物にならないくらい、良い年になりますように。