何を書くわけでもないしまとまる気配もない。

何を書こうというのもない。

ただ、1つ足りない賽は投げられた、通称ひとさいのワンマンの前に何かを記そうという衝動だけで書いている、その事実があるだけで、(前)などと言っても(後)があるかどうかもわからない。

 

また夏がやってきてしまった。

アイドルにとって最も光り輝く季節かもしれない、夏が。

 

今年の夏はとても暑い。

大須夏まつりと神宮外苑花火大会への出演というずいぶんな傾奇者路線から1年、ひとさいの今年の夏は王道ライブアイドル路線へ進んでいる。

NATSUZOME、SPARK、TIF、@JAMといった、大型アイドルフェスに続けざまに出場している。アイドルらしい夏を迎えている。

それらに出られるくらい、ものすごく人気になったのかと言えば、それほどでもない、というのが正直なところであろうし、はたまた、そういうものに出ていてもそうおかしくはない、出るのか、ふーん、すごいね、そのくらいには現場での客も来るようになった気がする。

それらに出てはいるが、どれも参加1日あたり1ステージ15分、という最低ラインの待遇であることを考えれば、やはりまだ出ているだけ、ということであろう。大きくなくても、確かな1年間の進歩である。

それがどのような理由で参加できることになっていたとしても、ひとさいのトータルパッケージとして、それらに参加できるようになった、というのは明確な進歩だろう。

 

O-EASTでのワンマンをぶち上げた。キャパシティ、1,500人。都内でも比較的大型の、伝統のあるライブハウスだ。

分不相応。正直な感想としては、そんなところだろう。

分不相応な会場を、あらゆる手を駆使して無理やりにでも埋めていく、綺麗な言い方をすれば、大きな夢を見ていく、そんなものもまたライブアイドルの王道のやり方だ。

 

ひとさいはどんな手を使うか。

他の同レベルアイドルと比べれば、おそらく高めの設定のチケット代。そしてあまりに高額の設定で最前列を約束したり特典をつけたりする、そこまでの流行のやり方もせず、招待制度は入れたがそのためのチケット代もやや高く。

なびかない、なびいてもなびきすぎない姿勢は健在である。褒めてはいない。

 

O-EAST、ひとさい最初の対バンの地。

僕は見られなかった。どうしても外せない、これをさぼれば僕は首にでもなるかもしれない、仕事に熱意などない僕でもさすがにこの日は仕事を全うしたい、そんな仕事の日だった。

ほんの少し前のデビューワンマン@O-Nest、ほとんど満員御礼、その熱が嘘のような、うすら寒い客席だったと聞く。緊張感に押しつぶされた彼女たちは、ステージをやっとのことで終えると、涙を流す者もいたと聞く。

僕は見ていない。だからその日のリベンジという物語は共有はできない。共有はできないだけで十分に想像もつくし、そのストーリーに乗ることだってできるのだが。

 

みねちゃんにとっては、複雑で悲劇的な終わり方をした前世の、その終焉に絡む地だと聞く。

その話はもちろん、みねちゃんを見てきた者たちが語ってほしい。その日の涙を、悔しさを、その記憶を塗り替えるための日となるのがこのワンマンであろう。

やっとここにたどり着けた者、あの日の対バンのリベンジをしたい者。5人いれば5通りの物語があり、そしてその子に来る客、1人1人、その客とその子だけの、その客にとってのひとさいの物語がある。それはぜひ各々で語ってほしい。

 

もっちゃんにとっては、アイドル人生でもちろん断然大きな舞台でのワンマンだ。前世では到底到達したことのない舞台。そこにたどり着けただけでも、ひとさいに来た甲斐もあったというものだろう。

 

ワンマン当日の朝、いつも通りもっちゃんはツイキャスでの配信を行った。時間にしてたったの3分。明らかに様子の違う彼女がそこにいた。前日からツイッター(X?なにそれ)のリプもちゃんと見られていない、ワンマンが終わったら見るね、緊張してる、前物販、ちゃんと話せるかな…。

緊張に押しつぶされそうな彼女がそこにいた。

特段、不思議な話でもない。

もっちゃんは前から大舞台に際してはわかりやすく緊張する人だ。顔も引きつるし、しゃべりも怪しくなる。

 

先日のTIFに際しても、わかりやすく緊張していた。そして本番では、あまりに厳しい夏の暑さ、天高く上る太陽からの直射日光、そんなものにやられて、15分の出番、3曲だけの出演、その3曲目で意識朦朧、倒れそうになりながら、それでも周囲のサポートもあってパフォーマンスを終えると、手短にO-EASTワンマンの紹介をして去っていった。

やり切れたことは褒められるべきことと思う。後半は意地で立っていたのだろう。そして、特典会は前半戦を休み、雷雨中断となって後半戦は、座りながらではあるが復帰し、客の前に姿を見せていた。

 

悔しくてしょうがない様子だった。

昔からそうだ。身体が強いほうではないが、それがゆえに体調不良でのライブ欠席というのがない人ではないもっちゃんだが、欠席した時は人一倍悔しがる。そして、ごめんなさいと謝る。TIF後のツイートで「だいすき」と言っていたのは、メンバーと客への最大限の感謝表現だろう。昔から「だいすき」という言葉をもっちゃんはそのように使う。

ステージをしっかりと務め上げるのはもっちゃんのプライドなのだ。ステージでのパフォーマンスこそがもっちゃんのプライドなのだ。

 

ひとさいのワンマンの中では、もっちゃんが一番良い体調で臨めるのが今回だという気がする。

昨夏の1stはコロナ罹患後に体調を戻しきれないままであったし、2ndも直前に体調を崩していた気がする。今回も数日前のTIFがあって順調とも言えないだろうが、室内、O-EASTほどの広さ、楽屋もひとさいのみという環境であればおおよそ大丈夫だろう。

 

曰く、これまでの1年半とこれからの希望を見せたい、と。

ひとさいとしてはこれまでの1年半が特に出るものになろう。おそらく、今までのどのワンマンよりも気合、責任感、緊張感、かける想い、どれも突出したものとなろう。

もっちゃんにとっては、前世の分、アイドルではなかった期間の分、全てを惜しみなく出す舞台となろう。誰よりもパフォーマンスにプライドと責任感を持って臨む彼女の神髄がほとばしる舞台となるはずだ。

 

どのような未来が見られるのであろう。未来とは何であろう。

おそらく、喜ぶべき未来の予定の報告が行われるはずだ。その先に描く未来とは何であろう。

現場の集客、たくさん客に来てもらえるようになり、さらに大きな舞台へ、東京だけでなく全国各地へ行けるよう、それが典型的なライブアイドルの思想なのだとすれば、それだけに執着するひとさいではなかろうと、ここまでの軌跡を見ていて思うし、そうであってほしいと願う。

最近はそのような典型的、古典的なライブアイドルの思想に回帰する、というよりはそのような思想へと進んでいっている、今までで一番強くそのような思想を描いている、そんなようにも見える。

 

或いは、SNSへの固執(に見えるもの)も、SNSでも食べて行けるようにする、ライブアイドルの狭き世界に限らず食べて行けるようにする、というほどのものではなく、集客につなげていくということを最初から主眼に置いてやっていただけなのかもしれない。

事実、今時はSNSでの大当たり、というのが現場に集客する一番の近道になっているように思う。ひとさいがあまり良い待遇を得られなかった各種夏フェスでも、出番が多かったり企画コーナーに呼ばれていたりする中にはSNSで大当たりしたアイドルというのが多い。

 

そのような中で、壇上でのパフォーマンスが何になろう。歌、ダンス、少しでもうまく、少しでも強く、少しでも美しく、そのような小さな拘りと鍛錬の積み重ねが何になろう。

ライブアイドルとして売れる、という点では、まるで役に立たないものかもしれない。勿論、その先、この芸能界で食っていくことを考えるのなら、その末に備わる技量というものが全く役に立たない、ということもないだろうが。

 

ライブアイドルとして集客する、というのなら、ひとつは騒げるフロアを作る、というのもあるかもしれない。

ステージ上はBGM、その中で客席で完結する熱量を作り上げるのだ。そこで騒ぎたい、彼らが行くどのアイドルでもそれぞれに合ったやり方で大筋同様に盛り上がる、そんなライブの見方をしている者たちが多く来場しよう。

個人の趣味はあれど、そのような在り方を僕も否定するものでもない。

ひとさいはそのようなやり方はとらなそうだ。

 

どういう未来を描くのか、どういう未来が見えるのか。

どうすればより集客しより高みへ行けるのか、それは僕にはわからない。

僕がそれでもパフォーマンスに拘ってほしい、良いものを見たいというのはただの個人の趣味だ。そしてその点ですべてのライブアイドルの中でひとさいが飛び抜けているのか。そんなことはない。ひとさいにそれを求めるのもまた僕のただの趣味だ。

 

僕は望月さあやがそれを求めてくれるから、それに対して熱くなってくれる、魂をかけて取り組んでくれる人だから推している、だからそれを全うしてほしい、それだけの、個人の趣味の話だ。

そしてそれをひとさい全体に求めたい、それだけの話だ。

 

その観点で言えば、ただの感覚ではあるが、最近のひとさいのパフォーマンスには厚みが出てきた、とてもしっかりとしてきた、他のアイドルと比べてもそう見劣りはしない、鍵括弧つきの「ひとさい」としての色の出たパフォーマンスが出来るようになってきた、そう思う。

僕個人にとって未来が見えるというのなら、きっとそのパフォーマンスに対してさらなる自信、確信が得られる、そのようなことをさすのだと勝手に信じている。「ひとさい」である理由が示せる、そんなものを眼前に示してくれる、それを信じている。

 

また夏が来てしまった。

今年の夏はとても暑い。

その夏の暑さにほだされて、涙を流す権利が僕には、彼女たちにはある。