きっといくら時間があっても足りないはずだ。ある種の終活と言ってもいいだろう。
早崎友理、そしてもはや公然の秘密だから書いてしまうが、ならさきゅり、を終わらせるための、終活。
解散の際、誰もが満たされているとは限らないし、誰もが満たされていないとも限らない。
彼女は、きっと満たされていなかっただろう。しかしここを自分自身の最後と決めていた。
満たされるために、満たされて終えるために、きっとすべてを費やそう、すべての力を振り絞ろうと決意したのだろう。
「いつブンブンぶっ飛ぶの?」
「いつか、そういう試合ができるとき、いつか……」
(中略)
人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
(沢木耕太郎「クレイになれなかった男)
自らでクライマックスを作り上げなければ、そんなものは訪れない、と気づいたのだろう。早崎友理はならさきゅりは満たされない、燃え尽きることができない、そう気づいたのだろう。
しかし、ライブなどない、ならば。
寝ろ崎友理。寝ている暇などない。
OnlyFive(電子チェキ/動画)、ONE MEMORY(テレビ電話)、メール、ツイッター(カウントダウン写真掲載、その他)。やることがあまりにある。特にOnlyFiveは狂気の完成度、1枚仕上げるのにたっぷり1時間はかかるという。
をたくに対するもの以外もやっているようだ。関係者へのごあいさつなども。
1日が24時間では足りない。
不器用だから、こなせないくらいに詰め込んでしまう。死ぬ気になってこなしている。
すべて満足にこなせなければ、燃え尽きることなどできやしないのだ。
「なぜ、むなしいのか……」
「やるところまでやって、ぼくは何を得たのだろうかと、考えてしまったんです」
(山際淳司「ポール・ヴォルター」)
ひめキュンフルーツ缶のをたくだったと聞く。そこで見初められて、ソロアイドルをやっていたと聞く。
自分の音楽的ルーツたるロックで、最後にアイドルを東京でやる、そう勇んで、年齢も年齢だと、最後の勝負の場に選んだ、ASTROMATE。
年齢も経歴も重ねているだけある、支えていくリーダーシップ、実によくいろいろなことに気がつく、まるで運営とも思えるふるまい。
アイドルか、スタッフか。
お世辞にも手厚いとは言えなかった運営体制の中で、彼女が果たしたものも多かったように思う。感謝している。
望んだものは手に入れられただろうか。もちろんそうは思わない。歌もダンスも含めて愛せるメンバー、ロックと名乗るには十分な楽曲群、それらを携えて臨んだ地下アイドルシーン、イメージしていた戦果はあげられただろうか。きっとそういうことはないだろう。
何を得たのだろうか。
すべてが終わって、早崎友理でなくなった時、いったい何が残るのだろう。
胸いっぱいの、思い出か。
それで諦めきれるのだろうか。しかし諦めきると決めたのだ。
諦めきるために、何もかもを燃やし尽くすのだろう。燃やし尽くせばきっと一定の満足も得られよう、諦めもつこう。
かつて憧れたアイドルのように、なれているだろうか。
早崎友理は、アイドルになれただろうか。
肯定する者は何人もいる、確かに君はアイドルであった。その事実は確かに抱いて、アイドルを終えてほしい、そう願っているが。
たしかに彼女のファンであった者はこの世に残るのだ。その思いが残るのだ。
「私たちはね、相場が真っ赤に燃え上がる寸前にそれが見えるんですよ、そしてね、炎が巨きく天に届きそうに燃えさかる頃には、私らは真っ白に燃えつきた灰になっていなければだめなのです」
(沢木耕太郎「クレイになれなかった男」)
今、ライブがあれば、実に見事に輝き、真っ赤に燃え上がり、真っ白に燃え尽きる早崎友理が見られるのだろうなと嘆息する。
見られたは見られた。ただし画面越しで。
最後を見られる。ただし画面越しで。
これまでずっと生で見ていたものを突然画面越しで見ていても、最後に輝いていたかどうかの判断はつかない。つかない、こともないが、やはり生で見るのとは感覚が違う。
すべては仕方ない。2020年の世だ。
そんな中で、僕自身ももうこれで上がりでいいだろう、そう思ったのは前の記事にも書いたとおりだ。
そうであれば、このコロナの世で燃え尽きる。
元々灰しか残っていないようなものであるが、綺麗に燃えるものをすべて燃やし尽くしたい、そう思った。
それがゆえに、長い長い冗長な記事を書いた。こんなことしかできなかった、しかし僕というをたくは下手の横好きで、下らぬブログを書いてきた。
をたくとしては、そんなことしかできない。
僕は燃え尽きたか?
互いに、これでいいのだろうか、とばかり思う終末であろう。
それでももがいて、もがいて、もがいて、必死に燃え尽きようとする。
早崎友理が燃え尽きる。ならさきゅりが燃え尽きる。
彼女の5年が燃え尽きる。
自宅で見られるチケットが販売されている。
巻きあがる灼熱の炎は画面越しに見ることになる。きっと伝わってくるだろう。
向かい風にずっと吹かれ続けた5人、最後のライブ。
「いつか」はやってくるだろうか。いや、「いつか」を手繰り寄せられるだろうか。
「燃え尽きような、お互いに、笑」