「今回の発表、カミカゼさんはあんまり驚いてなかったね」

早崎さんにOnly Fiveで書かれたことである。

ツイッターのTLで、ほかのをたくが嘆いているのを見て、公式アカウントまで見に行って、それで知ったのかな。ASTROMATEの解散。

確かに驚いていなかった。前にも書いたとおり、事が起きるのであれば5月というのはわかっていた。

 

それにしても確かに全く驚いていなかった。そうか、来たか、ゆっくりその事実を反芻し、数日、すこしだけ寂しくなり、何もこんなご時世でねえ、とすこしだけ嘆き、それだけだった。

彼女たちにたいして興味もない、というような話でもない。曲がりなりにもデビュー戦から見てきた、真面目に見始めたのは2018年3月のデビューから1ヶ月少々経ってから、そう、転校少女、当時は転校少女歌撃団から、古森結衣、栗田恵美、そして松本香穂の3名が卒業してからだ、そのくらいからだが、それからは9割がたのライブは見てきたんじゃないだろうか。数えていないけれど。

 

卒業、解散、そういうことに対して、思えば取り乱した記憶がない。

槙田紗子が一時休止を発表した日も(ラストライブは終わった後に泣いていたけれど)、片山陽加が卒業を発表した日も(これは当時もうはーちゃんから遠く離れてしまっていたことが大きい気はする)、サンミニが解散を発表した日も、風間玲マライカが卒業を発表した日も(ラストライブ中はWALKで涙垂れ流してましたが)、なにかとても冷静だった気がする。さことサンミニの時はとにかく最後の日まで使える残金の計算と、さこの時は特にその時に販売していた面会を追加で購入するか、そればかり考えていた。

 

僕の性格もあり、もう今となっては取り乱す年齢でもない、というのもあるかもしれないけれど、なにかというとひとえに、昔の経験なんだろうな、と。

AKB48劇場。もう10年以上前になる。初代チームBが出来てからの何年か。

 

「それでは最後にみんなであいさつしましょう。せーの!」

「ちょっと待ったー!」

 

こうやって当時は卒業を宣言したものだった。

あくまで体感でしかないが、それなりの頻度でこれがあったように思う。実際、どうだったのだろう。僕だってその前はハロプロ程度しかアイドルを知らない中で、そんな頻度でメンバーが入れ替わり立ち替わりするなどなかったから、この劇場での出来事が強烈に頭に残っていて、だからこそそういう頻度だと勘違いをしてしまっているだけかもしれない。

とにかく、あまりの頻度だったから、当時は最後の挨拶まで何事もなく終わると、ふーっとひとつ、溜息をついたものだった。そのころの当ブログの記事を見ると、そんな記述もあるのではないか。昔々の記事はあまりに若書き過ぎて、自分では振り返りたくもないのだが。

 

特段に泣いたり取り乱したり、という覚えはなかったが、それでも目の前で繰り返される宣言に、なかなかに心を痛めていた気がする。

そして、ここからなのだろう、明日は我が身だと、いつ自らの推しが去って行ってもいいようにをたくをしていこうと思ったのは。

常に終わりを思い、想像するをたく生活。いつ、解散しても、卒業しても、はたまた自らが消えて行ってしまってもいいように、悔いのないように。何度となく、解散、卒業、それらが発表されるその時を想像し、なぞる。

 

解散、卒業、そういうものが終わると必ず聞くことにしている曲がある。

ミッシェル・ガン・エレファントの「エレクトリック・サーカス」。これも彼らのラストシングルだ。歌詞が全編にわたってまさしく終わりを告げるためのものであり、僕はそういう節目を終えると、好んで聞いている。

むしろ、この曲を聴き終えるまでを一つの節目としている。

そして、解散・卒業の類の発表がなされ、その日までを全速力で駆け抜け、その日を迎え、すべてが終わり、最後にこの曲を聴くまでの過程を、推しているアイドルに対し何度となく、ここ数年はそれこそ出会ったその日から何度となく想像し、なぞる。そんなことをずっと続けてきた。

いざその段を迎えた際に、後悔することのないように。まあ、完全に後悔しない、というのは無理な話なのだが。

 

「俺達に明日がないってこと

はじめからそんなのわかってたよ」

 

そういう想定と、をたくをやっていれば見えてくるものと。

その二つを重ね合わせれば、今回の報にも取り乱せというほうが無理だった。

 

現場のをたくとして若かったころの原風景が、僕をそんなようにした、してしまった、まあ、それだけの話だ。

 

「夜になってから花は咲く」