5月の雨はレンヌの野にとめどなく降る。

いったいどういう意味の暗号だったっけ。

これを初めて見たのは、というより人生で唯一それを見た機会だけれど、たぶん、親父の本棚にあった「がんばれタブチくん」。

 

5月の雨はとめどなく降る。

本日は雨天なり、本日は雨天なり。

 

そうか、槙田紗子・外伝はもう1本あったのか。
彼女の忠実な弟子がいる、という意味では、こちらこそ真の外伝だったのかもしれない。弟子と奇妙な友人の喜多陽子というサンミニ、忠実すぎる弟子の望月さあやがいるASTROMATE、二者を比較すればどっこいかもしれない。
 
寂しさに身体を晒しながら、とても静かに日々を過ごしている。
寂しさはあるのか?もはやないかもしれない。
何もかも終わったのだと。
あとは、コロナ後を思っている。旅行に、行くか、ヲタクやっていた時の原資を当てればどこまでも行けるだろうと。碌に10年間走らせてあげられなかった我が愛車も、ようやく出番が来るのかな、でも僕、旅先じゃ呑みたいしな。
 
雨が降っていた。
 
解散を告げられて、イベントももはや何もなくて、彼女たちに触れられる機会は電子チェキとたまの無料配信だけで。
こんな終わり方があるのだなと。
ほんのり感じる寂しさ以外は、恐ろしく落ち着いていて。こんな終わり方が、などと書きながら、もちろんそんな終わり方を元々想定もしていた。備えを全くしないには、をたくとして長く生き過ぎた。
 
雨が降っていた。
 
今までを思い返せばいいのか。すべてを思い返せばいいのか。
現場に通い始めた一つのポイント、2007年のAKB48チームBの創設から思い返せばいいのか。2001年、当時モーニング娘。の石川梨華がザ☆ピースにて「ほいっ!」とやったころから思い返せばいいのか。
そんな丁寧に思い返すことなどできやしない。もう、だいたいのことは忘れてしまった。
 
雨が降っていた。
 
ゆっくりと思い返すのにはこの時期はとても良いのかもしれない。
否が応でも自宅に縛り付けられる。現場に狂騒的に追いかけられていた、追いかけていた、日々からの10年以上ぶりの解放なのだ。かつ、こんなに何もできない、家にただいろと言われる時期など、人生の中できっとそうは来ないだろう。
そしてそれは永遠の解放への助走かもしれないのだ。
 
雨は降り続く。
 
ぼんやりとした寂しさはある。それは否定のしがたい事実だ。
地下アイドルのをたくはしかし、絶え間ない出会いと別れに身を晒しながら生きていくもので、特に今始まったものでもなく、しかし全力で出会いを喜び時間を享受し別れを惜しむ、そんなものだが。
 
「人々はいかにして…後世に語り継ぐ事が出来ようか」
優れたものは語り継ぐべきなのだ。それがをたくが行うべき唯一のことである気がする。
ASTROMATEは素晴らしいライブを行うグループだったのだ。そのことを叫び続ける。
何百組もアイドルグループを見ている。ひょっとしたら地下アイドルにとっては無意味かもしれない、パフォーマンスということに拘って見続けてきた自負がある。そのうえで、素晴らしいライブを行うグループだったと、叫び続ける。
 
雨は降り続く。
 
同じことが前の記事にも書いてあるだろう。
同じことを後の記事にも書くかもしれない。
同じことを何度も書くかもしれない。壊れた機械のように。
せめてそのような場を持つ僕だから、そのくらい、させてほしい。
 
雨はやんだ。