あけましておめでとうございます(遅)。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年の抱負、目標なんてあるわけもないのだが、「おだやかな2020」「自然体の2020」というところでどうだろう。

できればムカつかずに生きたい。同名の書は読んでいないが。

 

そして、行ける限りライブを見て、お気に入りの子とよく話す、そのためにお金も時間もたくさん使う、そんなやり方はあすとろさんが最後でもういいだろう、そう思っている。もういいだろう。もう。

そんな時にきっとまきたさんが何かアイドルを作ってしまったりするのだろうが。いや、もう少し待ってほしい。待たなくてもいいのか。いつ作られてもまあ結果は同じか。

 

風が吹けば桶屋が儲かる方式で、なぜかちょこっととある方面からの流入客が増えているあすとろさん。もちろん理由がそれだけでもなく、まあ、やはり現役のをたくというのは強いもんだなあと思うことしきり。

僕だって現役だろうが、現役と言い切ってしまうにはあまりに峠を過ぎており、それ以上に仲間はをたくを上がってしまった人か、今更人の趣味に乗らない人か、いや、僕のこの路線での趣味には乗らない人ばかりに昔馴染みがなっている、というのもあって、今後も一発の集客では多少の貢献もできようが、継続的に通う客の掘り起こし、という点では何もできそうにない。

 

女の子で女の子のアイドルに通うというのは、すごいな、と思う。純粋な感心。男の子(という年ではないが)で女の子のアイドルに通っている人としては、もちろんそんなのはただの趣味だから、えらいも何もないのだが、でもえらいな、とも思ってしまう。

そりゃあ、アイドルとしても悪い気はしないだろう。

そして純粋に好いていることを絶えず訴え続ける。こちらの点は、僕は元からそういうように育ってもいないし、年をとりさらに偏屈になってきた。ライブだけくり抜いてみても、あまりにレスってなにそれおいしいの?を貫きすぎている。おいしいものは変に理屈を並べず、おいしくいただくべきなのだ。

僕が僕であるがゆえにとにかく、さっぱり真似ができない。

をたくは貴重だが、アイドルを乗せられるをたくはさらに貴重である。

 

こっちでは風が吹かなければいい、風が吹いても気づかなければいい、そうも思う。

もちろん、良い風は吹いてほしい。アゲインストを受けすぎたグループだ、そう思っているのは過去記事のとおりである。

 

年末、あすとろさんがツイッターでのリプ企画を行っていた。

そこで早崎友理嬢より、「色々俯瞰的に見てくれて色々書き留めてくれて嬉しい限りです!ワンマンは一つの記事にして!笑 」(原文ママ)とリクエストをいただいた。

俯瞰的に見る目は年々衰えるし年々筆不精にもなり、あまり書き留めている気もしていないのだが、こう書かれてしまっては何かを残しておかないわけにはいくまい。

 

・ASTROMATE 1st ONEMAN LIVE「What color is the earth」@新宿 Ruido K4

 

しかし、いきなり言い訳なのだが、まあ中身を覚えていない。

ワンマンにはだいたいあるような、メンバー一人一人のコメント、もろくすっぽ覚えていない。もちづきが「みんなをずいぶん不安にさせてしまっていたけれど」なんてことを言ったような(そして彼女自身ももちろん、とてもとても不安だったろう)、まあ覚えているのはそのくらいだ。曲順も覚えていない。

人は忘れる生き物なのだ。メモを取らなくては覚えてもいないしブログなんて書けるわけもないよね、そんな話を少し前にほかの、今はドルヲタなのかラグビーのをたくなのかなんのをたくなのかわからない人とした覚えがあるが、本当につまりそういうことなのだ。

 

だからほんの2点ほど感想を書くにとどめたいと思う。

 

夏から年末まで、ありがたいことに月1で単独公演をやらせてもらっていた。そもそもの持ち曲が8曲(このワンマンで1曲増えて9曲になったわけだが)だから、すでに単独公演で十分に披露できており(つい先日の持ち時間40分対バンでも、9曲すべて披露出来ていた)、なおかつ各々の公演で生誕祭などの要素を織り交ぜ、その他の曲もやっていた。

つまり単独公演とどう差別化するのだろう、たとえばすべての曲を2度やるか、まあそれはあまりに単純だが楽しいっちゃ楽しいしまあいいか、単独公演よりしょうもなかったらいやだな、そんなことを心配していた。

 

開始前、すーっとスクリーンが下りてきたかと思うと、この日のために作られた、メンバー紹介のオープニング映像が流れた。誰もが意表を突かれたのだろう、お決まりの出囃子時のオイオイという掛け声がとぎれとぎれになっていた。

アイドルのワンマンでは当たり前の演出だが、ああ、そういうお金をかけてもらえるんだ、当たり前のことが当たり前になされるんだ、そんな感動はあった。当たり前の演出ゆえに懐かしさも覚えたのだが、そういう懐かしさを感じられること、それもまた幸福だった。

 

単独公演との差別化で言えば、あとは中間部のメンバー2人ずつに分かれてのワンハーフ程度での3曲続けだろう。早崎本田、結川望月、小鳥遊佐藤。かわるがわる、立て続けに行われた。

曲を立て続けにやるというのはこれも古来から行われている手法であり、かつそれだけで話題になる手法でもなく、特筆するものでもないかもしれないが、基本的には立て続けにできるというパフォーマンス力を前面に押し出し、客に冷える間を与えないやりかたであって、故にこのレベルでは確かな、特筆すべきと言ってもよいパフォーマンス力をもったあすとろさんには、とてもマッチするとは前々から思っていた。そういうものが新メンバーを含めてできるようになった、まあありふれたものを当たり前のようにできるようになった、前述の映像演出と同様ではあるのだが、これも嬉しいことではあった。

 

奇をてらわずにひたすらに歌と踊りで勝負する、世間でそれが受けるのかどうかは知らないが、それはまさしく僕の趣味である。

当ブログの記事をひっくり返せばそんな記述はいくらでも出てくるように思う。変な演出をせず、歌とダンスを見せてほしい、そしてできるだけ曲をつなげてスピード感を出し、こちらに息をつかせぬ構成をしてほしい。

かつて当たり前のように求めていたことが、少しずつでもあすとろさんでも求められるようになった、それがとても嬉しく、楽しかった。

 

ここまで総じて、当たり前をできるようになったのが楽しかった、ということに尽きる。付け加えれば、ワンマンの終了時に、3月までの月1の定期公演と、3月の2周年ワンマンの告知もなされた。このような舞台で未来の予定が出される、それもまた当たり前なのだが、当たり前が行われたというのが嬉しかったのはこれまでの事柄と同様である。

 

実際、久々に始まる前から純粋に楽しみだったのだが、ライブ中も終わった後も、久々に楽しかった。

どうしても過去と比べてしまうが、たとえばPASSPO☆のワンマンが終わった後、まあツアー中なんて毎週のようにそれをやっていたわけだが、その時の充実感と同じものを感じられた。

 

ダブルアンコールまで行い、その後暗転し、もう終わりを告げるBGMもなり始めていたように思っていたが、アンコールもかからぬまま勝手にメンバーが出てきた。サウンドプロデューサーに、まだ燃え尽きてねーだろ、と尻を叩かれた、との由。

僕も場内でお祝い用に配布したサイリウムを回収しに回っていたところで始まったものだから、もうヤケ。ほかの人もそんな雰囲気の人はちょこちょこいたのだろう、そのトリプルアンコールは場内も割合ぐちゃぐちゃに。

 

どうしてもをたくとしての育ちが育ちだから、そのぐちゃぐちゃ、そのなかでただ推しに迫り指差しコールする、そのような在り方を是としてしまう。似たような道を通ってきたほかのをたくも書いていたが、今時その在り方は否定されることが多いように思う。

しかし僕にはそれが心地いいのだ。だからこの日は心地よかった。心地いいから心地よかった。気がつくと進次郎話法になっている。

 

僕は心地よかったが、心地よさなんてのは個人ごとの問題だ。お題目を唱えることが心地よい、みんなで同じことをやるのが心地よい、ただ見ているのが心地よい。

心地よさはそれぞれあれど、今はお題目と同じことをやるのがおおよそトレンドな気がする。それに面白さを求められる。

元々僕は客が何かをする、面白さを求められるということが初代BiSの頃から嫌いだったから、もちろんそんなトレンドには対応できない。そういう器用な真似ができたらね、とも思うがそういう育ちをしていないのだから仕方ない。まあつまり、時代おくれ、というやつだろう。

 

僕自身の語りをしても仕方がない。

つまり心地いいから心地よかったのだ。

そのあとの呑みが久々に心地が良かった。まあPASSPO☆のをたくたちを呼んだり、自分でチケを取って来たりしていて、彼らと呑んでいたから、というのは多分にあったかもしれない。何かを熱っぽく語ったりもしたような気がするが、おおよそ覚えていない。

ただ、をたくはライブが終わったら飯を食って好き放題語らなければいかんな、そんなことは久方ぶりに思った。最近も思っている。

いろいろあって、まあ好き放題も語れるかどうか、というのもあるのだが。

 

現在の状況については、12月にまきたさんよりもらった直筆メッセージ。あまりになんでもお見通しで笑ってしまった。この人には逆らえないな、勝てないな、そう思わされてしまった。何の話だろう。

 

明けて、新春。

アイドルにはワンマンだろうとどんな客の少ない対バンだろうと、決して手を抜くことなくどんな時も気合を入れて同じように、なんて下らぬ講釈を垂れたりもするが、その実、普段の対バンでワンマンの時のように僕自身が過ごせているかといえば、全くそういうことがない。

まあ、客が常に同じものをライブの場で提供する、という必要もない、客が何かを提供する必要はない、そのように僕は思うが(それ故に特に現代の地下アイドルのをたくとしては悪いをたくなのだろうが)。

 

常にとてもよくもちづきは笑っているなあ、ステージを眺めてはそう思う。

新年にありがちな話、今年の抱負でも書いてよ、そんなことを話した。

今年、というのが嫌だ、あらたまって今年は何かしたい、そんなことが嫌だ、いつだって関係ない、自分は常に全力なのだ、それ以外にやることはないのだ、そんなことを言われた。

こいつ、かっこいいな、そう、素直に感心した。

そして、強くなったな、と。ワンマンの各メンバーのコメント時には目を潤ませていた気もするが、それにしても簡単に泣いていた1年目のもちづきからすれば、隔世の感である。

 

思うことはいろいろある。おおよそこのフィールドは僕には合っていないのだろうな、そう思うことがしきりにある。

常に自分が行きたいと思うところに行く、それは当たり前だから、望月さあやに一生ついていく、そんなことを言う訳もないのだが、それにしてもこういうことが言える、そしてそれを実現できる望月さあやは見ていく価値がある、見ていきたい、そんなことは思った。

そんなことを思い続け、そして壇上の望月さあやに心が動くうちは、あすとろさんを見続けるのだろうな、それが新春の思いである。