こんなにも会いたい人がいる

幸せを知ったことを

「このまま時が

止まってくれればいいな」と

願いながら

ずっとずっと

隣で笑ったり泣いたり、

怒ったりしていたいと思う マル

(Tomato n' Pine「ジングルガール上位時代」)

 

これを朝に(タイムラインで見たのが朝だというだけで、呟いたのは昨日の夜かもしれない、そんなことは知らない)元アイドルネッサンスの原田ずーちゃんが歌っていて、ああ、もうこういう季節かと思っただけで、そしてトマパイさんを1度か数度かすらももはや覚えていないが、本当に少ない数しか見ていなかったのは僕のをたくとしての歴史の中でも後悔すべき数少ない事案の一つなわけで。

 

何が書きたいわけでもないがさらりと書きたい。日記のように。あこがれは断腸亭日乗だ、って碌に読んだことも似せる気もないくせに。いい加減本を読め。何冊積読しておれば気が済むのだ。上司からも本を貸し出されているだろうに。そんなに興味が持てなくたって読むのが人の道だろう。そうでなければとっとと返せ。

 

はてしなくキムチ鍋を食っている。ヲタ活している日、飲み会の日、まあそれ以外はほぼ食っている。

まあつまりこれの影響だ。これをやりたいだけだ。

 

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩キムチ鍋を食べないやつの戯言にすぎない・冬-関内関外日記

 

システマチックに、何も考えずに。何も興味を持たずに。ただ作る。ただ食べる。

そんなものでもない。僕は鍋がもともと底抜けに好きだし、冬に毎日食べても飽きない自信がある。

そしてたまねぎを毎日入れている。熱の入ったたまねぎが好きだというただそれだけの理由だ。上にかけるものもすりごま、納豆、チーズ、青海苔、いろいろ試している。味について捨てたわけではない。むしろ好みの味をただ繰り返しているというだけだ。そこまで食を捨てきれていない。大事な楽しみだ。

 

しかしこのためにわざわざカセットコンロを導入した。今住んでいるところは構造上、個室にキッチンがないのだ。共有スペースにはコンロがあるがそこまで食材をもっていき器をもっていきそして出来上がったのをその場で食べるのか自室に持ち帰り食べるのか、そんなことが面倒だっただけだ。しかし当然ながらカセットボンベを湯水のように使う。節約という観点から言えば劣等生だ。

つまりはかように食べたいだけなのだ。

白菜、たまねぎ、きのこ(ぶなしめじ、ブナピー、まいたけ、えりんぎ、えのき、ほか、適当なもの)、当然ながらキムチ、以上がレギュラーメンバー。最近は人参も入れている。緑と白以外を入れなければならない気がして。全く色の問題だけである。栄養素は見ていない。あとは長ねぎ、にら、水菜、小松菜、あと、肉か、鶏、胸肉、もも肉、豚、バラ肉、薄切り、こま、ウインナー、締めに飯、うどん、中華めん、まったく適当だ。そんな2019-2020シーズンの冬だ。

 

それを焼酎かウイスキーの水割り、ウイスキーは炭酸割りも、そして日本酒、たまにビール、そんなものを飲み干しながら食う。それだけの日常だ。

焼酎は黒霧島でいいよね、そんな話に先日なった。酒呑みの周りには酒呑みが集まる。これは大学時代つるんでいた連中の会話だ。そのうち1人の結婚式・披露宴が終わった後の呑みでの話だ。

ウイスキーについてはいろんな品種が出て、ジャパニーズもスコッチも高くて受難の時代だね、ところでコミケでウイスキーの本を売っているのだけれど、そんな話をしていたが(友のうち1人は酒屋勤務の酒バカで、もう1人はウイスキーバカだ)、焼酎は黒霧島でいいという話になった。でいいとは失礼かもしれない。でも必要十分なのだ。

日本酒は剣菱でいい気がしている。焼酎の黒霧島とはレベルが違うかもしれないが。なんせ、正月用に何を買おうか、つまりそういう特別な時のために(奮発して)何を買おうか、と言っていた時にも、焼酎は黒霧島でいいだろ、いやそれじゃあ日常と変わらんじゃないか、そういう話が出たくらいである、しかし黒霧島でも要は構いやしないのだ。日本酒はそうやって気合を入れた時に剣菱、とはならないだろう。

しかし普段呑みは剣菱でいい気がしている。流行りじゃないとは思う。濃い色の見た目、こってりな味。甘くはないが絵にかいたような古典的日本酒、いやどうだろう、しかしとにかくべったりというわけではないが軽くない。もうこれでいいと思うのだ。そして近所のドンキホーテで安く売っている。ほこりを被ったりしている。もちろん温度管理なんてされているわけもない。もうこれでいいと思うのだ。

冷蔵庫が狭いから4合瓶しか買わない。何故か近所でおいてあるのは、4合瓶は黒松剣菱で1升瓶は無印剣菱だ。どちらでもよいではないか。もう剣菱でよいと思うのだ。よいといいが表記ブレしていたってよいと思うのだ。

 

きゅり・もち・ことりという、僕にとっては一番見やすい組み合わせの、ASTROMATEのshowroom「ASTOROOOOOOM!」を見た。!の数が何個かはしらない。

地方に焦点を当てた回だった。方言の話から、名所、名物、最後は方言で告白。きっちりとしたアイドルのshowroomだった。

普通に見て、普通に幸福になり、普通に床に就く。これが必要なのだ。普通でよい。それが幸福なのだ。変なパンチとかひねりとかいらない。…余計なことを言いそうになった。言わない。

沈黙は金だといい加減僕は学ぶべきだ。そして諦めることは諦めるべきだ。

 

12月である。困る。

をたくとしてはあんまりいい年でなかった気はしている。まあ省みることもなく、いや省みているのだが、投げやりにならず、でも投げやり寸前の超自然体でやっていきたい。あと1か月。

あんまりいい年でなくたって楽しいしいい年なのだ。全く矛盾しているがいい年なのだ。