やはり、背負わせているものが多すぎる気がする。

或いは勝手に背負っているだけなのだろうか。

背負っていることが好きな人でもあるのだろう。

どこまで行っても僕は深入りもしていないから、彼女にそんなに通っているわけではないから、わからない。

 

遠い昔に彼女を見たことがある。前世だ。前世なんてないのか、しかしそんなに隠そうとしている気もしない。

彼女に関する文献はネットを探ってみても少ない。しかし、よくまとめられているサイトがあった。

いつ見たのか覚えていなかった、確かサンミニを追いかけた、関西方面への遠征時。そのかすかな記憶をそのサイトであたってみたら、どうやら2016年の2月だったようだ。本当にそうだったのかはわからない。

かの四国の名門が送り出すソロ、その期待値の割には、およそ頼りない印象しかなかった。

そう、前世についてはそれだけだ。

 

前はそんな、関わりとも言えない、ただそれだけの縁で、今だってそんなに深い付き合いというか、関わり、でもなく。

だから僕にはわからない。しかしかえってそのくらいの軽さのほうが、わかることも、書けることもあるのかもしれない。

 

その前世の縁について前に僕が「箸にも棒にも掛からぬ」と書いたことを、彼女は覚えていた。そして、「箸にも棒にも掛かるくらいにはなりたい」、と。

それであれば僕も礼には礼を、彼女のことを少し書いたってよいだろう。

 

・PLANETARIUM~早崎友理生誕祭~@渋谷CLUB CRAWL

 

焦っているように見えた。

毎日繰り返し、盛んに自らの生誕祭を宣伝していた。

ツイッターでの宣伝ぶりはそれこそほかのメンバーにも見習ってほしいくらい。さすがである。

 

たまに接触に行くと、とにかく来てくれ、友人も連れてきてくれ、と懇願していた(ちなみに僕に対しては、アストロを1,2度しか見たことがない、僕等がかつて連れてきた友人の名前を出しており、それを伝えた友人は面食らっていた。そして結局来てくれた。彼女の記憶力の勝利である)。

集客もなかなかの高い目標を掲げていたのか、掲げられていたのか。確かに関西方面に厚い支持層を持つ彼女からすれば、日曜の昼というのはそれを存分に活かせる、集客しやすいはずの時間で、だからこそそうだったのかもしれない。かなりの重圧がかかっていたのだろう。

そして、その重圧に潰されそうになっているようにも見えた。

 

もとよりそこまで強い、プレッシャーなんてへっちゃら、そういうタイプには見えない。

適度に弱くて適度にその弱さををたくに見せて、その弱さも人を惹きつける魅力として機能することすらわかっていて、それをともすれば積極的にも使うことすらできそうな、そんな人に思えている。買いかぶりすぎなのかもしれない。意識していないのだとすれば、それはそれでアイドルとしての才能だ。

 

をたく、まあをたくに限らず男性全般かもしれないが、を適度に惹きつける技術を持っている、それはいい年になれば当たり前なのかもしれないが(年齢は非公開だ)、当たり前なのであればそれを当たり前に持っている、当たり前でなければそれは彼女の感性、嗅覚が優れている、いずれにしろ、そんなものを持っているように思う。

そして、とにかく自分が愛されたい人である、一番に愛されたい人である、そんなふうに見える。

つまりソロアイドルとして育った人だなあ、そんなふうに見える。グループアイドルに馴染めていないなどという話ではない。今のところ誰よりもアストロに殉じているのは彼女だろう。

 

なんとか天気は曇りで耐えた。僕も彼女たちも思い出深きCLUB CRAWL。

人の入りは9月、10月の単独公演とそう変わらないように思えた。昼というのは遠隔地の人には来やすいが近隣の人はやれ寝坊だなんだというのもあるようで(昼程度で辛いというのが僕にはさっぱりわからないのだが、まあ人それぞれだ)、まあ難しい。

 

ライブ自体は彼女のソロ以外は全曲披露、特段ほかの単独公演と比べて変わった点というのもなかったから(もちろん同じライブは二度とないし、細かい感想を書こうと思えば書けようが)、割愛する。

 

ソロコーナー。シックな、しかしかわいらしいワンピースを身に纏って登場した彼女。

歌ったのはあいみょんの「ハルノヒ」(クレヨンしんちゃん映画版のテーマソングらしいが、さも知っているかのように書きながら、僕はこの曲を知らず、この日が初聞きだった。そしてこのブログを書くために先ほど、本人の歌うものを初めて聞いた)。

彼女は前述のとおり実に上手だから、このセレクトだったのだろう。きっと作為的でもあり天然でもあり。

彼女とそのファン、それぞれの1対1を思わせるこの詞、この歌を。

 

まったく下手ではなく、しかしこの場に不似合いなほどに上手すぎることもなく、明るく、やわらかく、丁寧に、ウェットに、いうなれば実に絵に描いたような女の子らしい様子で(と今時は書いてしまうとジェンダー警察に捕まってしまうのだろうか)、しかしそれはまた実に彼女らしいのだろう、つまりは強さも弱さも含めて彼女がとても出たような、歌だった。

かつて見たはずの、微かな記憶と重ねながら、ああ、この人は実にソロであるなあ、をたくは実にをたくであって、アイドルと、をたくの、まさに空間であるなあ、などと、思うまでもなく当たり前のことをただ思っていた。

そのころから追いかけている人は、楽しい瞬間だったろうな、と。まあ、単に好きな人の歌を聴いている、それで楽しい、そういうだけのことかもしれないし、別にそのころから追いかけていない人が楽しくないとか、そんな話ではもちろんないのだが。

要は、このくらいストーリーがある人の今を追いかける行為はとても楽しいものである、そういうように思った、それだけのことだ。

 

そしてまた、はた目から見ているだけの、彼女とは間違っても一緒に何かを追いかけているわけでもない僕も、また彼女とこうやって何遍も顔を合わせるようになったことは悪くないことのように感じている。

昔と今がつながるというのは楽しいものだ。僕にとっての槙田紗子のようにどっぷりつかったものでなくても、微かに昔触れただけ、というものであっても。

 

大変に緊張したそうだ。生誕祭ライブ直後の接触は列がなくて行く気がしなくて、その日の夜の対バン後に接触に行ったとき、そう言われた。

列が長いからさっきは来なかったんでしょう、そう、見抜かれてもいた。

彼女のやり方であればもちろん大変に緊張して、それを必死に飼いならしてなんとか歌うべきなのだ。彼女の築いてきたアイドル像からすれば、それが実に正しい姿であるはずだ、そう思う。その僕が思っている彼女というアイドルが、どのくらい合っているのかは知らない。合っていなくても仕方ないだろう。僕は彼女に関しては門外漢なのだ。

 

若いアイドルもいいが、黄昏時が迫るアイドルというのもまたいい。

勿論、彼女だってまだまだアストロを信じている、上に上に伸びていく、陽は昇っていくと信じているのだろうが、それにしてもあと10年も20年もできるものでもないだろう(と言い切ったものでもないし、そのくらいやるならやるでよいことだ)。しかしもうそろそろ、と思ってから何年もアイドルを続けてはつらつとしているような者もいる。

 

ほら もうこんなにも幸せ

いつかはひとり いつかはふたり

いや もっと もっと 大切を増やしていこう?

 

彼女もをたくも幸せかもしれない、ただ、もう少し幸せになったって罰など当たりはしないだろう。

もう少し幸せになれるのだろうか。答えは風に聞いてくれ。

アイドル・早崎友理は明日も生きていく。人より余計な荷物を背負って、人より諦め悪く、明日もアストロを支えていく。

彼女の気が済まないうちはきっとアストロも解散しないはずさ。